今日は、主体性について書いてみようと思います。
私は、母親が確固たる理想の教育像を持っていて、娘を自分の理想通りの人間に育てたいという意思がとても強かったので、主体性を発揮すると親から否定される環境で育ちました。
母親が望む理想の人間になるためのタスクを日々課され、それを消費するだけの毎日の中で、当然のように私の主体性はゼロだったのですが、
18歳で実家を出た時、今までずっと抑圧され続けていた反動で、
「やっとあのタスク地獄の日々から解放される!これからは自分で決めていいんだ!」
とやっと主体性を発揮出来るようになったと思っていました。
でも、主体的に生きているはずなのに全然幸せではなく、人生そのものはうまくいってはいるものの、心からの充足感や幸福感はあまり得られませんでした。
そうしているうち、40歳の時に倒れてしまい、強制的に足止めをされたことで自分の生き方を改めて見直した時、私が主体性だと思っていたものは実は主体性ではなかったことに気付き、5年前からやっと本当に主体的に生きることが出来るようになりました。
それまでの私は人に決められるのが嫌で、指図されるのが嫌で、命令されるのが嫌で、タスクを課されるのが嫌で、他人から支配されることを避けたいという前提から自分の人生が始まっていました。
支配されたくない、人の言うことを聞きたくない、それを避けるために自分で決めたい、自分で決めることこそが主体性だと勘違いしていたのですが、それは単なる支配からの回避であり、本当の主体性ではありませんでした。
何一つ自分で選べなかった子供時代。
本当の主体性とは?
どんな前提から始めれば真の主体性が持てるのだろうかという問いを考え続け、今ようやく主体的に生きられるようになりました。
随分遠回りをしてしまいましたが、40代にしてやっと自分の人生を生きているという感じがします。
ちなみに私と同じ環境で育った弟は今でも全く主体性がなく、「別に何でもいい。お姉ちゃん決めていいよ。」といつも言います。
弟も何とかしなくてはと思ってはいるのですが、他人は変えられないので、こちらは難儀しているところです(笑)