関ヶ原の戦いで旗色を鮮明にせず、家康に疑われた佐竹義宣は、取り潰しになるところを父義重の取りなしによって改易は免れるものの秋田に減転封となったのでした。

 義宣は最初湊城に入ります。しかし手狭なため新しく久保田城を築き移ります。

 秋田駅からも近い久保田城ですが、何度も大火に遭って残っているのはという御物頭御番所、秋田市の紹介によると城下の警備、火災消火を担当していた物頭の詰所、ということです。復原された御隅櫓内のエレベータを使って最上階から秋田市内を眺めた後、移動します。

 さて、秋田にやってきたのは奥羽を統一せんとす若き伊達政宗の前に立ち塞がった坂東太郎の異名をとる佐竹義重の墓所に参るためです。闐信寺にやってきました。ただしなんの案内も立て札もなく、こ、ここですよね、という感じです。

 中に入っても案内板らしきものも特になく、なんとなくあっちかな、と歩いているとネットで検索して見た建物がすぐに見つかりました。後北条、伊達政宗と戦った武将は静かに眠りについています。

 さらに天徳寺へ移動して、の途中で小雨に降られるも忍んで到着。ここは残念ながら工事中で佐竹家の廟は横から眺めるのみ。

 お寺の修復が終われば廟所を正面から見学できるそうですが、今は無理です。

 秋田の桜もそろそろ終わりそうでした。

 秋田駅近く、宿付近に戻る途中、良さげな鰻屋を見つけたので、方向転換して向かいます。川反、横田屋の鰻に満足します。

 帰りの新幹線の切符購入のために秋田駅に寄る前にAKITAのモニュメントの前で一枚。

 翌日は最終ミッション、帰宅です。帰りはちとお高めですが、グリーン車で東京まで。時間も距離もかかるし遠いので余裕を持って帰りました。