跳ねるJR九州に戦慄いた、鹿児島輪行旅 DAY3 その2 島津家墓所を訪れる | 毎日輪行日記

毎日輪行日記

リカンベントトライクGekko fxでの輪行の旅の記録

 意外と早く鹿児島市内に戻って来れたので鹿児島駅周辺でまずは腹ごしらえをします。おいしい鰻を堪能して戦国時代島津家の居城となった内城に向かいます。

 ハイ、なにもないですね。ここも学校になっています。

 続けて福昌寺跡へと。島津家の菩提寺と言いたいところですがここも、ですが明治の悪名高き廃仏毀釈のあおりを受けて廃寺になり、管理は島津家後裔の方が管理されています。扉は閉められているもの鍵はかかっていないので、なかに入ることはできます。

 15代貴久墓所です。父日新斎忠良とともに島津家を立て直し、戦国時代に間に合わせた英主です。

 16代義久公墓所。島津四兄弟の長兄。島津家をまとめ上げ、秀吉、家康から家を保った名君です。残念ながら男児に恵まれず、やや家督の行方に混乱を来します。

 17代義弘公墓所。慶長の役での戦いぶりは朝鮮の地で鬼石曼子と恐れられ、さらには関ヶ原の戦いでは島津の退き口と呼ばれる敵中突破による撤退戦をやってのけます。島津家初代藩主家久公の墓所にも参りたかったのですが、先年の台風でここは被害を受けており、まだ修復もままならないようで、近づけないようになっていました。

 薩摩の鹿児島の人たちには明治維新で長州とともに幕府を倒したことや西南戦争で西郷隆盛ら士族が敗北したこともあってか、思いのほか敬慕の念などが戦国の島津家にはないのかな、感じてしまいました。

 薩摩藩居城鶴丸城です。写真は復元された御楼門です。

 最後に登って桜島を見て、

 降りて桜島を見ました。初日を雨で潰されて、日程足らずの鹿児島旅になりましたが、また旅に来たいと思います。翌日は帰るだけ、大阪での混雑をできるだけされるために早めに鹿児島を離れました。