会津に移封された上杉景勝はあたらしい城を築き始めました。神指城です。戦国の世はもはや終わり、これからは天下泰平、防御施設としての城ではなく、経済拠点の城を築くべきだと景勝が考えたのだと思います。当時は陸運よりも水運が主流で阿賀川のほとりに上杉氏が城を築いているというのは家康に口実を与えるというやはり迂闊な行動でした。

 城は建設途中で西軍が敗れたため放棄され、上杉氏は米沢へと去りました。

 城跡はいまでは中古車なのか、廃車なのかの置き場のようになっていて城の面影すらありません。

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 この枯れ木のようになっている場所によく分からない車が放置かなにかされています。

 ちいさい広場にはここに城があったという説明板があります。

 永遠ならざる本丸建設地です。

 城の建設するに当たって起点となった高瀬のケヤキです。ちいさな公園のようになっていました。

 会津若松市内に戻ってくるともう夕暮れになっていました。城の南側をすこしうろついて、いい角度で天守を一枚パチリ。

 城近くの酒販売店へと滑りこみます。

 宿に戻って杯を傾けます。明日はもう帰るだけ、寂寥感が漂います。