価値のゲーム | まいすとれーじ

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今日もXからの呟きを載せたいと思います。

 

価値についてざっくり呟いたのですが、それなりに強烈な内容となっています(笑)

 

 

「価値」というのは、言う方も言われる方も最も気を付けなければいけない言葉。人に対して安易に使っていい言葉ではないし、言われる方も価値という言葉に自分の承認を重ねてはいけない。

無価値感の強い人は、自分の存在を承認させるために、価値という言葉に傾倒する傾向があります。この不幸なゲームは、ありのままの自分を自己受容出来るようになるまで続きます。


自分に自信がない、自己肯定感が低い、自尊心が低い、自己否定が強い。このタイプの人は、自分の価値を承認してくれる人に過度に依存します。凄いと言ってもらいたい、価値のある人だと言ってもらいたい。その欲求を満たしてもらえるからです。

この価値のゲームの問題は何かというと、やっている当人同士を取り巻いている周りの人たちに失礼だと言うことです。他人の価値に乗っかりたい人と、価値を認めて欲しい人。そのゲームにギャラリーがいた場合、そのギャラリーは野次馬として利用されることになります。


ここで言う野次馬とは盛り上げ役という意味です。この価値の話は相当深いので、Xではここまでにします。私も当事者として長年ハマったゲームなので、そこから抜けた今、これは伝えねばならないと思っています。

 

無価値感の強い人が、周りの人や場所を使って自分を承認させようとする力は凄いものです。そして自分の価値を認めてくれない、もしくは無価値感を刺激する空間は残酷なほどすぐに切り捨てます。自分を重宝してくれる人や場所だけを大切にするからです。


その判断基準は常に「自分を価値のある人として見てくれるか」です。それが感じられなければ、この空間はつまらないと言って捨てます。どれだけ失礼なんでしょうね。周りは自分の価値を賞賛するだけの道具みたいな感覚です。他でもない、これは昔の私がやっていたことです(笑)

 

自分の価値は本来自分で承認するものです。ありのままの自分をそのまま自己受容出来れば、他者に承認してもらう必要がなくなるからです。自分は凄い人間だ。価値のある人間だ。そうであって欲しい。そう認めて欲しい。そして実はこの裏に黒幕がいるんです。

 

 

※呟きをそのまま載せましたが、実はこの価値のゲームの話ってもの凄く深いんです。

 

「無価値感」「価値」「承認欲求」

 

この3つが絡んだ盛大なゲームを私も昔はやっていましたが、今は自分で気付いて辞めることが出来ました。

 

 

アメブロに書くには重すぎる内容なので、この話の続き(というか記事としてちゃんとまとめて解説したもの)は、メインブログの方に書こうと思っています。

 

最後に書いた「実はこの裏に黒幕がいるんです」

 

↑この話が本当に強烈なのです。

 

 

ここに気付いたらもれなく絶望します。

 

私は深い内観の末、自分のとんでもない価値のゲームに気付き、それを全て言語化しました。

 

私と同じような状況に陥っている人は流れ弾に当たりやすい内容になるので、アメブロではここまでにします。

 

 

またメインの内観ブログは、基本的に自力で見つけて頂くようになっていますが、一年に数回このブログにリンクを貼り、入口を解放することがあります。

 

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