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角中 勝也 千葉ロッテマリーンズ #61
2011marines kakunaka.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 石川県七尾市
生年月日 1987年5月25日(25歳)
身長
体重 180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト7巡目
初出場 2007年7月24日
年俸 4,200万円(2013年)
経歴(括弧内は在籍年)
日本航空第二高等学校
高知ファイティングドッグス (2006)
千葉ロッテマリーンズ (2007 - )
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2013年
この表について[表示]
2009年8月16日、四日市霞ヶ浦球場にて
角中 勝也(かくなか かつや、1987年5月25日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(外野手)。
目次
1 経歴
1.1 プロ入り前
1.2 高知時代
1.3 ロッテ時代
2 人物
3 詳細情報
3.1 年度別打撃成績
3.2 年度別守備成績
3.3 タイトル
3.4 表彰
3.5 記録
3.6 背番号
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
石川県七尾市出身。「子どもをプロ野球選手に」という強固な信念を持った父親の下、幼少期から野球の英才教育を受ける[1][2]。日本航空第二高等学校では甲子園出場経験はなく、3年の夏は県予選3回戦で敗退。
高知時代 [編集]
2006年に高知ファイティングドッグスへ入団すると、1年目の高卒入団でありながら開幕試合から1番打者で先発起用された。既に首脳陣からの評価は高く、当時監督だった藤城和明は角中を実戦向きの選手と評した。2006年シーズンは主にクリーンアップを任され、打率.253・4本塁打・28打点を記録するなど、勝負所ではパンチ力のある打撃を披露した。また、ウエスタン・リーグに所属するチームとの交流戦にも選出され、日本プロ野球のスカウトからも持ち前の俊足とミートセンスを評価された。
2006年のドラフト会議において、千葉ロッテマリーンズから7巡目で指名を受け、入団。与えられた背番号61について「(独立リーグの)高知では9を付けていた。ロッテの9は福浦さん。いまは無理だが、いつかは9を付けられるように頑張りたい」と抱負を語っている。
ロッテ時代 [編集]
2007年7月24日に一軍初登録され、その日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡Yahoo!Japanドーム)で一軍初出場を2番・中堅手で果たした。 この年の一軍は打率.235に終わるなどレベルの高さを痛感したが、イースタン・リーグではリーグ2位となる打率.335を記録するなど、好成績を残した。また、二塁打が19本(イースタン・リーグ3位)を記録し、高打率の中距離打者として目標としている福浦と似たタイプの選手に成長した。
2008年4月16日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(千葉マリンスタジアム)でプロ初本塁打を記録したが、この本塁打は四国アイランドリーグからプロ野球へ入団した選手として初の公式戦本塁打となった。
2011年は交流戦直前に一軍昇格するも、2試合に出場しただけですぐ降格となった。その後、同年7月30日から8月6日にかけてイースタン・リーグ記録タイとなる11打席連続出塁の記録を樹立するなど、出塁率.423の成績を残してイースタン・リーグ最高出塁率を獲得した。同年8月12日に再昇格すると、同年8月21日の対埼玉西武ライオンズ戦でシーズン初安打、同年8月28日は5安打を記録するなど好調な打撃を見せ、一気に外野の一角に定着した。この年は指名打者での出場や、3番・5番を任されるなど打線の中軸として活躍、最終的には自己最多の出場試合数を得て、打率.266の成績を残した。
2012年4月14日にジョシュ・ホワイトセルと入れ替わって昇格すると、同年4月21日の対埼玉西武ライオンズ戦(QVCマリンフィールド)から角中が打点を挙げた試合は13連勝と勢いに乗り、シーズン序盤のチームの好調を牽引した。その勢いは交流戦でも止まらず交流戦首位打者を獲得、同年のオールスターゲームに独立リーグ出身者として初めて選出された[3]。2012年の首位打者争いは、角中と中島裕之(埼玉西武ライオンズ)が牽引していた。中島は夏場に調子を上げて打率.330に乗せ、秋まで好調を維持して一時は他の打者に3分近い差をつけていたが、9月に入って左脇腹を痛め、打率.310台まで急降下、さらに9月27日からは欠場する。一方、調子を落として一時は打率3割を切った角中は、秋から復調して1ヶ月で1分近く打率を上げていた。迎えた10月1日・2日の対西武戦で2試合連続の猛打賞を記録して中島の打率を上回り、首位打者に躍り出た。首位打者の座から陥落した中島は10月6日の対ロッテ戦で先発出場するも、千葉ロッテマリーンズの監督だった西村徳文はこの試合で角中を欠場させ、先発投手の藤岡貴裕に中島を敬遠するよう指示した。中島は抗議の意であえて空振りした[4]。角中は、首位打者を取らせてくれようとした西村監督に対し「自分のために嫌われ役になってくれて、ありがたい」とコメントしている[5]。中島は10月7日の対オリックス戦にも先発出場したが、前述の脇腹痛によって無安打に終わり、角中の首位打者が確定した。中島は「おめでとうと言いたい」と角中の首位打者獲得を称えるコメントを出した[6]。この年は128試合に出場し、独立リーグ出身者として初の規定打席到達を果たしたほか、打率.312で公式戦首位打者のタイトルを獲得した[7]。石川県出身のプロ野球選手としては松井秀喜以来の首位打者であった[8]。大島康徳は角中を「コンパクトな構えからの巧みなバットコントロールが際立つ巧打者」と評している[9]。また、この年は首位打者を獲得するなどの活躍が評価され、独立リーグ出身者としては初めてベストナインにも選ばれ、大きな飛躍の一年となった。
人物 [編集]
高知ファイティングドッグス時代から、夜でも近所の公園でバットを振ってきていたという。本人は「絶対にプロに行くと決めていたから苦労とは思わなかった」という努力家[10]。
アイランドリーグ時代は主食がファーストフード(主にハンバーガー・牛丼)だったと言い、プロで活躍するようになったのちも「今も変わらない」と笑っている[11]。その一方、副菜として野菜サラダも食べているとのこと。
アイランドリーグ時代は、中村紀洋から提供されたバットを使用していた。森山一人が中村の近鉄時代の同僚だった関係から、中村は自身の用具を大量に高知ファイティングドッグスに提供していた[12]。
2012年の千葉ロッテマリーンズファン感謝祭では、首位打者に輝いた角中が足湯温泉「角中の湯」をプロデュースし、白子温泉からの本物の温泉を足湯に使用し、ファンとの交流を楽しんだ。
2013年1月27日、4歳年上の女性との結婚を発表した[13]。
※ウィキペディアより抜粋
2013WBC Tシャツ発売予約開始
http://p.tl/U-vG
