1966TOKYO・2016そして未来へ . /3 「手話は言語」先駆け 「口話重視」一変、母校に誇り /東京
普及目指す手話言語条例の制定状況 66年・0→16年・3県29市町(毎日新聞1/5)
http://mainichi.jp/articles/20160105/ddl/k13/040/049000c
旧都立足立ろう(現葛飾ろう)学校卒業生、加藤仁志さん。
66年当時は小学部4年。「私の担任は優しかったけど、授業中に手話を使った子の指をひもで縛り、『手話はみっともない』と言う先生もいた」と振り返る。口話だけの授業は教師の話が3割も理解できず、「分かったふりばかりしていた」。
中学部のころ、口話一辺倒の潮目が変わった。60年代末に口話や手話を含む、すべての手段を活用する「トータル・コミュニケーション」の概念が米国から伝わり、それと前後して、同校はいち早く手話の使用を容認。生徒がうれしそうに新米教師に手話を教える、そんな光景が当たり前になっていった
一昨年、15人ほどの社員を率いる指導員の肩書を最後に退職した。社内には4人の手話通訳社員が育っていた。
(サイトより引用)
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加藤さんのような先人が、いまの環境を切り開いてくれたこと、改めてありがたく感じました。
トータルコミの概念が、ろう学校の教育を変えていった当時の生徒のコメント、貴重な証言だと思います。
普及目指す手話言語条例の制定状況 66年・0→16年・3県29市町(毎日新聞1/5)
http://mainichi.jp/articles/20160105/ddl/k13/040/049000c
旧都立足立ろう(現葛飾ろう)学校卒業生、加藤仁志さん。
66年当時は小学部4年。「私の担任は優しかったけど、授業中に手話を使った子の指をひもで縛り、『手話はみっともない』と言う先生もいた」と振り返る。口話だけの授業は教師の話が3割も理解できず、「分かったふりばかりしていた」。
中学部のころ、口話一辺倒の潮目が変わった。60年代末に口話や手話を含む、すべての手段を活用する「トータル・コミュニケーション」の概念が米国から伝わり、それと前後して、同校はいち早く手話の使用を容認。生徒がうれしそうに新米教師に手話を教える、そんな光景が当たり前になっていった
一昨年、15人ほどの社員を率いる指導員の肩書を最後に退職した。社内には4人の手話通訳社員が育っていた。
(サイトより引用)
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加藤さんのような先人が、いまの環境を切り開いてくれたこと、改めてありがたく感じました。
トータルコミの概念が、ろう学校の教育を変えていった当時の生徒のコメント、貴重な証言だと思います。