何のために、誰のために

を改めて考えてみた。


学校に行くのはなぜ?

勉強するため


勉強するのは何のため?

頭を鍛えるため


頭を鍛えるのは何のため?

良い大学に入るため


大学に入るのは何のため?

良い会社に就職するため

あるいは、何かの先駆者になるため

研究者になるため


それらは誰のため?

自分のため


朝起きる、顔を洗う、トイレに行く、ご飯を食べる、歯を磨く、学校に行く、学校で勉強する、1時間目は国語、2時間目は体育、3時間目は英語、4時間目は、、、

お昼ご飯を食べる、部活動にいく



何のため、誰のため


子供の頃は、自分のために多くの時間を使っていた。


母はどうだろうか。

自分が子供のころの母は、その時間を誰のために、時間という単位の「生命」をどのように使っていたのか。


お弁当をつくる、洗濯をする、掃除をする、仕事にもいく、晩御飯をつくる、生活を守るためのあらゆることを子供達のために、


父は工場で、人のために製品を作る仕事をする、対価としてお金をもらう、お金は家族のために稼いでいる。



大人になると、生命のその多くを自分ではない誰かのために使うことになる。



「人のために」と学校で教えてくれる。

先生だけではなく、友達が、地域の人が。


家では父母が教えてくれる、兄弟やおじいちゃん、おばあちゃんが教えてくれる。



「心が大切」とちめいどが発信するのは、

そのことに気付かせてもらったから


新しい家族との出会いや、大好きな家族との別れ


誰しもが経験するごく普通の出来事だが、

それに対して喜んで笑ったり、悲しんで泣いたりするのは心があるから


何も感じないとしたら、心が麻痺しているのかもしれない。それは恐ろしい。



核兵器が絶対悪だと言い切れる大人が何にいるか


どんな大義があろうと、戦争は絶対に起こしてはならないことを国は、町は、僕たちひとりひとりは知っている。


知っているにも関わらず、万が一起ころうとしている巻き込まれるかもしれないことへの抗う術を僕らは知らない。知ろうとする人がいたとしても、その仕組みを理解し、動かせるものはいない。



どんなに賢くても、どんなに強くても、何のために、誰のためにが狂っていると大変なことになる。

人を殺傷するためだけの道具をつくることが、許されていいはずがない。



生命は、平等にあり、

心はそのひとりひとりにある。


身体が不自由な人、言葉をしゃべれない人、この社会に生きづらさを感じている人がいる。


頭の賢い人が、人のためにと立ち上がれる人間になれば、平和な世界に向かっていく。



人のために動いているひとりを全力で支えようとして、人が集まっていくのは、人間の本能で美しい。


不満や文句は頭で考えて、たくさん出てくるだろうが、身体を動かしているのは心で、人は感動し、心を揺さぶられた時に動くもの。

でありたい。



目先の損得を考え、なんでもかんでもお金で勘定するのは愚かだと思う。



生命の単位は「時間」

この時間をどのように、何のために使っているかを知ることは大切で


ただただ、お金を稼ぐためだけに会社に行くわけではない、学ぼうと思えば、どこだって学校になる。



勇気を出して行動できないときもある。

後悔もする。

それで良くて、だからこそ人間らしい。


子供達に伝えるべきことは、

生命の重さ。



今は、まだわからないこともたくさんある。

全力で物事に取り組む姿勢が、いつしか電池を残して明日のことを計算するようになる。


自分のために楽をしたいと考える心も人間。

利便性を追求する人がいるからこそ、この素晴らしい世界があるのも事実


でも、蓄えた力、育ってきた頭脳を人を傷つけるために使っていいはずがない。


いじめは小さな戦争。

それを見過ごして、傍観するものも、共犯者。


誰かを傷付けても心が傷まないような人間になってはいけない。

常に誰かの悪口を言って、陰口をたたいて、自分だけを守ろうとしてはいけない。


勇気がいるが、それと戦う心を信じて。


今は小さな歪みかもしれないが、若ければ若いほど柔軟で、考え方は変わっていく。


それぞれの分野で、技術や能力をつけていくのは本当に大切なことだが、それを何のために、誰のために使うかによって


庶民を幸せに導く生き方ができるか、それに貢献できる自分であれるかどうかが変わってくる。


その企業が何を信念としているか、それを見極めないといけない。


自分で何をしようとしてるのか、よくよく考えなくてはならない。何がしたいのか。



知らぬ間に、悪いことに手を貸していた

などということは、珍しいパターンではない。


どうか、やさしい心で。

いま、誰かのために時間を一生懸命使おうとしている人が身近にいるから、


気付いたら「ありがとう」と伝えよう。



今年は、たかひろの誕生日プレゼントを石鹸にした。はちみつの匂いのする石鹸を。



雄介