50祭 ありがとうございました。 | B-Boy Takeo のブログ

50祭 ありがとうございました。

昨日、2月3日
"50祭" の舞台


無事終えることが出来ました。
まずは、ご来場いただいた全ての皆様、
そして舞台をお手伝いいただいたスタッフの皆様、
本当にありがとうございました。
皆さんのお陰でこの記念すべき舞台を現実のものにできました。
心から感謝いたします。


さて、この舞台、自分が発起人で始めたものです。
まさか50歳まで踊っているとは、
そして踊りを仕事にしているとは自分自身思っていませんでした。
しかし、結局ここまで踊り続ける人生となりました。
50歳という大きな節目に、自分と同い年で、まだ現場で活躍しているダンサーを集めて踊ってみたいと思ったのです。
メンバーは昔から知っている人ばかりだけど、鍵谷君を除いては一緒に踊った事がない人ばかりです。
それでも、この歳まで踊り続けてきたというだけで、既に"仲間"と呼べる大きな前提がありました。

最初にホリエハルキに声をかけて(ハルキとは高校時代、原宿歩行者天国からのつき合いです)、次に鍵谷(カギ坊も高校の時からの友達)、そしてヤナギ、ヒデボウ、ユキと順番に声がけしていきました。
DJミキマサは、ユキ君が連れてきました。同い年だから、一緒にやろうよと。
これで7人が揃いました。
企画がスタートしたのは昨年の夏ぐらいです。
週1のミィーティングで、内容、場所決めなどを少しづつ進めていきました。


そして、本番が近づくにつれて約2週間は怒涛の深夜練習(笑)
この歳での深夜練は本当にきつい(笑)


ダメージが徐々に蓄積し、ハルキ隊長は腰をかなり痛めて苦しんでおりました。
そこまででないにしても、自分も含めて、多くの人が腰痛や、なんらかの不調を感じながらのリハーサル、そして本番でした。


しかし、このメンバーなかなか素晴らしい役割分担。

●HARUKI
映像編集と芝居に燃えたハルキ隊長。
多くの時間を費やして、映像編集のディレクションをしてくれました。
ロケは朝5時にメンバーを集合させる異常ぶり(笑)
でも、そうでもしないと皆揃わない。
俺だったらそんな無茶なスケジュール言い出せなかったと思う(笑)
熱い男にしかできない行動です。
また、全体的なムードメーカーとして多くの役割を担ってくれました。


●YANAGI
全体を見て、
「ダンスが少ない、もう少し入れていかないといけない」
と繰り返し提案してくれました。
ヤナギ君の提案で1週間前に追加されたパートもありました。
冷静な判断で、結果、本当にその通りであり、全体がしまった状態になったと思います。POPの全員ルーティーンの振付ももちろん彼です。


●YUKI
激しさではなく、ゆるさの中にストリートダンス本来のカッコよさを体現できる、数少ないダンサーだと思います。
一言でいうと天才でしょう。
リハーサルではユルユルなのに、本番時の爆発力は半端なく、一緒に踊っているこっちが驚くほど(笑)
お客さんを舞台に上げて楽しむコーナーはユキ君の発想で作られたコーナーでした。これも公演全体を和やかにする、素敵なコーナーだったと思います。


●KAGIYA
裏方作業のほとんどを担ってやってくれました。
フライヤーやチケットの制作から、当日のロビー受付回しまで、KAGIYA無しでは公演自体が回らなかったことでしょう。制作をしながらの本番は集中できない分きついところがありますが、鍵谷君はいつも文句ひとつ言わずに作業をしてくれます。
また、オープニングのソウルダンスは鍵谷君の振付です。


●HIDEBOH
ストリートダンサーの集まりに、一人だけいた舞台のプロがHIDEBOHでした。
芝居や全体構成を含めて、彼の意見、視点が無ければ、この舞台は、よくない意味で全く違うものになっていたと思います。
本当にありがたい存在でした。
また、ご覧になった方は大きく納得されると思いますが、この人のダンスは完璧でゴージャス。エンターテインメントとして確立された安定感と人を魅了する力に溢れていました。


●DJ MIKIMASA
この舞台で、一番普段と違う働きをしたのは、ミキマサ君だったと思います。
普段のDJ PLAY とは全く異なり、ダンサーに合わせた音出し、SE出し、おまけにダンスや芝居も少しやりと、多くの点で慣れない事に対応してきた彼です。
微妙な曲編リクエストも最後に集中し、対応が大変だたと思います。



30年以上にわたるダンス人生の間、深く交わることのなかったこの7人が、50歳になる同級生という事で一緒に1つの舞台を作れたという事は本当に意味があり素晴らしい経験でした。


"50祭"は、自分達に対するセレブレーションの舞台でした。


しかしながら、ご来場いただく全ての人達にも楽しんでもらいたいという熱い気持ちで行った舞台でもありました。


本番中の楽屋、出番を終えたメンバーは常に死にそうな状況でした。
とにかく体力がもたない(笑)
これが歳って事だな。
俺の場合は体力というよりも心肺機能がついていかない状況でした。
今の自分の状態をよく知ることが出来た機会でもありました。

また、この機会に、今まで練習してこなかった技を練習しようと心に決め、昨年の夏ぐらいから少しづつ"2000"の練習をしてきました。
残念ながら舞台で見せられるクオリティまでには全然なっていなかったんですが、この日の為に練習してきた事なので、敢えてやらせていただきました。
普段の自分だったら、この状態だったら本番ではやらなかったと思います。
結果やっぱり失敗してしまい(パワームーヴはそんなに甘くないです)なかなか不甲斐ない姿をさらす事になってしまいましたが、今回はそれも含めて今の自分という事でやらせていただきました。
技を決められなかった事は残念ですが、ブレイク人生35年、49歳にして初めて新しい技に挑戦するという事は、とてもフレッシュでいい体験でした。
そして、技を研究する事で、生徒たちにもその知識を新たにシェアする事が出来ました。

このBLOGがアップされるころ、自分はちょうど50歳になります。
マスター途中のこの技は50歳中の完成を目指して頑張りたいと思います。



"50祭"の舞台。
ここで書き足りないことは本当に沢山あります。



我々がこうやってダンスを踊り続けて来ることが出来たのは、教えていただいた先輩や、支えてきてくれた後輩や生徒さん、そして多くの理解者の方々と、何より家族のお陰だと心から感謝しております。
この記念すべき舞台を経て、次のステージへステップアップしていけるよう我々はまだまだ歩き続けます!!

これからも皆様よろしくお願いいたします。