聞こえない世界で/3 阪神大震災で救援活動 理解不足、歯がゆく(毎日新聞(兵庫)2/2)
https://mainichi.jp/articles/20180202/ddl/k28/040/484000c
阪神大震災が起きた17日の朝、嘉田眞典さんは明るくなるのを待って車で神戸市中央区の県聴覚障害者協会事務所に向かった。午前8時ごろ、新神戸トンネルを抜けると、被害の無かった自宅周辺とは様子が一変した。街から黒煙の柱が立ち上がり、家屋は倒壊して道にもひびが入っていた。
午前10時ごろにたどりついた事務所には誰もおらず、書類が散乱。状況を協会の事務局長らに知らせる必要があったが、ファクスが通じない。車で高砂市の事務局長宅に向かうが、渋滞で断念した。
震災から4日後、宝塚市の協会理事長宅で、上部団体の近畿ろうあ連盟や全日本ろうあ連盟の関係者らと初めて集まり、救援対策本部の設置を決めた。対策本部の拠点として、停電したままの神戸市兵庫区の福祉施設で、ろうそくや懐中電灯で視界を確保しながら手話で話し合い、翌日から本部を開いた。
当時、被災した聴覚障害者には、避難所で孤立して情報が入らず、配給の食事をもらえない人たちが多くいた。
(サイトより引用)
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宮城もそうなのですが、被災した後事務所に集まって、対応を直接会って協議していたそうです。
また危険の残る中、ろう者にとって、直接会ってコミュニケーションすることが、いかに重要と感じられていたのか、ということだろうと思います。