広島「原爆の地獄」を作曲 全ろうの被爆2世
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200804020120.html
広島市出身の被爆二世で、全ろうの作曲家佐村河内守さむらごうち・まもるさん(44)=横浜市=が「原爆投下後の二十分間」の広島を描いたオーケストラ曲「ヒロシマ」を完成させた。「子どものころ原爆の曲は『祈り』のイメージだったが『地獄の曲』しかできなかった」と話している。
四歳でピアノを始めた佐村河内さんはクラシックの作曲家を志し上京。高校生の時から始まった難聴に苦しみながら作曲を続けたが、三十五歳で全く聞こえなくなった。映画やゲームの楽曲で評価されるようになったころだった。身に付いた音感を頼りに頭の中で楽器を鳴らし、組み立てていく方法で曲作りを続けた。
(サイトより引用 情報元:デフニュース2008年4月02日号)
--
「いくお~る」覆面書評でも紹介した、自伝「交響曲第一番」(講談社)の著者です。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200804020120.html
広島市出身の被爆二世で、全ろうの作曲家佐村河内守さむらごうち・まもるさん(44)=横浜市=が「原爆投下後の二十分間」の広島を描いたオーケストラ曲「ヒロシマ」を完成させた。「子どものころ原爆の曲は『祈り』のイメージだったが『地獄の曲』しかできなかった」と話している。
四歳でピアノを始めた佐村河内さんはクラシックの作曲家を志し上京。高校生の時から始まった難聴に苦しみながら作曲を続けたが、三十五歳で全く聞こえなくなった。映画やゲームの楽曲で評価されるようになったころだった。身に付いた音感を頼りに頭の中で楽器を鳴らし、組み立てていく方法で曲作りを続けた。
(サイトより引用 情報元:デフニュース2008年4月02日号)
--
「いくお~る」覆面書評でも紹介した、自伝「交響曲第一番」(講談社)の著者です。