6月27日、関東啞史研究会(旧聾啞史研究会)6月企画として

松延秀一氏の講演会が
私の聾(啞)史研究 ー近現代日本ー

と題して開催された。

 

戦前の「日本聾唖協会」について、貴重なご教示があったので、レジメからメモしておきたい。
 

日本聾唖協会について(『日本聾唖協会の基礎的研究』による)

戦前期日本における全国的な当事者社会人組織であった。
明治末から大正初期という時期→「民本主義の潮流」「民主主義的傾向」のあらわれ

「大正デモクラシー」と称される時代を背景として、発会。

1906(明治39)年,日本聾唖技芸会によるよびかけをきっかけとして、全国聾唖教育大会が開催。

全国組織、という形は三浦浩の構想によるものか。ただし小西信八により時期尚早とされる。

まずは東京で聾唖倶楽品という形で発足(大正2?)…各地に団体ができた。

 藤本敏文、万沢格との協議で、全国展開へ。
大正9年、朝鮮にも部会。


1914(大正3)年1月「聾唖界」発刊(聾唖福祉協会)→日本聾唖協会の機関誌となる。

岩田錬太郎(ろう者)編集長。(〜11号)

12号〜藤本敏文編集長。同時期「ローアの光」も編集長。吉川金造に引き継ぐ。

1914年7月、京都で設立協議会。東京、京都、大阪から委員選出、計12名。
1915年秋、京都で発会式。会長・副会長は聴者(小西信八が会長)、ただし実務を担う幹事は聾唖者。

当初から、法人化を目指す。
 

1925年に文部省認可の社団法人化

1934(昭和9)年宮内省より補助金受領開始、社会部事業(就業あっせん)に充当

地方部会(支部に相当)は解散時点で37、会員数は、二千を超える
ただし組織率は2パーセント程度

1942年解散(ただし反対あり、山尾三郎総裁、川本宇之介など)、財団法人聾教育福祉協会へ合流

 

※山尾庸三氏のサインネーム 左肩近くから勲章のベルトを下ろす動き。

「日本聾唖協会の基礎的研究」(松延秀一:著 2020年)では、協会の機関誌である「聾唖界」を基礎史料として、設立から解散までをひととおり追求している。