年のはじめに考える 障害を共に乗り越える(1/3東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014010302000141.html
東京パラリンピック・オリンピックは六年後。ことしは国連障害者権利条約が批准されます。健常者の「想像力」こそが障害者の突破力を高めるのです。

スムーズに跳んだり、走ったりできれば、再び自信がつく。新しい目標が生まれる。患者がそれを達成できたときの喜びは、そのまま臼井さんの喜びなのです。
東京招致の最終プレゼンテーションで、佐藤真海さんのスピーチには、こんな一節がありました。
「そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました」
臼井さんは携帯電話に全患者を登録し、小まめにやりとりを続けています。絶えず一人一人の身になって考えている。どうやって障害を克服するかではなく、どうすれば互いの持てる力を最高の形に結実させられるかをです。

障害者権利条約の考え方をかみ砕いて言えば、「障害は個人ではなく、社会にある」です。障害者の言い分に耳を貸さずに築き上げられた今の社会の仕組みです。
段差をなくす。点字で表示する。筆談に応じたり、ゆっくり話したり。健常者が障害を知って機転を利かせれば、障害者は優れた才能を開花させるはずです。
(サイトから引用)
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健常者と言われる方々が、このように「障害」に気づいてくれるのはうれしいことです。
一方で、臼井さんのような支援者のやり方も、当事者にさまざまな気づきをもたらしてくれますね。

「障害を乗り越える」という言い方、従来だったら疑問を持っていたのですが、「障害のある環境」というと、ちょっと受け止めやすくなりました。
ただそれでもオガワ、「障害」は乗り越えなくてもいいのでは、と思ったりしています。障害を取り除くというならあたっているかも。