今回の旅は4泊5日旅です。急に新年度になるまえに消化しなければならない有給休暇が出てきまして、それを消化しなければならなくなったんです。ダメ元でつなげて5日休みどうですか、と提案したところいい、ということでしたのでいつかは行きたいと思っていた東北へと足を伸ばしたのでした。あと気になるのは天気です。最悪自転車を置いていくことも考えましたが、3日目午後から雨降るかも、という天気予報だったので無理押ししました。

 行きは高畠から自走したのではじめの米沢駅です。

 西から迫ってくる雨雲の様子が不気味だったので今日も早めに輪行で移動します。ちなみに天気が持ち直してくれれば米沢から会津若松へと自転車で自走なんていう無謀なことも考えていましたが、雨降り予定なので無事ポシャりました。

 行きは通過した郡山駅で乗り換えです。列車が出る頃には雨が降りそうになっていました。

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 会津若松駅に着く頃には外は立派な雨。宿まですこし距離があったので駅で時間を潰します。チェックインまでもまだすこし時間があります。

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 こういうときにスマホがあるというのは時間つぶしができます。

 雨が少し弱まってきたので外にでて駅を撮影します。14時には雨があがるという予報でした。とりあえず駅まで行くか、と自転車を展開しようとしたとき悲劇が起こりました。ミッシングリンクでつなげているチェーンがバラバラになっていました。普通の自転車ならすぐにつなげることもできたのでしょうが、リカンベントトライクは通常の自転車よりも三倍近い長さのチェーンで、さらにチェーンチューブのなかを通しています。落ち着いた状態であれば順序よく作業をして元に戻すことができたはずでしたが、旅先でのトラブルです。手を油まみれにしながらこころを落ち着かせてなんとか走れる状態まで戻しました。

 すでに宿にチェックインできる時間になっていたので、やや雨の残る中、なんとか宿まで移動することができました。宿には行ってまずしたのは帰宅後すぐミッシングリンクからコネックスリンクに帰るためにアマゾンに注文したことでした。

 今日はすでに自転車でどこか市内を回ろうという気力がなくなっていたので、徒歩圏内にある蒲生氏郷の墓所を訪ねます。小田原の戦いの後の奥羽仕置において伊達政宗への抑えとして氏郷は会津に入ります。92万石という大領を得ますが、京より僻遠のこの地に封じられたことを嘆いたとされています。とはいえ氏郷は旧領から商人を招聘したりして会津の殖産に努めました。

 氏郷は文禄4年(1595年)40歳の若さで世を去ります。辞世の句は゛かぎりあれば吹ねど花は散るものを心みじかの春の山風゛自分の生を短さを儚く思ったのでしょう。家督は嫡子秀行が継ぐも宇都宮へと移封され、越後より上杉景勝が会津に入ることになります。