翌日は早めに米沢方面に移動します。いつものこと、詰め込みすぎです。山形市、もっと堪能したかったけど余裕がなさすぎて、だいたい二回来るくらいで補完してます。

 さて、昨夜は山形市内のスーパーを探して夜歩くこともなく、酒をたらふく飲み、地のものを食べコンビニで酒類阿弖流為、違っ、アテ類を調達して宿へと急ぎ戻ります。なにしろWBCの試合当日だったものでして。

  米沢駅まで輪行せず、途中の駅で下車しました。いつも愛飲している日本酒米鶴の蔵元を訪ねたい、とこの高畠駅で降りたのですが、再度スマホの地図で場所を確認しようとした時、本日休業の文字が。普通に日曜日はお休みですよね。気を取り直して米沢まで自転車で移動することにします。

 途中橋を越えたのでこの川はなに川かな、と確認してみるとこれがあの最上川というではないですか。ここで一句必要でしょう。白雪を集めて、いやいやオマージュにもなりはしない。先を急ぎます。

 関ヶ原の戦いで西軍側に付いた上杉景勝は会津120万石から米沢30万石に減封されてしまいます。一度は埋葬した義父謙信の遺骸や、越後から移してきたすべてをここ米沢に移したということになります。

 米沢城は本丸が上杉神社となっており、参拝します。またかつてはここに謙信の遺骸も安置されていたそうですが、明治に改葬されいまは上杉家廟所に眠ります。

 米沢城というとどうしても伊達氏の本拠、という認識から逃れられないのですが、伊達政宗が国替えで米沢を離れ、蒲生が入り、そして上杉がやって来て以来ここは上杉氏の町になったんだ、と認識を改めました。

 城内には上杉謙信の座像や、

「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」の言葉で有名な上杉鷹山像も米沢城内にあります。

 伊達政宗出生の地の碑もあります。米沢市は山形市に近いのに山形市と違って雪が多く残っていました。また米沢城内の資料館も冬期は休館中で次回来るときは春になってからだな、と痛感しました。

 宿に荷物を預けた後、上杉家廟所に向かいました。町中にあって急に広がる神聖な空間でした。

 この奥で上杉謙信が眠っています。焼香台があったので焼香しておきました。一瞬投げつけそうになったのはあの人の所為です。この左隣は藩祖となった景勝が眠っています。ゆっくり手を合わせながらもし自分が景勝であったのなら、と思ってしまいました。父祖の地から会津に移ってきて戦に負けて大幅な減封に処され。家名は保ったけれどもこの後の上杉家は当主が急死して30万石の石高をさらに半分にされたりと徳川幕府からしたら決して気を許してはいけない大名にされていたのかな、と思いました。

 上杉氏は移封された米沢に越後でのすべてをここに運んだようでした。ここは春日山林泉寺。幼い上杉謙信が学んだ林泉寺もまたここ米沢に運ばれました。

 謙信の姉、景勝の母である仙洞院の墓所。

 甲斐御前こと景勝正室菊姫墓所。

 さらに奥には直江兼続夫妻墓所。

 雪が多い。大坂人には新鮮です。二人仲良く眠りについています。

 米沢に訪れた日は日曜日で行こうと思っていた米沢牛のお店も休業。東光の酒蔵にて生酒を所望して宿へと持ち帰りました。

 宿から近くとはいえ自転車で来たので試飲もままなりませんでしたが、とてもいいお酒でした。