耳の聞こえない私が、落合陽一さんの「変態する音楽会」で見た未来(朝日新聞9/5 平尾勇貴氏)
https://withnews.jp/article/f0180905002qq000000000000000W09810101qq000017962A
変態してもなおそれをオーケストラたらしめているもの、つまりオーケストラの本質といえるものはあるのでしょうか。
落合さんは「それ(オーケストラの本質)はすごくある」と話します。
「例えば、記憶だったり心の中にある風景だったりするようなイメージって絵でもないし、音でもないじゃないですか。だから音を聴いて頭の中に出てくるイメージみたいなものは、それは音でもないし光でもないし、違う形をしている」
「でも作曲家が表現したいのはそれだから、それと同調するといいんですよ。ビゼーの気持ちになる、ってやりながら聴いていると、なんかそういうものが出てくるんじゃないかと思う」
「演奏家は音を演出したいかもしれないけど、作曲家は別に音をやりたい訳じゃなさそうなこともよくあるからね。画家は、絵もかきたいんだけど、絵を通じて表現したいものがあって、それをどうやって感覚に分けない段階まで、抽象的に戻るか。そういうことなんじゃないですか」
「イメージを音に限定しない。オーケストラって、僕は人の意地だと思っている。ああいうのはすごいいいと思います」
「変態する音楽会」は、テクノロジーを用いることで、障がいが問題とならない地平でオーケストラをしようとしているように見えました。
オーケストラを「再発明」した落合さん。聞こえる人も、聞こえにくい人も、聞こえない人も、それぞれの人がそれぞれの方法でオーケストラを楽しむことができる。そんな未来の扉が少し開けているのを見たような気がしました。
(サイトより引用 情報元:柴寅様)
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触覚で「Ontenna」「SOUND HUG」、スクリーンには奏者の動きによって変化する視覚的映像、等々用意されていたそうです。聴覚以外で楽しめる要素が多くなったとき、聞こえにくい人も関われる音楽になっていくのでしょうか。それは音楽というカテゴリーにおさまるのでしょうか。
興味深いですね!