丸山一郎さん、2日夕刻に
http://blogs.dion.ne.jp/rabit/archives/6887897.html
自立生活運動を1977年、日本に初めて紹介、その後も、日本の障害施策のために力をつくしてこられた丸山一郎さん(埼玉県立大学教授)がすい臓がんのため亡くなりました。65歳でした。
身体障害者福祉法の起源を求めてアメリカに渡った丸山さんは、GHQ民政局の7年間分の記録がワシントン郊外の公文書館の、体育館ほどもある書庫に残されていることを知りました。膨大な日々の記録や会議報告、日本政府を指導したメモ、日本側からの英文提出資料や投書とその英訳……。
身体障害者福祉法制定に関連した「Ferdinand Micklautz」に1日もはやく会っておかなければ、、とハワイに飛んだ丸山さん。その人は90歳になっていました。
当時、ミクラウツさんはGHQの裏の三菱商事ビルに広い部屋をもち、日本政府の誰でも呼べるという立場にありました。そこに各省のお役人を呼んで身体障害者福祉法をつくりあげていったのです。まさに生き証人です。3つの意外な事実が明らかになりました。
日本では、厚生労働省資料にさえ、「わが国の身体障害者施策は傷痍軍人対策として開始された。」と書いてあるのですが、事実は逆でした。
「意外な事実その2」は、ミクラウツさんたち米国側が、「すべての障害」を念頭においていたことでした。
「意外な事実その3」は、法の第3条に世界初の「障害差別の禁止条項」が書き込まれたことです。
(サイトより引用 情報元:らびっとさん)
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うーん、日本の障害者歴史観が変わる一大史料です。
こんなものをつい最近、発見されていたのですね。知りませんでした…。
http://blogs.dion.ne.jp/rabit/archives/6887897.html
自立生活運動を1977年、日本に初めて紹介、その後も、日本の障害施策のために力をつくしてこられた丸山一郎さん(埼玉県立大学教授)がすい臓がんのため亡くなりました。65歳でした。
身体障害者福祉法の起源を求めてアメリカに渡った丸山さんは、GHQ民政局の7年間分の記録がワシントン郊外の公文書館の、体育館ほどもある書庫に残されていることを知りました。膨大な日々の記録や会議報告、日本政府を指導したメモ、日本側からの英文提出資料や投書とその英訳……。
身体障害者福祉法制定に関連した「Ferdinand Micklautz」に1日もはやく会っておかなければ、、とハワイに飛んだ丸山さん。その人は90歳になっていました。
当時、ミクラウツさんはGHQの裏の三菱商事ビルに広い部屋をもち、日本政府の誰でも呼べるという立場にありました。そこに各省のお役人を呼んで身体障害者福祉法をつくりあげていったのです。まさに生き証人です。3つの意外な事実が明らかになりました。
日本では、厚生労働省資料にさえ、「わが国の身体障害者施策は傷痍軍人対策として開始された。」と書いてあるのですが、事実は逆でした。
「意外な事実その2」は、ミクラウツさんたち米国側が、「すべての障害」を念頭においていたことでした。
「意外な事実その3」は、法の第3条に世界初の「障害差別の禁止条項」が書き込まれたことです。
(サイトより引用 情報元:らびっとさん)
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うーん、日本の障害者歴史観が変わる一大史料です。
こんなものをつい最近、発見されていたのですね。知りませんでした…。