医師の無理解…勉ちゃんは息絶えた ろう夫婦決意の出産(京都新聞3/10)

https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20190310000076

滋賀県ろうあ協会の機関紙「湖国ローアニュース」昭和48(1973)年新春号に見出しが躍った。障害を理由に子どもを産ませようとしない社会の不条理を訴えるコラムだった。書いたのは石野富志三郎さん(66)。

機関紙記者だった20歳のころ、滋賀県湖北地域に住む七つか八つ年上のろう者の男性から相談を受けた。

家族から子どもをつくらないことを条件に、ろう者の女性との結婚を許されたものの、しばらくして妊娠が分かり、双方の家族から「早く堕ろせ」と迫られていた。

「親と縁を切ってもいい」。妻はおなかに宿る命を守りたい。「そうだね」。男性も決心した。
「日本聴力障害新聞」も、73年3月号1面で臨月を迎えた仲むつまじい夫妻の写真を添えて伝えると、ろう者の世界で大きな反響を呼んだ。同年3月18日午前9時45分。産声が上がった。体重3200グラムの男の子。

しばらくして、石野さんは勉ちゃんが病気にかかったという噂を聞いた。手話通訳のいない病院の待合室で、どこに連れて行けばよいか分からず戸惑う妻の姿を、他のろう者が目撃している。
後日、わずか5文字の手書きのはがきが届いた。
「勉が死んだ」生後2カ月の訃報だった。

勉ちゃんの急死を告げるはがきを手に、石野さんは電車とバスを乗り継いで湖北地域のろう者の夫妻宅に駆けつけた。仏壇には遺影が置かれていた。「全て社会が悪い」。

「社会を変えてほしい」。夫妻の怒りは、石野さんがろうあ運動に取り組む原点になった。

(サイトより引用 情報元:木村晴美様)

石野さんの活動の原点と言われている話、何度見ても聞いても重い、悲痛な訴えです。

優生保護法の問題ともつながる、聴覚障害者の人権を貶める考えが根強くあったことがわかります。