西階城は延岡地域(当時は縣(あがた)と呼ばれていた)の拠点として構築された城です。現在は西階運動公園という恰好のランドマークがあるので、ここを目指して自転車を走らせていきました。
延岡市を流れる大瀬川は渡り、一路西階運動公園へ。
西階城裏手の龍仙寺裏手から城への入口発見。
西階城の縄張り図
城はかなり広大な構造をしており、かなりの規模に達していました。
城の道はかなり広大で、非常に歩きやすい城でした。
大堀切跡
曲輪6と曲輪8を隔てています。
土塁跡
土塁跡
主郭跡
かなり広大だったかつての延岡の中心城郭の西階城。ここから再び延岡市中心部に戻り、JR日豊本線の列車に乗るまで時間があるので余裕があるので、折角なので延岡城へ。かつての延岡の中心城郭から現在の延岡の中心城郭へ。
宮崎では貴重な総石垣で築かれた城
ここは流石に延岡の中心部の城ということもあって「城山公園」としてキチンと整備されている。
流石に近世城郭として、現在も企業城下町として栄える工業都市として、ここ延岡の城として今も多くの人で賑わっています。
大瀬川、先ほど西階城のすぐ傍を流れていた川は下流の延岡市街から日向灘へと流れていきます。
天守台跡
そして延岡城、最大の見所はやはり何といってもこの
千人殺しの石垣
延岡城が続日本100名城指定されたのもこの立派な石垣が残されていて今も圧倒されてしまいます。
この石垣が崩されれば、攻め手の兵千人が殺せるとまで言われる巨大石垣。やっぱり延岡城もいつみてもいいものです。
延岡市は郊外を含めると実はあちこちに城跡が残っているまさに北宮崎の城郭地域でもありました。
〇17年間だけの延岡中心城郭
西階城は室町時代に築かれた城で、正長2年(1429)に土持全宣の城とされますが、その根拠となる一次史料がなく、詳細は不明です。確かなのは土持宣綱が松尾城を築いてそこに本拠を移す文安3年(1446)までの17年間だけ縣土持氏の居城とされています。その後、居城としての機能は失いましたが、その後も「中の城」と呼ばれ、土持一族が管理していたようです。
〇アクセス
JR日豊本線延岡駅から自転車で約35分
「西階城に狼煙が一本…」
























