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翌22日の木曜日はお休みです。


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映画撮影とビジュアル撮影のための

貸出商品サンプルセールです。

 

こんなのや

こんなの

こんなのに

こんなのも

 

あと撮影で使用されましたドカジャンのLサイズも一着

 

 

他も色々とございますので

BBMオンラインのSALEページをご覧くださいませ。

 

全て1つだけで商品によってはサイズも変更できないものもございますので

ご注意くださいませ。

 

なんだか唐突ですが

僕はインディアンネームを持っています。

 

少し長くなりますが

その経緯を

 

僕が今、一緒にお仕事している「よっさん」は

中1からの友達なのですが

大学を一年留年して卒業した後

ローリングサンダーというインディアンのメディスンマンに会いに

単身アメリカに旅に出ました。

 

ローリングサンダーという人は

チェロキー族のとても凄いメディスンマンで

ボブディランやグレイトフルデッドなど

多数のミュージシャンにも支持されていた

僕らの上の世代のスピリチャルリーダー的な存在の人でした。

メディスンマンというのは呪術師とか霊能力者とか

文字にすると胡散臭いですが

自然と共に生きるインディアンの教えを守る

精神と肉体の指導者という感じでしょうか。

 

ついでにいうと、インディアンというのは

インド人という意味で、コロンブスがアメリカ大陸に着いた時に

インドに着いたと勘違いして呼ばれ出した俗称で

ネイティブアメリカンと呼ぶ方が良いらしいです。

でも面倒だからインディアンとしときます。

 

 

そんなローリングサンダーについて書かれた本を読んで

感銘を受けたよっさんは彼の住む家を訪ね

なぜだかとても気に入られて

彼の家に住むことを許されました。

 

ローリングサンダーの家では

住むところを与える代わりに労働や寄付など

自分のできることでお返しをします。

色々な厳しいルールがあり

守らないものは追い出されたりするのですが

 

当時、もうずいぶんと高齢になっていたローリングサンダーは

彼のもとに集まってくる白人のネオヒッピーのような人たちを

力で統制することが出来なくなってきていました。

 

時代もあって、その頃の彼のもとに暮らす人たちの中には

薄っぺらな精神世界風に憧れるパーな奴らもいて

怠惰でだらしなく主張だけする探求者とは程遠い輩で

炭酸飲料禁止すら守れないでダラダラ暮らしていたそうです。

 

そん中で、田舎の農村出身で愚鈍ながら勤勉で

労働を苦と思わないよっさんはとても可愛がられたようです。

 

そんで色々と儀式に参加したりしたりして

 

「リトルマンwithビッグハート」

よっさんのつけられた名前です。

なんとなくブルゾンなんとかみたいですが

最大級の褒め言葉です。

 

そんなこんなで1年ほどアメリカにいたよっさんが

日本に戻ってきてしばらくしてローリングサンダーが亡くなりました。

その連絡を奥さんから受けて、よっさんがもう一度彼のところに行くというので

僕ものこのこ着いて行きました。

 

その旅は3ヶ月くらいかけてアメリカ大陸を横断しながら

ローリングサンダーの家を訪ねるものでしたが

旅費込みで一人30万円のスーパー貧乏旅行でした。

よっさんがローリングサンダーのところで知り合った人たちの家に泊まらせてもらったり

他いろいろな知り合いを頼りながら旅してたんだけど

実は、その時に知り合ったアクセサリーのお店をやっている人に拾われて

なんとなく作ってみたら出来たので、この仕事をするようになりました。

 

まあ、そんなこんなでローリングサンダーの家に行きまして

ビッグハートが来たということで大盛り上がり

その友達ということで僕も優遇されて

普通の人は入れない薬草部屋とかバンバンに入れてもらって

よくわからん儀式とかされて寝て起きたら

次の日からは過酷な労働

グレイトフルデッドというバンドの

ジェリーガルシアという人から貰った土地に

不良たちが侵入して銃を撃ったりするから

その周りにフェンスを立てる作業を

ネバダの荒野で永遠とすることになりました。

 

ローリングサンダー亡き後

彼のコミュニティーに残っている数人と一緒に

鉄製のでっかい鉛筆のキャップみたいなのを

これまた鉄製の棒にかぶせて

キャップの両側についている取っ手を持って

ガンガン地面に打ち付けるという作業を

ひたすら数マイルやり続けました。

 

 

そんなわけで

って、どんなわけかわからんですが

どこまでも長くなりそうなので

滞在中のお話これくらいにして

 

 

ローリングサンダーの家を後にした僕らでしたが

まだ旅は続きます。

 

そこで知り合った人に世話になって

泊めて貰ったりしながら

といっても彼らも超絶貧乏無職イン ザ スカイで

貧しさのもたれ合い、肩寄せ合って行こうぜUSA

 

そんな感じでショボショボとアメリカの片隅で

唾とか石とかで遊んでいましたら

カジノがあるけど行くかい?なんて言われまして

 

アメリカのカジノというとラスベガス

わおキラビヤか、というイメージですが

全然違います。

 

アメリカの中には

インディアンのリザベーションというのがありまして

まあ迫害された先住民族たちが

この中だったらある程度好きに暮らして良いよ

というような居留地で

詳しく話すと根の深い差別とか社会の問題になるので

 

まあ税金的なこともポワーンとして

貧乏ながらノラリクラリと暮らせるような

隔離された場所なんですが

 

そんな中でも格差が生まれてくるもので

居留地の中の実力者がしょぼいカジノをやっていたりするのです。

 

コイン一枚1セントという駄菓子屋のようなスロットがあったり

装飾もボロンボロンで照明もチカチカ切れかけてたり

場末感満載の中てきとーに座って

よくわからずやっていると当たりまして

気がつくと周りは人だかり

 

しょぼカジノで一番の長者となりまして

興奮しながら換金すると

5000円くらいでした。

 

周りのインディアンたちから

ユーアー スーパーデューパーラッキーマンなんて言われるのですが

日本のパチンコ以下の儲けに落胆して

 

もう少し高いレートのマシンは無いのか

と聞いてみると

奥にこのカジノで一番のモンスターがあるぜ

と歯の抜けたジジイインディアンに言われて

 

当時、僕も歯がなかったので

お互いにみすぼらしい顔を並べて、そのスロットに案内してもらうと

 

コイン一枚5ドル、基本3枚かけるので1回15ドル

 

実はアメリカに来るまでジャパンでずっと賭け事ばかりして暮らしていたので

糞ギャンブラー魂に火がつきまして

よし、やろうと席に座ると

機械に電源が入っていなくて

店員のジジイを呼ぶと、彼も歯がなかったのですが

よぼよぼコンセント入れてくれました。

 

田舎の便所みたいに薄暗い光がつきまして

よっしゃやったるか

一瞬で先ほどの勝ち分が無くなりました。

 

あったーきた。頭にきて僅かな有り金全部突っ込んで

有り金が無き金になりました。

 

10分かかりませんでした。

振り返ると先ほど僕の周りにいた人たちが

遠巻きに僕を囲んで

驚嘆と畏敬の混じり合った瞳でこう言いました。

 

ファイブダラーマン

5ドルの男

 

俺はずっとここに来ているけど

このマシンが動くのを初めて見たぜ

なんて言われながら握手を求められて

僕はそのインディアンカジノの指導者になりました。

 

外に出ると大平原に沈む夕日が目にしみました。

なんでかわからんけれど

大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」

が頭の中で流れました。

 

それから知り合いの家に転がり込んで

プリペイドの電話カードで国際電話して

日本から友達呼んでお金を借りて

そのお金を握りしめてもう一度カジノに行って

再び一瞬で無くなったのですが

それはまた別のお話。

 

というわけで

よっさんはリトルマンwith B

僕はFIVEダラーマンになりました。

 

 

なんで唐突にこんな話をしたかというと

なんとなく羽ってつくったことないなと思い

なんとなくつくっていたら

なんとなく昔のことを思い出したのです。

 

大した志もストイックさもなく

工業製品の原型として制作しましたが

出来たので一応出します。

 

 

なんとなく覇気もなくつくってしまい

気がひけるので安くしました。

 

羽ちゃん 大 燻しまし

 

羽ちゃん 大 白だし

 

 

羽ちゃん 小 燻しまし

 

羽ちゃん 小 白だし

 

それでは

これからも

大きな心のチビと

5ドルの男が細々と営む

場末の彫金屋さんをよろしくお願いいたします。