幕末に日本海沿岸に所領を持つ諸藩によって多くの台場が築かれました。加賀100万石の前田家においても例外ではなく、築かれた台場が寺中御台場でした。築かれたのは加賀藩の港町であった金石地区でありますが、その特色は内陸部に築かれたということです。台場というと普通海岸部に築くものですが、これは実を言うと慶応2年(1866)というかなり遅くに築造されたことが理由でした。この時期には既に諸藩が築いた海防台場は実際には西洋列強の艦隊戦力の前では蟷螂の斧でしかないということが証明されてしまったのです。そのため、加賀藩では長州藩の下関戦争での戦訓を取り入れて、上陸されてから内陸部まで引き寄せてから迎え撃つという戦術構想のもとに内陸部に建設したのでした。他にも宮腰・畝田台場などが建造されましたが、現在も部分的にとはいえ、復元されて残っているのはここ寺中御台場のみです。なお、当然ながら
流石にこんな海岸部までクマは来ないので(笑)
寺中台場があるのは大野湊緑地公園の一角です。この辺りは幹線道路となっており、車の量もかなりあり、走っている最中にここを見つけるのには相当苦労しました。「銭屋五兵衛記念館」を目標に設定して進みましょう。
17mほどの復元された土塁と砲座
ここだけ見るとかなりの小さくて不安に感じますが、もともとこの台場は80mに及ぶ土塁と砲座が据えられていました。現在の復元土塁はそのほんの5分の1ほどなのです。
砲座を真正面から。往時にはここに砲門が据え付けられていました。
今となってはほんの一部ですが、それでも復元されてくれた方が何もないよりイメージしやすいのは確かです。
砲座は西方約700mの犀川河口に向けて築かれていました。
もちろん今となっては風光明媚な池と紅葉の木々が広がる長閑な風景が広がります。
○アクセス
JR北陸新幹線金沢駅から車で15分
「寺中御台場に狼煙が一本…」










