カバンを開けて作業を開始しようとし、

USBメモリーを取り出そうとしたら、


「ない!」汗


そんなはずはない、もう一度探そう・・・。


「ない!」汗




もう、カバンをひっくり返して全て中身を調べた。


「ない~!」汗汗



「なぜだ~!」





「あっ! もしかして?」


会社のPCに挿しっぱなしだったのだ。


自分の記憶では、確かに抜いたはずだった。

しかし、現実はきっと、

「抜こうと思っていた」 ことが

「抜いたつもり」

になっていたんだと思う。




ともかく、最新データはもう使えないorz


そこで、前日、データを司会のNに送っていたのを思い出し、


彼の所へ行ってデータが残っているか聞いてみた。




というのは、彼も海外在住の一人、

君からのメッセージを自分でスライドショーにする、

といっていたので、自分のPC端末も持参してきていたからだ。




聞いてみると

「データはUSBメモリーに落としてある」

と言う。




そこで、自分がUSBファイルを会社に忘れてきたことを告げ、
「資料をホテルで印刷しなくてはならないから、少しの間貸してくれないか?」
「持っていっていいか?」
「ダメなら良いけど」
と頼んでみた。

すると簡単に

「良いよ」

と言いUSBメモリーを渡してくれた。




自分も

「サンキュー」

「終わったら持っていくよ」

と言って、直ぐにホテルのフロントに駆け込んだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



Nが持っていたデータは少し前に自分がNに送っていたファイルだ。

だから少々古いが、使えないわけではない。


確かに「改訂版」にはなっていないけど、何とか使えそうだ。

そして最低限、記憶を辿って

修正を入れて直ぐにプリントアウトをすることにした。




このホテルの担当者はASさんという人で、本当によくしてくれた。
この時も

「プリント代は無料でいいですから使ってください」

と、わざわざスタッフルームに自分を招き入れて作業まで自由にやらせてくれた。




こんなことなら、

「会社に寄らず最初からここで作業すれば良かった!」

と悔やんでもあとの祭り。




ともかく、時間の勝負なので、そそくさと作業を進めてプリントアウトを待っていた。
すると、幹事の一人が血相を変えてそのスタッフルームに飛び込んできた。



「☆×!★×!■○!●△!」



自分は訳かわからず、

「????」
「どうした?」
と聞くと、


「Nが怒りまくっているよ」ぷんぷん怒

と言う。





「は???」
「なんで?」




「とにかくNのところに行って!」
と言うばかり。


仕方なく2階の宴会場に入っていった。
見ると、側にいるスライドショー担当の女性の同窓生が、あたふたしている。


すると、このN、

いきなりぶらりに向かって



「ふざけんじゃねえぞ! この野郎!」火山チーズ噴火怒る怒り

と自分に息巻いている。




こっちもずーっと作業を続けていて疲れきっているところで、

突然怒鳴られ結構頭にきてきた顔・怒る




しかし、このNは畳み掛けるように
「お前、どこに行ってたんだよ!」

「USBが無くてこっち作業が全く進まねぇじゃねえか!」

怒りは一層激しくなっている。



しかし、自分はここで冷静に自分を落ち着かせ、

「ここで俺がキレたらこの同窓会は終わるな」

と思い、グッと我慢した。




なんて言ったって、自分が進行のキー出し係。

そのキーを受けて司会のNが進める段取りだからだ。




そもそも、USBを借りる時に

「持っていっていいか?」

「ダメなら良いけど」

と聞いて、その時は快く貸してくれたのは、

そのN自身だった。




こちらからすると、そんな重要な作業が残っているなら、

PCのデスクトップにUSBからコピーしておけば良いだけの話。

後で書くけど、前日まで遊び呆けていたんだよね、コイツ。


しかも少し理屈っぽいけど、リクスマネージメントの観点から言えば、

USBファイルでスライドショーを動かすこと自体が危ない。



普通、USBファイルに残して置くんじゃなく、

直ぐにドラッグして落としておけば良かったんだと思う。





いきなりだけど、ここで話を昨年の5月頃に戻したいと思う。


この同窓会は前のブログにも書いたけど、もともとA君という実行委員長の一言から始まった。


そして、この同窓会の発端は3年前に10人くらいで集まった昔の悪軍団のプチ年末忘年会だ。


この会で自分も久し振りに会う友達もいたんだけど、

その一人なんか、

「ぶらり~、ぶらり~、久し振りだなぁ~、嬉しいよ~、楽しいよ~」

なんてこっちも木っ恥ずかしいやら、

もらい泣きしそうなことを言ってくれて、旧交を深めた。


その時、もちろんA君もいて、

「こんなに楽しい会なら来年は20人、再来年は40人にしたいね」

なんて話をして広がって、

昨年(今からだと一昨年の2008年)には70人集まった大規模なプチ同窓会を開催した。


その時も自分は幹事として参加。


しかし、この時集まった同窓生も「人づて」繋がりで集まった、

言わば「ラッキー」な70人だ。


だからその時、

「ここまできたら、先生も呼んで分からない生徒も徹底的に捜索して正式な同窓会を開こう!」と企画し実現したのが今回の同窓会なのだ。




この70人で開催したプチ同窓会での幹事を中心に、実行委員を組織したんだけど、

昨年の5月ころ、その実行委員の暑気払いを国分寺で行ったとき、

「飛び入り参加したい」と言ってきたのがNだった。




前回の70人の同窓会に参加して感動を味わった男で、

サラリーマンながら、ある特殊な仕事をしているため、

平日でも地元でプー太郎みたいに過ごすお気楽な奴だった。


自分は中学時代、コイツと話した記憶はなかったが、

こういう機会で酒を飲めば直ぐに打ち解ける。


そんなこんなで、某小学校担当として幹事に組み入れたのだ

(うちの中学校は4~5つの小学校出身者から成り立っていた)。




そして、幹事会が進むにつれて、

どうしても中心にいた4人が目立ってしまうので、

彼(N)にも登場の機会を与えようと「司会」を進めたのがぶらりなのだ。


ちょっと上から目線(苦笑)に見えるかもしれないけど、これが事実なのだ。



実はこのN、捜索期間中に色々とウソが発覚して、

自分(ぶらり)以外の実行委員からヒンシュクを買っていた。

それを

「あいつはバカなんだからカリカリしないで許してやれよ」

と宥(なだ)めていたのが、なんとわたくしだったのだ。




もう一つ言うと、同窓会は昨年の11月29日の日曜日に開催したが、

こんなに忙しい直前の金~土曜日(27~28日)にNに連絡を取っても繋がらなかった。

なんと、会社の連中と箱根に旅行に行っていたのだ。


プライベートなことだから責められないところも承知しているが、

この同窓会の成功に向けて半端じゃない努力をしてきたのに、

と思わず「おいおい、頼むぜ」と思ってしまった。




もう一つ話すと、こいつは幹事会に余り出てこなかった。

いや、出てきたんだけど「俺は酒は好きだから、2次会からでる。幹事会はみんなに任せた!」と酒の場中心に出てきていた。


こんな無責任な発言をしていたので、

「ダメだよ、ちゃんど出なくちゃ」

と嗜(たしな)めて、何度か1次会?から出席させた輩だったのだ。


そんな奴に、しかもそいつの許可をもらって借りた


USBを「返せ!」なんて怒鳴られ、ホントに心がかき乱された。

・・・・・

・・・・

・・・

・・

同窓会は無事終わった。
この同窓会は、本当に素晴らしい時間だった。

色々な友達から「ぶらりのお陰だ」「ぶらり、本当に有難う!」
なんて言葉を貰い嬉しかったが、

ともかく、表面上は取り繕って対応した。

自分はこの同窓会を全然楽しめなかった。
それをぶちこわしたのがNだった。


3次会は幹事団だけでお疲れ様会を開催した。

もう、既にNとは半ば会話も交わさない状態になっていたが、それはそれ。


実行委員長のA君の掛け声で、

「お疲れ様~!」

「乾杯~!」

成功を祝す乾杯をした。


しかし、悲劇はこれで終わらなかった・・・。
(つづく)

※間違って削除してしまったので、再度ブログをUPします(^^;)


「俺のこの半年間はなんだったんだ~!」


そう自問自答したくなる出来事が起こった。


そして、最初の悲劇は開催前の準備中に起こった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


その出来事を説明するには、同窓会の1ヶ月前に行った
最後の幹事会まで時計の針を戻す必要がある。


この日は通算7回目になる最後の幹事会だった。
※実はこの幹事会も第2の悲劇の呼び水になっている


前回までの幹事会で、同窓会当日の流れはほぼ作ったが、
その最終確認と出席者の把握などがメインの議題だった。

だいたい出席人数が分かったので、会場内のテーブルの数も決定。

今回の着席方法も(再会が)久し振り、ということもあり、
受付順に席札を引いてもらう形式を取った。
この方が、色々な同窓生と話が出来るのだ。
(最初から親しい友人同士でくっついてしまうと会話が広がらないからだ)。


席札も受付用とテーブル用に配置し、
テーブル上には「A組赤」とか「A組白」などと看板も制作。
各クラス毎に先生の席も入れ込んだ。


割愛するけど、細かく設定・打ち合わせしたところはもっと沢山ある。
が、とにかくたたき台はぶらりが提案して、打ち合わせを進めた。

しかし、幹事会終了後も遣り残したことはないか?と細かくチェックすると

結構、気が付いていない点も多々あった。
これをちゃんと押さえておかないと、当日混乱するのは必至だったので、
打ち合わせをホテル側としたのだ。


残念ながら、ほかの幹事はこういう事をイメジネーションしなかった。
そんなこんなで色々と手間ひまが掛かってしまったのだ。

正直書くけど、

こういうことをやってくれる人があと1人でもいれば
自分の負担は激減したと思う。


しかし、こういう事ができる幹事がほぼ皆無だった。

逆に、これだけぶらりに仕事が集中しているのに、


「ぶらり 司会の原稿素案を作ってくれ!」

とか、


「ぶらり、未だ原稿出来ないのか!」


とノタマウ輩も出てくる。

仕事もかなり忙しく、ほとんど終電や終電に乗れない日が続いていたんだけど、

平行作業で準備も進め、これも1ヶ月ほど前にやっとの思いで作成し、彼らに渡したのだ。


この様に自分一人に作業が集中していたんだけど、

愚痴っている時間も気持ちがなかった。


だって、30年振りの同窓会だもの・・・。

絶対に成功させなくてはならないからだ。


そして、このぶらりのエネルギー源は、なによりも


「30年振りの同窓生の笑顔笑顔」だ。

彼らの喜ぶ顔を見たいがために、身骨注いで進めてきたのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


同窓会当日に針を進める。


同窓会当日は快晴だったが、

電話やメールでホテルの担当者とやり取りしたり、
資料作りに没頭していて、深夜まで掛かり
ほとんど寝ずに当日を迎えたのだった。


幹事団は、主として動いてた10人、副として5人、
そしてその他のお手伝い係などを入れると計25人ほどになっていた。

その中で「お手伝い係」は、主に受付係なので、
今までの幹事会等には出ていない。

だから、当日その人たちには段取りを説明しなくてはならない。
そして、このお手伝い係だけでなく、全ての幹事用の「マニュアル」も作成しなければならなかった。


ここで、直接会場に行こうか、会社に寄って行こうか逡巡した。
というのは、プリントの枚数やら、未だ終わっていない資料作りもあって、
会社でその資料を作成してから会場に向かう方が良いのでは?
と思ったからだ。

会社は東京駅付近、会場は立川駅だ。

時間のシミュレーションをすると、江ノ島→立川にいく最短距離と比べ、
会社経由は少し寄り道する(+30~40分)程度だ。


そんなこんなで、迷ったあげく、会社に寄ることにし、
自宅をかなり早く出て会場に向かったのだ。

恐らく、地元に住んでいる幹事団に比べ、3~4時間は早く家を出たと思う。


しかし、会社に着いてみると休日にもかかわらず


なんと社長が出社!しており、


こんなプライベートな作業を見られたら大変なことに・・・。
しかし、作業は続けなくてはならない。

社長に気付かれぬよう、残りの資料作りをしていたが、
マニュアルなども25人分ほど用意しなくてはならない。


しかも大量に資料を排出したためか、


「なぜだ~!」


と思うほど、何回も何回も紙詰まりを起こし 、
作業が滞ってしまったのだ。


結局、作業も時間ギリギリになってしまい、
最後までプリントアウト出来ず、会社を後にすることになってしまった。


後で考えると、この会社に寄った事が、
この忌まわしき出来事の合図?だったのかもしれない。






何とか会場に到着したが、

久し振りに会う同窓生との挨拶もそこそこに、
作業の続きをしなくてはならない。


そしてカバンを開けた・・・。

すると…


「な、なにぃ~!」



そしてその直後、事件は起こった。


(つづく)



※間違って削除してしまったので、再度ブログをUPします(^^;)


ちょいと(かなり?)古い話だけど、

昨年11月に、30年振りニ開催した中学校の同窓会のことを書いてみたいと思う。


こう思ったのは、先週の3連休中に

同窓会の実行委員長と幹事の一人と飲み会をやったのからだ(+なぜか1コ下の後輩女性1匹)。

↓写真はこちら↓

ぶらりの「なぜだ~」と叫ぶろぐ-1
(えとき)真ん中のデカイ奴が実行委員長のA君。
     わたくしは「まるでチンピラや!」と呼ばれたとおり、
     右端のオジサンでごわす!(なんで薩摩弁?)。

ここはJR中央線の国分寺駅北口にある「恵比寿屋」という居酒屋。
http://restaurant.gourmet.yahoo.co.jp/0001223632/

小洒落た感じで、結構雰囲気の良い飲み屋さんです。

実は過去に何度か行った事があるけど、

いつも「はなの舞」やら「白木屋」とかの超底辺?の居酒屋ばっかりなので、

この日は少しリッチな気分を味わいたく?寄ってみたのだ。


な~んていうのは冗談で(苦笑)、実はここは2軒目。

1軒目に、その“底辺?”である「白木屋 国分寺店」で、

バリューコースという1人2,500円の飲み放題&食べ放題メニューを頼み、

「元取るぞ~!」

とシコタマ飲んでいたんだけど、
2時間制ということで強制的に国外追放ポイ
泣く泣く?この店に来た・・・というのが真相でごわす(また薩摩弁?)。


という事で、既にかなり酔いが廻っていましたが、

この「恵比寿屋」に来てみると超満員!


そこで、

「何時まで待たせるんじゃー!」
と、半ば脅迫まがいに、

サービスドリンクを出してもらったところをパチリ!(笑)

そしてこの後、さらにアルコール入り毒ジュースを注入、
案の定、帰りの電車で2度も乗り過ごし、

やっとの思いで江ノ島近くにある自宅に帰宅したのが深夜2時頃。


国分寺を出たのは22時半頃だったらしいので、

3時間半も東京~神奈川を彷徨っていた事に…(苦笑)。
 →普通に帰れば2時間(これでも結構掛かるね)。


しかし、こんなに泥酔しても帰巣本能はあるんですね~。

ちゃんと帰れたからビックリ!


でも、わたくし、店を出る時に5枚ほどお札を置いていったみたいだけど、全く記憶に無し!
まさか諭吉×5ぢゃないだろな…(汗 タラリ)。


そんな話はここまでにし、

本題の「同窓会こぼれ話」に移りましょ!(ここまでが前振りかい!)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


最初に言っておきますが、わたくし、この同窓会で大きな傷を負いました。
そして、未だにその傷が癒えていません(泣)。


本当は同窓会終了後直ぐに

「サイコーでしたぁ~」ピース

なんて日記を書こうかと思っていましたが、

全くその気になれず今日を迎えました。


でも、やっぱり心に傷を負ったことは日記に残しておこうと思い、

ペンをとった次第です・・・。

まぁ、未だ深い傷跡が残っていますが、あの時に比べて少し回復・・・。

そんなこんな?で、今日はその“こぼれ話”を紹介します…。

(何篇かに分けて連載します)




30年振りに開催する、というのに全校生徒240人中、

なんと120人もの生徒・恩師の方々が集まった我が中学校の同窓会。
昨年の11月29日に開催しました。

もともとA君の掛け声に数人が賛同。

「同窓会実行委員会」を発足し、開催に向けて船出したのが昨年の5月でした。


もともとA君が「ぶらり! 手伝ってくれ」

というのがスタートのキッカケだったんだけど、

わたくしは、あまり表舞台に出ることが好きでなく、
実行委員長のA君を前面に、ひたすら事務方に徹してきた。


でも、この裏方が正直超ハードで、

実際の作業はほとんどわたくしが担当汗

例えば

①全同級生への連絡

②同窓生の名簿管理

③海外にいる同級生への連絡&メッセージ・写真(いわゆるビデオレターの類)のやりとり

④ホテルとの交渉及び当日ホテルのテーブル配置図などの書類制作

⑤捜索(これはほぼA君と分担)

⑥幹事会の資料作り及び幹事会の取り仕切り

⑦当日の運営オペレーション

⑧先生方のアテンド

⑨終了後の写真DVD制作及び送付(ほぼ参加者全員)

⑩終了後の先生用アルバム制作及び送付

⑪当日のスライドショー制作とそのDVD制作

⑫同窓会後の同窓生同士の連絡の窓口
などなど、書き出したら枚挙に暇が無いほど…orz


土日だけでなく、平日も代休を取って作業に没頭。

優に丸20日以上は滅私奉公状態で、

好きな波乗り、バイクのツーリングも出来ない日々を過ごしながら、

同窓会でみんなが喜ぶ姿を想像しながら作業をし続けた。



その甲斐?もあって、同窓会は大成功!

とにかく、先生や生徒たちから感謝・感激のメール、手紙、電話の嵐。

例えば

「この同窓会の成功はぶらり無くしては無かったと思います」とか、

「ぶらりの一生懸命さに打たれ出席しました。迷っていたけど、来て良かったです」とか、

「予想以上だったな。素人集団でこれだけのセレモニー(企画)を考えるなんて」

などなど、本当に同級生の皆様、勿体無いお言葉有難うございましたぁ~!


って書くと、
優しい人からは
「この幸せもの!」
「満足感いっぱいで良かったじゃない!」

2ちゃんねら~なら、

「これだけ褒め言葉もらって、なにが傷付いただ、ふざけるな!」
「自分を”かまってちゃん“ぶっているんじゃない!」
なんて厳しいお言葉を頂戴しそう・・・。

しかし、薄幸人生の日本代表選手であるぶらりには、
そんな甘~い結末なんぞ神様が用意するはずがなく、
まこと恐ろしい結末が待っていたのでごわす!(また薩摩?)


ホントに今でもHeart Break状態・・・(泣)。
もう、自分の感覚ではあり得ない


「なぜだ~!」


な出来事が起こったのだ。














この時ほど、自分の人生を恨んだことはなかったのだ・・・(マジ泣)。
(つづく)

我が家は、湘南の海から歩いて5分くらいのところにある。


もちろん、波乗りが好きでこの地に住むことにしたんだけど、

波の無い休日はどうしているかというと、大体バイクに乗っているか

この「ぶらり PC ANNEX」にいる。


「ぶらり PC ANNEX?」

もしかしたら別荘?





そうなんです、わたくし別荘を持っているんです(笑)。





な~んて、ビンボーリーマン代表選手のわたくし、

そんなことは夢のまた夢…、あるはずないじゃないですか!


でも、休みになると我が家以外でPCをやれる場所があるんです。

それが「ぶらり PC ANNEX」なんです。


実はこのANNEXというのは、我が家の隣、Tさん宅のこと。

このTさんという方がホント良い方で、

わたくし、サイコーの場所に引っ越してきたと喜んでおります。


じゃあ、この家に上がりこんで別室でやっている・・・というわけではなく、

この家の庭でPCをやっているです…笑2



わたくしのPC環境は、無線LANで飛ばしているんだけど、

お隣さんだけあって、このTさんの庭まで電波が届いてくれる

そのお陰で全く不自由なくPCが使えるのだ。


「でも、なして庭で?」

という声も聞こえてきそうだけど、簡単に言えば

「日向ぼっこしながら仕事が出来る」からってことなんです(苦笑)。


20年以上も波乗りをやっているぶらりではあるものの、

スネやフラットじゃあ、もう手も足も出ない状況・・・。

当然、波は無いのでサーフィンはお休み。

でも、このピーカン勿体無いじゃん!

そして、仕事が溜まっている!

という時に最適なANNEX、それがTさんGARDENなんです!


で、このTさんが住んでいるかと言えば、まさにこの家がTさんのANNEX。

1ヶ月に1度草むしりに来るくらいで、ほとんど住んでいない状況なんです。

という事で、空き巣対策にもなる、

っていうのでいつも使わせてもらっているのが現状で、

「お互い様」の良い関係になっている。


しかも、急な来客があった時のために

「いつでもうちの駐車場も使って良いですよハート

なんてことまで仰ってくれているTさんご夫婦。

とことん運のないぶらりではありますが、

こんなわたくしに、たま~にご褒美をくれるの神様、大好きですちゅ




さてさて明日は久し振りに関西出張。

でも、3社ほどにプレゼンに行かなくてはならず、資料も全然出来ておりませんでした。


てなことで、波無しピーカンの本日は、「ぶらり PC ANNEX」の日。

せっせと仕事をした・・・と思いきや、

アルコールをしこたま飲んでしまって、思わず爆睡chanderium


なぜだ~!



今もって全く資料が完成せず、焦りまくっているぶらりなのであった…。

今回はシリアスな内容を書きたいと思う。


毎年、この時期になると恒例行事がある。

松戸にある後輩I君のお墓参りだ。


このI君は、ブログの「恐ろし兄姉たち(PART1)」

http://ameblo.jp/bd11826/entry-10403878599.html#main

で少し触れたが、会社の直下の後輩で、自殺した人である。


この後輩は、ぶらりに出来た初めての後輩で、

凄く可愛がってもいたし、厳しいことも言い続けてきた。


バブル時代に一緒に仕事をしたこともあって、それはもう、

何十回と飲みに行った可愛い後輩だった。


その彼が8年前の6月この世からいなくなった。



「恐ろしき兄姉たち」でも少し触れたが、当時自分がいた会社の部署には

それはもう、鬼畜の住家という表現が正しいほどヒドイ環境だった。


もともと、自分の直上の先輩が一番の問題で、この男、一見「男気溢れる」ように見えるが、

心から女の腐った男で、それはもう陰湿にぶらりをイジメ続けてきた。


前のブログにも書いたけど、そんな劣悪な環境の中、ひたすら耐え続け、

仕事にまい進してきたお陰で、ステークホルダーたちは自分に付いてきて、

結果、圧倒的な成績をあげ続けることが出来た。


しかし、皆で集まるイベントがあると、必ずぶらりは村八分。

上司まで見てみぬ振りをする始末で、心の休まる日が来る事はなかった。


そんな自分が、「もうこいつ等を相手にしない!」と決めた(腹を括った)時ほど

何かもやもやしたものから開放されたことはなかった。


しかし、会社が年に1~2回行う「レポート」があって、そこに「異動したいか?」

という項目があり、進退窮まっていたときに書いた「異動したい!」という話が

知らず知らずのうちに経営陣に伝わっており、いきなり異動と相成った。


その時は、「これでこのヒドイ奴等とオサラバできる」という気持ちがあったものの、

今まで自分を支えてきた仲間たち(=ステークホルダー)との別れも意味し、

凄く複雑な気持ちになったものだった。


ともかく、当時の局長がぶらりの仕事振りと気持ちを察してくれて

異動を実現してくれたわけだから、喜んで?異動をした。


ところが、そのI君は当時自分と離れ、その鬼畜のような先輩側にくっつき、

結果敵対する関係になっていた。

でも、これは仕方がないことだと思った。


仕事は結果が出るので、誰が仕事の成果を上げて、誰が数字を上げられないかハッキリする。

I君もそれは分かっていたものの、村社会を形成していたこのセクションで体制派に抗することは出来なかったのだ。

それほど、この鬼畜たちはヒドイ奴等だったのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そして、自分が去った後に“いけにえ”になったのは、当時一緒に自分を責めた

先輩NさんとI君だった。


先輩Nさんは、もともと男気がなく、大樹に寄らばタイプの人間。

ともかくいつも「評論家」になってしまう輩で、まぁ、相手にするに当たらない人であった。

それでも、いつも向こう側に付き、結構イライラしたことを覚えている。


さて、鬼畜たちの名前は、本名(苗字)が自分と一緒で、よく「良いぶらりと悪いぶらり」とか

「カッコいい(これがわたくしのこと 苦笑)ぶらりとカッコ悪いぶらり」とよく言われていた。

この男をAとしよう。そしてこの男とどんな時もベッタリくっついていたのが、このAの先輩Sだ。


このAとSが陰湿にイジメを展開するので、やられる方は堪らない。


昼飯時なんて「おい、Ⅰ、N、K、Sさん飯行こうぜ」と行って、ぶらりだけ完全に無視し、

聞こえよがしに「暗いやつが一人いるなぁ! ハッハハハ~!」って言いながら廊下を歩いていく始末。


それでいて上司受けが良い。要するに実力よりも政治力で動くタイプ。

そんなヒドイ環境から自分は逃げたかったので、そういうレポートを書いたんだと思う。


そして、自分が異動をした後に、一番標的になったのがⅠだったのだ。


自分は当時、相談できる人に

「多分、自分も悪いところが多いと思う。でも色々な人に聞いて客観的に教えてほしい」

「自分は逃げも隠れもしない。自分は人の悪口は嫌いだ。だから自分の何処が悪いか教えてほしい」

と言ったのをよく覚えている。

しかし、帰ってきた答えは「お前は部内で孤立しているな」

という傷口に塩を塗られる言葉だった。


それほどAという男の政治力が強かったんだと思う。


だから、Ⅰも自分側には付けずA側の体制派に付いたのだと思う。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


このAに対し、何より許せないのは、自分(ぶらり)をイジメたことではない。

正直、Ⅰ君は仕事があまり出来なかった。だからいつも口酸っぱく指導をしてきたつもりだった。

このⅠ君は、実家が金持ちでワークホリカーというより、気ままに仕事をしていけば良いやタイプ。

だから自分のようなワークホリカータイプは苦手だったのだと思う。

でも、仕事を離れて単なる「先輩・後輩」になるとそれはもう、楽しい宴を100回となく朝まで過ごしてきた。


そして、ぶらりがいた時に徹底的にイジメ抜き、仕事の出来ないⅠ君を可愛がったAが、

ぶらりがいなくなった途端やりだしたのは、I イジメだった。

とにかくこれが許せない。


自分がイジメられたのは自分が我慢すればいいので何とか持ちこたえられた。

Aは当時(自分では結果を出せなかったにも拘わらず)、

仕事の出来、不出来を会議でイケシァシャァと言っていた。

でも仕事が出来ないⅠ君をかばい続けていた(Ⅰ君許せ!)。


でも、これでも良いと思った。なぜならI 君は愛されるキャラだったからだ。

だから「俺はイジメてもいい。でも、ここまでⅠを庇ったなんなら最後まで面倒見てくれよ」

と心の底でお願いしていた。


しかし、Aは手のひらを返したようにI 君をイジメ始めた。

自分は異動したとは言っても、席は隣のシマにいた。

だから、AがNさんやI 君をイジメているところは皆分かっていた。


そして、8年前のある日、会社に行くと

「I が自殺したよ」

と同僚から聞かされた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


I君と自分と凄く仲の良い飲み仲間がいた。

実はぶらりをイジメたN先輩もその一人だ。この男はまぁヘタレなので

(A側についても)自分としても「仕様が無いなぁ」と気持ちを許していた。

だって、自分がいなくなってから標的になったんだから、

少しは自分の気持ちも分かったに違いないしね。


そして、異動先で一番面倒を見てくれたH先輩と同年代の女性アルバイトTさんだ。


この5人でこの8年間、お墓参りを続けている。

I 君家は少し色々あって、お父さんが急逝したあと、お母さんが追うように亡くなった。

そしてお兄さんが一人いるんだけど、意外と仲が上手くいっていなく親戚関係も揉めていたようだ。


だから、毎年Ⅰ君家のお墓参りに行くと「無縁仏」のように荒れまくっている。

I 君のお父さんやお母さんも祀られているのに、親戚も誰一人としてお参りしていないのだ。

きっとお兄さんも来ていないのだろう。


だから、自分たち5人で毎年お墓を綺麗にして、その後恒例の浅草に馳せ参ずる。



昨日は、気の置けない仲間といつも通り昔話で盛り上がった。

きっとⅠ君も「ぶらりさん、相変わらず大人になりなよ!(笑)」と言っていると思う。

Ⅰ君のそんな笑顔を想像しつつ、いつも決まった浅草の「屋台通り」の店で6人で飲みあかすのだ。


いつかきっと自分もⅠのところへ行く・・・。

Ⅰに会ったらいつも負けるけど楽しいゴルフをやってから、「イッキ、イッキ」と朝まで飲み明かし、

Ⅰのプロはだしの歌を聴いて、夜明かししたい。

心からその日が来るのを願っている。