2013 WBC侍JAPAN 糸井嘉男 | baseball rush(野球選手SNSまとめサイト)のブログ

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糸井嘉男
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糸井 嘉男 オリックス・バファローズ #7
Yoshio Itoi 2009 Japan Series.jpg
日本ハム時代(2009年11月3日、東京ドーム)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府与謝郡与謝野町
生年月日 1981年7月31日(31歳)
身長
体重 187 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2003年 自由獲得枠
初出場 2007年3月27日
年俸 2億円(2013年)
経歴(括弧内は在籍年)

京都府立宮津高等学校
近畿大学
北海道日本ハムファイターズ (2004 - 2012)
オリックス・バファローズ (2013 - )

国際大会
代表チーム 日本の旗日本
WBC 2013年
この表について[表示]

糸井 嘉男(いとい よしお、1981年7月31日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称は「よっぴ」。
目次

1 経歴
1.1 プロ入り前
1.2 日本ハム時代
1.3 オリックス時代
2 プレースタイル
3 人物
4 応援歌
5 詳細情報
5.1 年度別打撃成績
5.2 年度別守備成績
5.3 タイトル
5.4 表彰
5.5 記録
5.6 背番号
5.7 登場曲
6 脚注
7 関連項目

経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]

京都府与謝郡与謝野町出身。学生時代は投手。田中雅彦(ロッテ)、中村真人(楽天)らと同期だった近畿大学では期待されながら、1年秋から先発を務めていた同学年でエースの野村宏之(元オリックス)や、1学年下の貴志款八(現:日本新薬)の陰に隠れ3年春まで関西学生野球連盟のリーグ戦出場がなかった。3年時の2002年秋にリーグ戦デビュー。4年時にエースを任され、春季リーグ戦は5勝無敗(完封勝利2)の大活躍で最優秀選手、最優秀投手、ベストナインの3タイトルを獲得した。通算9勝1敗。2003年秋、日本ハムに自由獲得枠で投手として入団。背番号は26。
日本ハム時代 [編集]

187cmの長身から投げ下ろす最速151km/hの速球は威力があったが、コントロールと変化球に難があり、故障も多かったためプロ入り後は伸び悩み、2004年からの2年間で一軍登板なし。二軍では36試合登板、8勝9敗3セーブで防御率は4.86。

投手としては伸び悩んだが打撃センスと50m5秒台の俊足と強肩は注目されていたため、高田繁ゼネラルマネージャーに野手としての素材を見込まれ、2006年4月25日付で正式に外野手に転向した。シーズン中の一軍出場はなかったが、2006年のアジアシリーズでは28人枠入りし、11月11日のチャイナスターズ(中国野球リーグ選抜チーム)戦に途中出場した。二軍では天性の打撃センスを見せつけ、転向5ヶ月にして9月度のイースタン・リーグ月間MVPを受賞(月間打率.397)。最終的に打率.306、8本塁打、8盗塁を記録した。

2007年は春季キャンプから期待され、開幕一軍入りを果たすが結果を残せず二軍落ち。その後故障もあったが9月に再昇格し、プロ初安打・初盗塁を記録。しかしその盗塁の際に足を痛めてしまい、すぐに二軍落ちとなった。二軍では金子洋平に次いでイースタン・リーグ2位の12本塁打をはじめ、打率.319、長打率.579、14盗塁と好成績を残した。

2008年には左翼手として初の開幕戦先発出場を果たすが、3月30日に楽天戦で負った肉離れを押して試合に出続けた事により、故障箇所を悪化させてしまい二軍落ち。一軍復帰後にはプロ入り初を含む5本塁打を打つ。クライマックスシリーズ第1ステージでは一番打者に抜擢され、守備でも好返球を見せた。

2009年は森本稀哲を押しのけ中堅手として開幕戦先発出場を果たす。序盤こそ相手の先発投手の左右に応じて森本と併用されるが、交流戦辺りから調子を上げ、6月には月間MVPを受賞。不動の中堅手のレギュラーに定着した。打順は主に7番や2番だったが、稲葉篤紀が欠場した際には3番を任されることもあった。監督推薦によりオールスターゲームに初出場した。9月29日の試合で2本塁打の大活躍でヒーロインタビューを受けた際に、チームは首位にもかからず「最後まで諦めず皆さんと戦っていきます!」と球場に迷言を生んだ。ゴールデングラブ賞とベストナイン(外野手部門)を初受賞。10月1日のオリックス戦の試合前には森本稀哲から北海道新幹線大使を引き継いだ。

2010年は退団したターメル・スレッジに代わり主に5番打者として起用された。外野手としてはやや多い5失策を記録したものの2年連続でゴールデングラブ賞を受賞。オフの契約更改で年俸が1億円に到達した。また、背番号を坪井智哉が着用していた7に変更した。

2011年はシーズンを通して3番・中堅手を務めた。統一球導入で苦しむ打者が多い中でも安定した活躍を見せ、リーグ2位の打率.319、チームトップの31盗塁を記録。さらに出塁率は両リーグで唯一4割を超え、自身初タイトルとなる最高出塁率を獲得した。

2012年は右翼手にコンバートされる。前半戦は打率.289、2本塁打と低調だったが、後半戦に入り調子を上げ9月には打率.380、3本塁打をマークし月間MVPを獲得。4年連続で打率3割を達成するとともに、2年連続で最高出塁率のタイトルを獲得した。オフの契約更改では1000万円増の提示を保留[1]。2度目の交渉からは代理人を伴ったが再び保留し[2]、その後の交渉ではポスティングシステムを行使しての翌オフのメジャー挑戦希望を球団に伝えたことも明かした[3][4]。
オリックス時代 [編集]

2013年1月25日に木佐貫洋、大引啓次、赤田将吾との交換トレードで八木智哉とともにオリックス・バファローズに移籍した[5]。
プレースタイル [編集]

均整の取れた体格をしており、50m走5秒76、垂直跳び87cm、遠投120m、握力70kgという高い身体能力を誇る[6]。メジャーのスカウトからは「下半身が安定した打撃はメジャー投手にも対応できる。足が速く、肩も強いので守備範囲も広い。すぐにでもメジャーで通用する」と評されている[7]。

芯でボールをとらえた時に日本人離れした打球の速さと飛距離を見せるパワーを持ち[8]、広い札幌ドームでも左方向に本塁打を放つことができる技術と[9]、カウントに応じて打球方向を変える器用さ[10]、8打席に1つ近い割合で四球を選ぶ選球眼も兼ね備える。打者転向当初の2008年から2010年までは左投手に対して打率.278と苦手にしていたが、統一球導入後の2011年からは対左通算打率.304と克服した[10]。

一塁到達まで4秒を切ることも珍しくなく、バントヒットで一塁到達3.54秒を計測したこともある脚力を生かした広い守備範囲と[11]、投手として最速152km/hを記録したこともある強肩を生かした力強い送球を持ち味とし[12]、中堅守備では中堅後方の打球に強く2010年にはUZR0.9を記録[13]。2012年からは右翼手として起用され、同年には右翼守備でUZR25.9を記録した[14]。一方で「内野手みたい」と自ら語るなど失策も多く[15]、思い切ったプレイを見せる故の故障の多さと守備走塁時の判断力を課題としている。
人物 [編集]

父はトライアスロンの元選手で、母はバレーボールの元国体選手[16]。祖父は元高校体育教師で、教え子には野村克也がいる[10]。

珍発言が多く、同僚からは「宇宙人」と呼ばれる[10]。ドラフト後の球団関係者との会食の後、「どうでしたか?」という記者からの質問に対して「エビフライ」と答えた他[10]、当時の打撃コーチを務めていた大村巌から「目標は世界中の投手を打つことだ」と言われた際には「オレ、日本ハムをクビになるんですか?」と答え[10]、2012年にチームが首位争いをしていたソフトバンクとの試合で勝利後、同じく首位争いをしていた西武の敗戦の報せが入った際には「で、バンク(ソフトバンク)はどうだったの?」と発言し周囲を唖然させた[17]など、数々の珍発言を発しており、特にニコニコして固まっている時はその場の空気を把握できていないという[10]。
応援歌 [編集]

日本ハム時代の応援歌は、作成時は通常の選手同様アカペラの後に応援歌に入ることになっていたが、2012年シーズンからはファンファーレ(アカペラなし)から応援歌に入る形に変更された。特殊なケースで入るのは、2012年まで日本ハムの選手では森本稀哲、田中賢介、稲葉篤紀(チャンステーマ時のみ)に次いで4人目だった。

※ウィキペディアより抜粋

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