デジタル放送と字幕放送─聴覚障害者の立場から─
特定非営利活動法人東京都中途失聴・難聴者協会 小川 光彦

1 字幕放送と聴覚障害者
 テレビは聞こえる人と、聞こえない人の間の格差を大きくし、聞こえない人を苦しめる機械でした。数分間、音を消したテレビの前に座っていただければ、その苦しみの一端はご理解いただけるのではないでしょうか。
 53年にテレビ放送が開始されて以来、聴覚障害者は聞こえない現実を突きつけられ、苦しめられてきました。
 日本の社会は「電話」に代表されるように、「聞こえること」を前提に成り立っている面があります。聞こえないことイコール社会に適応できないこと、というマイナスイメージが強く、どなたも「自分が聞こえないということを認めたがらない」社会になってしまったのです。このためもあって、「聞こえない」問題について主張する方が非常に限られており、問題が顕在化するのが遅れていました。
 親しい家族の間でも、問題は解決されませんでした。家族にテレビの内容を聴くと、最初は少し教えてくれても、次第に教えてくれなくなります。通訳をしている家族自身が、テレビの内容を楽しめなくなってしまうからでしょう。理不尽と思いつつも、ほとんどの場合は泣き寝入りし、あきらめるしかありませんでした。
 85年、テレビの字幕放送が開始されて以来、そうした状況が少しずつ改善されてきました。「聞こえなくても、テレビを見て、家族とともに笑うことができる」…聞こえる人にとっては当たり前のことが、聞こえない、聞こえにくい私たちにもようやく得られるようになってきたのです。
 それまでは「テレビがわからなくても仕方ない」とあきらめざるを得なかった私たちも、これに力づけられました。
 96年に(社)全日本難聴者・中途失聴者団体連合会を中心に、聴覚障害者関係団体が協力して「テレビの字幕放送拡充」国会請願のための署名を約40万5千名集め、その結果法整備もされ、技術の改善もあり徐々に字幕付き番組が増えてきました。総放送時間に占める字幕放送時間の割合は、NHK総合で40.8%、民放キー5局平均で27.5%(以上17年度年間実績)に字幕がつくようになりました。 
 字幕放送は聴覚に障害を持つ人が、障害を持たない人とほぼ同等の情報を共有することを可能にしました。互いに気兼ねすることなく楽しめるシステムを実現したのです。
http://www.soumu.go.jp/s-news/2006/pdf/060630_7_1.pdf

2 これまでの問題
 しかし、これまでの地上アナログ放送の字幕には、いろいろな問題がありました。ここでは特に機器の面の問題についてご説明します。
(1)字幕放送受信機(アナログ)の機種・情報の少なさ
 字幕放送を見るためには、字幕放送受信機能を組み込んだ内蔵型テレビ、または従来のテレビに字幕放送チューナーを取り付ける必要があります。でも一般の人は知りません。機種も少なく、どこで買えばよいのかわかりません。

(2)字幕放送受信機の入手困難
 字幕放送受信機は身体障害者福祉法の日常生活用具(「文字放送デコーダ(現在は聴覚障害者用情報受信装置)」 94年度当時の厚生省予算で決定)に指定され、身体障害者手帳を持っている聴覚障害者が申請すれば給付されることになりました。ですが98年3月には4社から6機種出ていた字幕放送デコーダが、07年3月現在わずか2社2機種しかなく、1機種は3月末までで製造完了する予定です。字幕放送デコーダ内蔵テレビは06年までにすべて製造完了しています。(いずれも聴覚障害者向けの情報誌『いくお~る』編集部調べ)
 これは福祉法で定められ根強いニーズはあるものの、それ以外の顧客には字幕放送受信機の情報が少ないために売れないのと、ほとんどの字幕放送受信機がそれぞれのメーカーの中でもグレードの高いテレビを中心に販売されていたこと、デジタル放送開始に伴うアナログ放送の終了を見越して、ほとんどの企業がアナログ放送の字幕受信機製造から撤退していったことに原因があります。

(3)録画の困難
 聞こえる人がテレビの画像と一緒に音声を録画するのと同じように、聞こえない、聞こえにくい私たちも、字幕を録画したいというニーズを持っているのです。ところがアナログ放送の字幕つき録画は困難が伴います。内蔵型テレビのほどんどは、字幕付きの画像出力がありません。このため字幕の録画ができません。字幕放送受信デコーダは字幕付き画像出力がありますが、タイマーがついていない機種が多く、電源をつけたままビデオのタイマーで録画しなければならない機種がほとんどでした。そのための配線も複雑で、知識がないと困難でした。
 アナログの字幕放送は、放送電波のすきま領域(VBI) に字幕信号を乗せて放送するため、字幕解読に専用の受信機が必要になることが、これらの機器構成上の問題を引き起こしています。
 デジタル放送では、字幕が標準規格で組み込まれています。デジタル放送の受信機をつければ、字幕信号も解読でき、ビデオに信号を保存でき、好きなときに字幕をつけたり消したりして見ることができるようになっています。これで問題解決の見通しが出てきましたが、デジタルデータのままの録画の場合、コピーワンスの問題があります。
 また、アナログ放送を見ている聴覚障害者はこれまで同様に問題を抱え続けるのです。

3 地上デジタル放送への期待
 さて03年12月1日から地上デジタル放送が開始されて以来、3年が過ぎています。今後の課題・期待としては、次のような点が考えられます。
(1)アナログ放送からの切り替え時期の見極め
 地上デジタル放送が開始され、都内ほぼ全域で見られるようになったのが2005年、全国の県庁所在地で見られるようになったのが2006年12月。2011年7月までは現在のアナログ放送も続けられる予定で、アナログ用字幕受信機もそのまま使えるはずです。ユーザーとしての問題は、いつまで今のテレビやビデオを使ってアナログ放送のまま見続けることができるか、いつデジタル放送に切り替えるか、ということです。ユーザーの地元で地上デジタル放送が開始される時期や、開始チャンネルなど、把握しなければなりません。最低でも受信機の用意が必要になります。放送局がアナログ放送の字幕を2011年までにやめないとも限らない、という懸念もあります。

(2)字幕についての情報の混乱
 一方で、聴覚障害者は混乱しています。近年のテレビ放送は多様化しています。CS、BS、ケーブルテレビ、地上デジタル放送、最近は携帯電話でのテレビ放送受信や、モバイル放送等も実施されています。こうした多様な状況の中で、視聴者のテレビ放送、字幕についての情報が混乱しています。(07年3月現在、モバイル放送・1セグメント放送は開始されているが、デジタルラジオ放送は11年に延期見込み。)
 デジタル放送では字幕は付くのか、アナログ放送のように、専用の字幕受信機が必要なのか、録画できるのか、等。
 これらは聴者でもわかりにくいのですが、聴覚障害者はもっと情報が入りにくい立場にいるのです。

(3)要約の程度の問題
 字幕放送は放送局が付けるのですが、規格上は数種類の字幕を付けることができます。放送局側が英語、中国語、日本語の字幕を一緒に放送すれば、受信者側で好みの字幕を選んだりすることができます。
 ところで字幕についてのニーズもさまざまです。現在の字幕は読みやすいように、1行あたり15・5文字の二行表示、1画面約5~6秒が多いようです。どなたでも読みやすいようにと放送局側、利用者側で相談しながら、この表示速度に落ち着いてきています。ですがもっと早くていいから全文字幕を、というニーズもあります。逆に、ゆっくりでないと読めないので、もっと要約してほしい!というニーズもあります。ニーズにあわせて、要約の程度を変えた字幕表示が実現することが期待されています。

(4)字幕の付く番組の増加
 1997年11月、郵政省(当時)では、字幕放送の普及目標を策定、公表しました。2007年までに生放送など技術的に困難なところをのぞき、字幕付与可能なすべての番組に字幕を付けていくという内容です。
 この普及目標の策定当時は地上デジタル放送については触れていなかったのですが、アナログ放送とデジタル放送で共通の素材を流す「サイマル放送」の実施で、デジタル放送についても字幕付き番組が同様に増加していくことが期待されています。

【参考】
平成17年度の字幕放送等の実績
(2006年6月30日発表)
http://www.soumu.go.jp/s-news/2006/pdf/060630_7_1.pdf

字幕付与可能な総放送時間に占める字幕放送時間の割合(系列局が制作する番組を除く)
事業者名        平成16年度 平成17年度 (増加割合)
日本放送協会       89.5%  98.2%  ( 9.7%)
日本テレビ放送網株式会社 69.5%  80.7%  (16.1%)
株式会社東京放送     58.1%  67.1%  (15.5%)
株式会社フジテレビジョン 61.6%  65.0%  ( 5.5%)
株式会社テレビ朝日    65.5%  77.0%  (17.6%)
株式会社テレビ東京    30.2%  47.7%  (57.9%)
讀賣テレビ放送株式会社  62.5%  81.5%  (30.4%)
株式会社毎日放送     56.2%  68.4%  (21.7%)
関西テレビ放送株式会社  58.2%  64.4%  (10.7%)
朝日放送株式会社     69.4%  73.9%  ( 6.5%)

 【参考】総放送時間に占める字幕放送時間の割合
事業者名         16年度 17年度
日本放送協会       35.5%  40.8%
日本テレビ放送網株式会社 25.0%  28.9%
株式会社東京放送     21.4%  25.6%
株式会社フジテレビジョン 24.2%  28.2%
株式会社テレビ朝日    24.3%  30.8%
株式会社テレビ東京    16.4%  24.0%
讀賣テレビ放送株式会社  19.5%  25.3%
株式会社毎日放送     15.3%  18.6%
関西テレビ放送株式会社  19.4%  22.8%
朝日放送株式会社     17.7%  25.6%

(5)画角と字幕の位置
 サイマル放送を実施する場合、テレビ画面の画角(タテヨコの比率)の問題が出てきています。この画角の問題は、字幕にも関わってくるのです。
 通常は字幕は画面下に2行、約16文字で表示されます。アナログ放送で見る場合に、この字幕の両脇が断ち切られるようなことがあっては困るのです。放送局側もこの点は了解しており、これまでのアナログ放送字幕とほぼ同じ位置で見られるように実施する考えのようです。当面はやむをえないと思いますが、いずれは16:9の画角に最適な字幕についても検討が必要になってきます。利用者の声を聞きながらの検討をお願いしたいところです。

(6)生字幕の取り組み
 生放送の場合字幕の事前作成が困難です。生放送でも字幕をつけるためにいくつかの方法が取り入れられています。100%全ての番組に字幕をつけるために必要な技術です。一部には「まちがいが多い字幕なら、ない方がまし」という意見が出たこともありますが、聴覚障害者団体ではほぼ全体的に、可能な限り字幕を付与しようとしている放送局の姿勢を高く評価しています。間違うことを恐れないでほしいと願っています。
※ 音声認識による生字幕放送開始時も、利用者の意見を聞いて開始してくれた。
15年9月の総選挙時も、選挙報道の正確さに配慮してか、党首などの言葉には当初字幕付与されていなかったが、利用者からの要望を聞いて、素早く対応してくれた。

(7)録画の方法
 デジタル放送のテレビ録画では、データ放送も記録されます。字幕もデータ放送なので、「録画すればもれなく字幕もついてくる」状態です。
 これまでアナログ放送では、字幕付きで録画したいと思ったら、ビデオを外部入力にしたり、字幕放送受信機(デコーダ)のチャンネルをあわせたり、と面倒な操作が必要でした。地上デジタル放送では、このように字幕録画に悩むことも減ると思われます。録画に頭を悩ませる必要がない点で、バリアフリーなシステムです。

(8)災害時等の緊急時の情報保障
 聴覚障害者の間で、緊急災害時に有効な災害対応方法について検討が開始されています。現在聴覚障害者の間では文字通信できる携帯電話が普及しているのですが、Eメールによる災害時の情報伝達の方法は、遅延や紛失などの恐れがあり、確実とは言えないことがわかっています。特定の方に向けた「放送」の形で、必要な情報を必要な方に瞬時に伝達する方法が、災害時等にも効果があるのではないかと期待されています。

 このようにデジタル放送字幕の進展で、聴覚障害者の生活環境が大きく改善されることを期待しています。