祖母の距離 | そして僕は天使になった

祖母の距離

子供3人
孫6人
ひ孫11人

蝉の鳴き声がひときわ激しかった
8月8日未明

大正、昭和、平成 
91年の壮絶な人生を生き抜いた祖母が死んだ

享年93歳

地球上に距離があるように 人の一生にも 時間という距離がある

祖母は 91年という距離を迷い無くしっかり歩き 
勤勉に働き 子孫を残し 私の父を地球上に創出し 
人と自然を愛した


$そして僕は天使になった


Kつゆき? Tずみ? Tま?   おお、よしかずか~?  よく来たよ~

ばあさん、う~~んと うれしよ  今日は泊まって行くずら?


富士山の麓のみずみずしい田んぼと青々とした緑 深い山の合間に 
祖母の家は母屋の横に道を挟んであり、砂利の坂道を下って行くと 決まって縁側に座り 右手で日差しをさえぎりながら 降りて来る車を 不思議そうに眺め。

車を降りて 私が 現れると 自分の子供と 孫の名前を間違えながら やっと私の名前に辿り着くと たっぷりすぎる静岡弁と 深いシワだらけの顔をくしゃくしゃにして笑い 私を迎え入れてくれた



全てを受け入れ 人の事を決して悪く言わず 自分以外の人を常に優先して考え、
私たちにそう教えてきた祖母。

葬儀にて祖母の遺体から摘出された眼が 失明した「誰か」の元へ
運ばれていくことを初めて知った。

失われた命によって 失われた視界を取り戻す人が生まれた。


天国に行けば、眼が無くても見えるずら  


そんな声が聞こえてくる



カタチあるモノは壊れ 命あるモノはいつかは尽き果てる

存在とはそんなものだ。 人間もモノとして捉えていけばそんなものかもしれない。

ひ孫達含め大勢の子供達に囲まれて
天国へ旅立った祖母

お雑煮に、ボソボソのお蕎麦。そして深いシワの奥にある優しくつぶらな瞳

祖母の得意なレシピは子供達に受け継がれ、田舎に帰ると食べる事ができる。


人は人生という距離の中で生きる意味を探す。祖母の歩いた距離のおかげで私は今、絵を描く事ができる。物語を創造し世の中の子供達に配る事ができる。


祖母がいなければ私はいない。

私がいなければ AンもRオもいない。


人が愛しあった結果が私であり人なのである。

レシピ同様、伝え続けていかなければならないモノがある。


photo:01



雨はあがり帰路の道では晴れ間さえ覗いた。

後部座席で首を傾げ気持ち良さそうに眠る我が子。


君こそ、 婆ちゃんの答えだ。
そして地球の答えだ。

今、君がそこにいればいい。
それでいい。

高速道路で行ける距離では無くなってしまった祖母に青空を預けよう。

皆をひとつにする 大きくて深い青空を。

よく来たよぉ~ 泊まってくずら?


ばあちゃん 91年間 お疲れ様。
そしてありがとう。