東日本大震災 7年目の春を迎えて ~耳が聞こえない加藤さん(73歳)の暮らしは今~(今村彩子氏)
https://news.yahoo.co.jp/byline/imamuraayako/20180310-00082003/
加藤 えな男さんに初めて会ったのは、2011年8月5日。宮城県聴覚障害者協会の小泉 正壽会長が救援物資を届けに亘理町の仮設住宅を訪れた時でした。津波で家を流された加藤さんは仮設住宅で一人暮らしをしていました。
加藤さん達、高齢ろう者が役場や市役所で罹災届けなどの手続きをする時、職員との意思疎通が難しく、筆談でも普段見慣れない言葉だと意味が分からず、スムーズにできませんでした。市役所や役場に手話通訳の設置をという声を受け、宮城県聴覚障害者協会は県や市に手話通訳の設置を要望しました。
加藤さんは、自分の活動している第一集会所だけでなく、第二、第三集会所にも顔を出すなどして、積極的に住民の中に飛び込んでいきます。手話も日本語もできないからコミュニケーションができないと決めつけていた自分が恥ずかしくなりました。
「手話や文字の読み書きができる=コミュニケーションができる」ではないのだ。手話や筆談、口話ができても部屋に引きこもっていたら、つながる以前に周りの人はろう者がいることに気づくことも出来ません。身振り手振り、そして笑顔で皆と交流する加藤さんだからこそ、住民との間につながりが生まれるのだと気づきました。そして、それはあたたかいものなのだと。
加藤さんは2016年6月に仮設住宅から災害公営住宅に引っ越しました。引っ越した当時は、仮設住宅のような人づきあいがなくなったからか、「誰かに監視されている」と訴え、精神的に不安定な状況にいました。2017年4月に災害公営住宅の住民同士の交流を目的として「たんぽぽの会」が作られると加藤さんは、毎日参加するようになりました。
今年の2月に取材で加藤さんに会いに行った時、まだ精神的に不安定な状況は続いているようでしたが、前よりは笑顔が見られました。
住民が簡単な手話を覚えるなどして身近なところでも手話が当たり前のように使われる世の中になれば、加藤さんも安心して楽しく生活することができるのではないでしょうか。
(サイトより引用)
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映像を通して被災者の状況を追い続けている今村さん。
見えにくい現実を切り取って示してくれます。