名もなき物語:/中 岩山さんの場合「ろう者に光」使命背負い/鹿児島(毎日8/9)
http://mainichi.jp/area/kagoshima/news/20130809ddlk46040556000c.html

5月のある夜。一人、また一人と、鹿児島大の一室に集まる。大学院で博士号取得を目指す人たちのゼミ。通常と異なり、2人の手話通訳者がおり、ビデオカメラも回る。耳が聞こえない社会人学生、岩山誠さん(38)のための、大学のサポート。発表者も詳細な資料を用意した。それに応えるように、岩山さんもゼミを真剣なまなざしで“聴いて”いた。

東京出身。父の実家が垂水にあり、鹿児島には何度も来ていた。殺風景な大都会に比べ山も川も海もある鹿児島での暮らしに憧れ、鹿大に入学。大学院修士課程まで進んだ。一度は東京にUターンした。「聴覚障害者と企業の懸け橋に」。都内の職業安定所職員として11年間、障害者の就労や職場定着を支援した。

自己啓発休業制度を使って大学院博士課程に進んだのには、大小二つの理由があった。
働くほどに痛感した、支援の遅れとその背後にある社会の関心の低さ。「どこかの学者が取り上げてくれるのを待つより、自分が研究論文の形で発信して社会に広く知ってもらいたい」。そんな思いが募っていった。聴覚に障害のある妻(39)も背中を押してくれた。
大震災と原発事故も一つのきっかけになった。震災直後、ほとんど有益な情報が得られず不安といらだちが募った。再び原発事故が起きた時、迅速に避難し家族を守れるのか……。思い切って妻子を鹿児島の実家へ避難させ、自身は東京に残った。

博士課程でも鹿大を選んだのは、以前から聴覚障害者への「情報保障」が充実していたからだ。大学入学当初は手話通訳はなかったが、予算獲得までの暫定措置として、岩山さんに代わってノートを書き取る学生を雇おうとさえしてくれた。余談だが、公費で手話通訳を配置したのは鹿大が日本で初めてという。
日本ではいまだに障害者差別禁止法がない。情報保障一つとっても各大学の判断に任されているし、不十分なら交渉から始めないといけない。
(サイトから引用)
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ここにも戦っている仲間が。