中学受験が終わり、少し時間も経ったので、受験生恒例の儀式をおこなった。

3年分の教材の断捨離である。

本科テキスト、栄冠への道、補助プリント、副教材テキスト、カリテ、公開模試などなど。

授業用と宿題用ノート、声の教育社の過去問、無料の各種情報誌もたくさんある。

 

コアラとコアラ母と3人で談笑しながら、作業を開始した。

コアラ父が束ねてパスし、コアラとコアラ母が次々と古紙集積場へ運んでいく。

構図的にはこんな感じだろう。

 

子「4年生の時は、こんなに字が汚かったね」

父「(今も大して変わっていないけれど)そだねー」

子「この3年間の成績の伸びは、何と言ったって、コアラの努力の賜物だね」

父「(コアラひとりの力ではないけれど)そだねー」

子「立体図形はたくさん製作したね」

父「(難しい立体は人任せだったけれど)そだねー」

 

と、取り留めのない会話が続く。

記録として、立体図形の一部を紹介しておく。

 

そして、30分を過ぎたところで、もぐもぐタイムに入る。

その後の作業はしんどくなり、会話もなくなり、キープスマイルをできなくなる。

 

カニ料理を食べるときに、最初は会話がはずむ。

しかし、次第にカニの殻を剥いたり、身をほじったりすることに集中して無口になる。

父「この前の、かにカニエクスプレスは楽しかったし、美味しかったね」

母子「(嫌々ながら)そだねー」

父「今の無口な状況は、かにカニエクスプレス後半だね」

母子「……」

と、反応が薄い。

 

とにもかくにも、1時間少しで第10エンドまで辿り着き、断捨離を終えた。

そして、古紙集積場には、コアラの3年間の努力が山積みとなった。

少し、感慨深いものがある。

 

「栄冠への道」などに、心から感謝を込めて、ありがとうと言いたい。

おかげで、コアラは栄冠のゴールに辿り着き、3個のメダルを獲得できた。

もちろん、校風という名の輝きはそれぞれ違うけれど、価値はいずれも金メダルである。

 

狙っていた金メダルが獲れなかったご家庭もあるかと思う。

しかし、大抵の場合、ご縁のあった学校が数ヶ月で金メダルに変わるのが常である。

 

 

 

以下は、長い駄文である。

雑感とやや奇異なコアラ家の事例ではあるが、どなたかの役に立てば幸いだと思う。

 

(勉強への関わり方)

親がどの程度勉強に関与するかは、各ご家庭が模索するしかない。

子供の学習能力、親の指導能力と時間的余裕、親子の信頼関係は大きな要因だろう。

コアラ父は「趣味」として、4科目すべてにかなり関わった。

勉強を通してコアラと濃密な時間を過ごすことに充実感を覚えていたところもある。

振り返ると、現状は少し「中学受験ロス」かもしれない。

もちろん、中学からはある程度の親離れと子離れが必要だと思っている。

親の指導能力や時間的余裕に問題があれば、塾を最大限に活用すべきである。

遠慮してはいけない。これは厚かましいレベルでも問題がないと思う。

塾の講師は頼られると嬉しいと感じる方が一般的に多い。

そして、塾の「お客さん」となる状況は絶対に避けなければならない。

 

(過去問)

日能研では過去問の解禁がかなり遅い。

「6年生前半では未学習の単元がある」、「古い年度は傾向が違う」というのが理由だった。

「過去問は最良の演習書」であるため、当然、コアラ家ではその指示はスルーである。

10年分程の過去問を志望校数だけ解くと、6年生後半に時間がなくなるのは自明である。

そこで、3月から着手したが、当然、最初は合格点からかなり遠い点数しか取れない。

しかし、志望校までの距離感を測りつつ、コアラのモチベーションを高めるのには有効だった。

そして、どの科目のどの単元に伸び白があるかも良く分かった。

 

灘は15年分ほどを解いたことになる。

算数の古い年度はかなり傾向が異なるが、良問が散りばめられている。

このレベルが解けると、他校の算数はかなり易しくなり、演習としても好都合であった。

コアラは算数では超高得点を狙えないのは一目瞭然であった。

それ故、「点数を稼ぐ」という観点に立ち、捨て問を見極めるセンスもかなり磨いた。

なお、「趣味」と「ボケ防止」としてコアラ父も一緒にかなり解き、ほぼ解けるようになった。

灘の国語の読解は易しく、文章量もかなり短い。

当然、詩の対策は必要だが、語感のセンスを身に付けるのは難しいと実感した。

点数としては、合計点で受験者平均点を30点上回れば灘は合格できる。

「国語で15点、算数で10点、理科で10点のプラス」をコアラに言い聞かせてきた。

11月頃になって、ようやく「合格圏」が見えてきた。

 

渋幕は8月頃から合格点をかなり上回るようになり、「射程圏」の感覚を早めに持った。

コアラにとって、渋幕の問題がフィットしていた感もある。

結局、1次と2次を合わせて、8年分(16セット)ほどを解いたことになる。

理社は「へんてこ問題」が多く、過去問の時間対効果が低いのは否めない。

それでも理科は雑学が多いため、コアラには適した問題が多かった。

雑学そのものは、図鑑、博物館、コアラ父との日常会話などで蓄積してきた。

統計資料が古い社会の問題は軽く流して終わりにした。

なお、今年の算数の4(2)は七五三の三角形が出題され、コアラにとっては秒殺問題だった。

 

その他には、K校(10年分)、A校(3年分)、SS校(4年分)等の過去問を解いている。

時間確保のために、日能研のオプションテストは一切、受験していない。

 

(カリテと公開模試)

日能研のカリテ(応用)と公開模試は、上位層よりやや下を対象として作問されている。

両テストとも確認テストの意味合いが強く、またクセのある問題も散見される。

そして、時間対効果の低いテスト回もあり、がっかりしたこともしばしばあった。

しかし、クラスの席順に絡むゆえ、スキップするのは難しかった。

公開模試の順位表は子供の闘争心を燃やすのに良いツールだろう。

コアラも幾度か表紙組や漢字組となって喜んでいた。

コアラの公開模試の偏差値推移(4科目、年間平均)は、66、69、72であった。

この伸びは、「コツコツと努力できる」というコアラの性格の賜物だと思っている。

また、「試験は解けない問題を探す作業」であることを入塾時に教え込んだ。

そして、試験の復習は当日に終了させることを課し、コアラはそれを忠実に3年間守った。

この点は偉かったと思う。

 

(塾選び)

塾と子供との相性が非常に重要であろう。

合格実績およびステータス的には、関東だとサピックス、関西だと浜学園となるだろう。

コアラ家では、ダッシュで1分の通塾距離ということで日能研に決定した。

 

(他塾模試)

サピックスの模試を3回受験しただけである。

渋渋、渋幕、聖光の3校であり、いずれも当該校が会場であったのも受験理由である。

コアラは環境が変わっても全く物怖じすることはなかった。

振り返れば、初回の渋渋だけで充分だったかもしれない。

他塾模試をたくさん受けないと焦る気持ちも分かるが、その効果は子供次第だろうか。

 

(試験直前と当日)

試験1週間前にもなると、ほぼ伸びは期待できない。

過去問の2周目をしたり、暗記系の単元を軽く流したりして過ごした。

また、当然だが、体調管理は重要である。

インフルエンザ対策のため、1月は小学校をばっさりと休んだ(時々、散歩と外出)。

ネックだったのが朝方へのシフトであるが、1週間前から自ら始めたのは成長の証だろう。

また、「試験日は教室で待つのが嫌なので、早く行きたくない」というコアラの希望があった。

遅刻者を除けば、1校で最終入室者(妙な満足感)、2校で最後から10番目位だった。

 

(入試解禁日)

入試解禁日は、東京・神奈川が2月1日、千葉が1月20日、埼玉が1月10日である。

栄東中学校の応募者は11654人、受験料が20000円(1回または2回出願)となっていた。

単純計算で2億円の収入となる(全国一?)。

都県で設定するのではなく、関東圏として纏めないと、学校経営の観点からは不公平だろう。

いっそのこと、関西も含めて、「全国統一」にして、アメリカ風に一発勝負の方がすっきりする。

受験生側にしても、早く受験を終えたいだろう。

そして、残りの2ヶ月間を小学校での思い出づくりにあてた方が、教育的にも良い気がする。

コアラの常々の口癖は、「関西は3科目だし、しかも1月受験でいいね」である。

東京私立中学高等学校協会や東京都教育委員会に再考してもらいたい。

ただし、受験料収入や受験生流出が絡み、こういう類の変更が難しいのは世の常である。

「同じ日程で入試をしたら、都内が偏差値アップ、埼玉は偏差値ダウン」には同意である。

https://ameblo.jp/chugaku-juken31415/entry-12257867477.html

 

(日能研の費用)

4年生440,035円、5年生1,003,838円、6年生1,226,664円の合計2,670,537円。

妥当な金額だろう。

 

そして、、、

中学受験でのコアラとの思い出と感動は、人生でのプライスレス。

心底、そう感じている。