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まいすとれーじ

資料置き場

「抽象度さえ上げれば問題は全て解決する」は嘘です。


正しくは抽象度を上げることで問題を高い視座から見ることが出来るようになり、視野が広がって解決方法が今までより違った視点から発見出来るようになることと、

抽象度が低い時に問題だと思っていたことが、抽象度を上げたら問題だと思わなくなった(別の視点から見れば問題ではなくなったと感じる)だけです。



でも実際の問題は抽象度の操作により、一時的に誤魔化されているだけで、本当に解決しなければならない問題の根っこは残ったままです。

この意味が腑に落ちて分かる人は、10000時間以上自分と向き合った人だけです。


抽象度がなんちゃら・・・と言っている人たち、みんな幸せそうな顔してます?

本当に幸福に満ちた人生送ってます?

嘘つくのもいい加減にしろよ!と私は怒っています。



ちなみに私を含め私のお師匠さんたちは抽象度を上げることと、現実的に地に足のついた問題解決の両方をどっちもやっています。

抽象度“だけ”上げても問題は解決しないですからね。



最近、変な抽象度メソッドを売って、数万人を路頭に迷わせている悪質なスピリチュアル系の先生いますので、本当に気をつけてください。


ちなみに抽象度について学ぶだけなら、わざわざ高いお金を払って講座なんて受けなくても、苫米地英人さんの本を数冊読むだけで十分です。

抽象度の話は苫米地博士の本に全部書いてありますから。


で、ここから本質的な話です。

 


例えば、「母親が苦手」という問題を抱えていて、母親から逃げ回るような人生を生きている人が「母親」に対する抽象度を上げたところで、問題って解決すると思います?

抽象度を上げて手に出来るのは、母親に対しての捉え方が変わって、「母親が苦手」という思考から一見解放されたように見える効果だけです。

 

 

つまり母親のことが気にならなくなったように錯覚させているだけです。

でも残念ながら、これだけでは「母親が苦手」という感覚は自分の中に残ったままです。


気にならなくなるというのと、苦手意識が完全に消えるのは全く別のことです。

つまり、抽象度を上げることで脳は騙せても、体に刻まれた「母親が苦手」という感覚は消えないということです。



これは実際、抽象度を上げた状態で母親に会ってみればわかります。

頭の中では気にならなくなっていても、実際に母親に会ったら、体がこわばったり心拍数が高くなったり、何とも嫌な感じがして、そこから逃げたいとか早く帰りたいという体側の正直な反応が絶対に出ます。

 

 

実際、私自身も抽象度を上げて母親に対する苦手意識が消えたと思い込み、実際に母親に会ったら一瞬で固まってしまって、母親の前で一言も話せなくなりましたから(笑)

つまり抽象度というのは、問題を解決させたかのように思わせるマジックみたいなからくりが潜んでいるんです。



抽象度に逃げたら、余計人生こじれますよ。

抽象度なんちゃらばかり言っている人は、脳や思考を操作することばかりに意識が向いて、感情感覚は無視しがちですから。



自分にとって都合のいい理想論ばかり取り入れてないで、母親とちゃんと向き合って話すこと。

内観はそんなに甘いものではないです。


むしろ変な抽象度メソッドを習った人たち、みんなさらにこじれて現状が悪化しています。


本当に気をつけてください。

抽象度こそ、最もミスリードになりやすい厄介な言葉ですから。


なので重要なのは、

・抽象度を上げて問題の全体像を広い視野で見れるようにする

・実際の問題とちゃんと向き合って物理的な解決をする

この両方をやらない限り、問題は消えませんので気をつけてください。

 

 

つまり抽象度だけ上げてもダメだし、今の視座のまま体当たりで行ってもダメ。

 

この両方がバランスよく必要だということです。

これからは○○の時代とか言う人が多いけれど、生き方に時代なんて関係ない。


最近であれば、これからはAIの時代とかコミュニティの時代とか言う人が多いけれど、そんなのはないんです。

 

 

これって本当の自分で生きてる人には違和感しかない言葉なんです。

 

なので、もしこれからは○○の時代なんて言っている人がいたら、その人は本当の自分で生きれていない人なんだなと思って観察してみてください。

 

 

ちゃんと内観が進んで本当の自分で生きれるようになると、中心に「自分の人生」というものがハッキリとあって、その時にたまたまAIが流行ってるなら使うし、コミュニティが重要だと思えばコミュニティを作る。

 

ただ、それだけなんです。

 

 

これからは○○の時代だから、と言ってその時代の流れに乗ってしまう人は、例外なく手段の目的化にハマっています。

 

基本的に○○に入る言葉はただの手段ですから。

 

 

そこに、さらに生き残るなんて言葉を使っていたらもう最悪です。

 

そんな人は絶対にメンターにしないでください(笑)

 

 

「これからはAIの時代なので、AIをフル活用して新しい戦略で生き残っていきましょう!」みたいなことを言っている人がいたら、そんな人からは出来るだけ距離を取ってください。

 

そういう人について行くと高確率でいずれ人生を詰みます。

 

 

何故かわかります?

 

目的がズレているからです。

 

 

重要なのは手段ではなく目的です。

 

本当の自分で生きている人は、例えば時代が逆行して江戸時代に戻り、インターネットなど無くなっても、淡々と自分のやるべきことを遂行出来ます。

 

 

AIの時代とかそんなの関係なく、あなたは自分の人生で何をやりたいんですか?

 

何を表現したいんですか?ってところ。

 

 

ここに気付けないうちは、永遠に手段に振り回されると思ってください。

子供が問題児だったり、不登校だったりして、子供と十分に話し合えない親御さんは多いですが、その親御さんたちが必ず言うのがこの言葉です。

 

「子供が何を考えているかわからない」

 

「子供が心を開いて話をしてくれない」

 

 

基本的に子供の思考は全部親の思考の投影なので、ということは親であるあなた自身が、

 

「自分が何を考えているかわからない」

 

「自分が心を開いていない」

 

もう本当にそのままだったりします。

 

 

 

親自身が本当は何を考えているのか何を望んでいるのか、自分でわかっていない。

 

それを子供が代わりに見せてくれているんです。

 

 

お父さんもお母さんも、自分で自分のことわかってないよね?と。

 

 

親自身が自分で自分に心を開いていなければ、子供も心は開きません。

 

親が自分が本当は何を考えているのか、それを明確に言語化出来ないようであれば、当然子供も何も喋りませんし、何も教えてはくれません。

 

 

シンプルなんですが、ここが盲点になってずっと子育てに悩んでる方も結構います。

 

「子供が○○で・・・」って、もし言ってしまう癖があるとしたら、その「子供が」の部分を「自分が」に置き換えてみてください。

 

 

そこから見える答えは結構あります。

今日は参りました。

 

用事があって朝から出掛けていたのですが、その出先でどうやら事件があったらしく、そこの駐車場にとめていた私の車の周りをパトカー3台が囲んでいるではありませんか。

 

 

「ちょ、待てよ!!

(ラブジェネレーション)

 

車動かしたいんだけど。

 

 

しかし、犯人らしき女性を警察官6人が取り囲んで身動きが取れない。

 

まさかのここで足止め!?

 

 

普段なら、お巡りさんに「ちょっと車動かしたいんですけど、いいですか。」って遠慮なく聞く場面なんだけど、今日はあまりに物々しい雰囲気で近づくことすら許されない。

 

というか、部外者は近づくなオーラが凄くて、その暴れている女性を警察官が説得するまで、こちらも全く動くことが出来ないのです。

 

 

ということで来ました。

 

内観のお時間です(笑)

 

 

何で急いでいる今日に限って、こんな現実を引き寄せたのか。

 

仕方がないので待ち時間にずっと考えていました。

 

 

私の車、パトカーに包囲されて1mmも動かせないので、一切身動きが取れません。

 

だから用事を終えて自宅に帰りたくても帰れないのです。

 

 

これは何のメッセージ?

 

潜在意識が何を知らせてくれてる?

 

 

暑い中、自分に問いかけながら、外で待つこと45分。

 

 

ようやく事件を起こした犯人らしき女性が、パトカーに乗せられて連行されていきました。

 

もう頭の中でずっと西部警察のオープニングテーマが流れてましたよ笑

 

 

私って普段もの凄く強運で、赤信号にすら滅多に当たらない人なんですよね。

 

私が行く道は基本的に全部青信号、渋滞もほぼ避けられるみたいな強運体質なので、この足止めは絶対何か意味があるなと思いまして。

 

 

ただ、さすがにたった45分の問いかけでは答えはわかりませんでしたね。

 

これからまた寝る前に問いかけてみますが。

 

 

こういう日常の些細な出来事も全部内観の材料になるので、何かトラブルに遭遇したら全部自分に問いかけてみるといいですよ。

 

ここから過去の思い込みとかを、芋づる式に引っ張り出せることが本当によくあるので。

 

 

で、今日は新しいXアカウントのお知らせです。

 

実は以前ビジネスで使っていたXアカウントがあるのですが、SNSでの集客は一切辞めたため、そのアカウントの使い道がなくなってしまって放置状態になってたんですよね。

 

 

でもせっかくなので何かに使おうと思いまして。

 

地味に復活させてみました。

 

 

かずのX(旧Twitter)

 

日常のくだらないことしか呟きませんが、何気にかずのファンという人はこっそりとフォローお願いします笑

 

あくまでもサブ的な位置付けなので、こちらでは内観系の呟きは一切行いませんが、それでも良ければ見てやって下さい。

 

 

そんな訳で、今日はXのお知らせでした。

昨日書いた記事は、図星だった方は流れ弾に当たって悶え苦しんだかもしれません。

 

本当にすいません(笑)

 

 

まさか自分の無価値感を埋めるために、子供を不登校にして、価値のある親のポジションを得ていたなんて、想像もつかなかった方もいるかもしれません。

 

でも実はこの話はそれで終わりではないんです。

 

 

なので、今日はその続きを書きたいと思います。

 

 

前回も書きましたが、私は中学生時代に不登校になってしまった経験があります。

 

その時の記憶をずっと内観していって、子供側の視点で何に気付いたか。

 

 

それは、

 

目的があってわざわざ無価値感の強い親を選んだ

 

これです(笑)

 

 

つまり、子供側もしっかり狙ってやっているんです。

 

だから、私はもしかしたらダメ親なんじゃないかと落ち込むことはありません。

 

 

実は潜在意識の世界では、お互いの魂の合意のもとに、親子でちゃんと役割を決めて、今回の人生のシナリオを作って生まれてきていると言われています。

 

なので、私が不登校になったのも、親が私を利用して自分の存在意義を得ていたのも全部理由があるんです。

 

 

そして私、人生43年目にして何とそこに気付きました。(43歳の時に気付いたので今から3年前になります)

 

 

その私の目的とは、

 

自己受容の大切さを学び、それを伝える役割を全うするため。

 

これでした(笑)

 

 

なので、子供側も無価値感の強い親を選んで生まれてきた理由がちゃんとあるので、どうしよう自分が子供を不登校にしてしまって本当にダメ親でごめんなさい!と罪悪感を感じなくても良いです。

 

そこに気付いたら、親側は淡々と自分が自己受容出来るように、自分と向き合い続ければいいだけです。

 

 

そして子供側は小学生や中学生では、まだ自分の思っていることを言語化することが難しいので、子供のうちは自分の生きる目的や人生の魂レベルの課題に自ら気付くことはなかなか出来ません。

 

それだけの精神力や言語化力、分析力が育っていないからです。

 

 

なので、子供はひたすらゲームをやったりYoutubeを見たり、親からしたら「ゴロゴロしていないでもうちょっと何か他のことやってよ!」とイライラするかもしれませんが、子供はそれで何とか心のバランスを保っています。

 

私も不登校の時は自分からは何も動くことが出来ませんでしたし、一日中空を観察して流れてくる雲の数を数えていました(笑)

 

 

中学生ならそんなものです。

 

そして長い年月を経て、やっと3年前に真の目的に気付いたんです。

 

 

だから子供側の私からすれば、自己受容の大切さに気付き、自己受容の重要さを伝える役割を担うために、わざわざ無価値感の強い親を選ぶ必要があった。

 

なぜなら、そういう親のもとで育たないと、自分の人生に自己受容という重要なテーマを設定することが出来ないからです。

 

 

もうこれに気付いたら、親に感謝しかありません。

 

そして、こういう親子の問題というのはだいたい世代間連鎖しているので、私の母親も子供の頃にやっぱり親の無価値感を埋めるために利用されてきた過去があるわけです。

 

 

だけど今回私がここに気付いたことで、世代間連鎖は止めることが出来た。

 

だから、結果全部意味のある出来事だったと、今なら思えるんです。

 

 

でもね、だからと言って「学校に行かなくてもいい」はダメです。

 

義務教育というのは、親がちゃんと子供を学校に行かせる義務があるわけです。

 

 

その義務は果たさないといけません。

 

何故なら学校でうまくやっていけない子供は、社会に出たらもっとうまくやっていけないからです。

 

 

私が今、何とかうまくやっているのは、「学校に行かず家にずっといるのは許さん!学校に行かないなら今すぐフリースクールに行け!」と、親から無理矢理フリースクールに転校させられたからです。

 

もしあの時、「学校なんて行かなくてもいいよ」と甘やかされていたら、今の私はないと思います。

 

 

きっと、そのまま引きこもりになり、8050問題まっしぐらだったと思います。

 

若いうちに逃げ癖、サボり癖、言い訳、屁理屈なんかを言うような子供に育てたら、後々厄介でもう回収出来なくなります。

 

 

実際、学校に行かなくても死ぬことはないし、何らかの方法で生きていくことは出来るけれど、そのために必要な社会で生きていくための最低限のルールやマナーをもし学校に行かないとしたら、それを親が全部家庭で教えねばなりません。

 

そんな余裕あります?

 

 

さて、どうしたらいいでしょうね。

 

 

子供は学校へ行きたくないと言っている。

 

でも親は子供を学校へ行かせる義務がある。

 

 

ここを本当に限界まで考えるのが自分と向き合うということです。

 

 

有名なメイウェザーの名言で、

 

「お前らが休んでいる時、俺は練習している。お前らが寝ている時、俺は練習している。お前らが練習している時、当然俺も練習している。」

 

という言葉があります。

 

 

内観というのはそれくらいやらないと、深い心理には気付けません。

 

自分と向き合うことに365日休みなどないと思って、やり続けてください。