■生い立ち

今日から何日かかけてプロフィールを作り直したので
書いていきたいと思います。

ここから~

私が生まれたのはオイルショックのあった1971年です。

“太陽にほえろ!”のボスで有名な、石原裕次郎が
住んでいた世田谷区の成城で生まれました。

自己紹介に変えて、私の生い立ちと仕事への想いに
少しだけお付き合いください。

今でも覚えていることがあります。

幼稚園に通っていた 幼少時代。
父から買ってもらった自転車で、
父を駅まで迎えにいくのが楽しくて
仕方ありませんでした。

普段は厳しい父もそのときばかりは
笑顔で一緒に歩いてくれたのを今でも
覚えています。

父は保険の営業マンをしていました。


全国で1位の輝かしい営業成績を残すほどでした。

父からは
「喧嘩をしたら勝つまで帰ってくるな!」
「絶対に、最後まであきらめるな!」
いつも私に男であれと、厳しくしつけをしてくれました。

父は左手の指が溶けています。

幼少時に火傷を負ったためです。

今でも左手にはハンカチを握り
指の形状は残していない指をさりげなく
隠しています。


しかし、ハンディを負いながらも、
上京し仕事で全国NO1営業マンに駆け上がりました。

幸せな家庭を築き、私を育てあげてくれたことを
とても誇りに思います。

子供の頃、父親のワーゲンに乗って、父の田舎
福島に一緒に行った思い出が忘れることができません。

田舎の緑豊かな広い庭と、透き通るような青い空。

ドラム缶の上でバーベキューをしたり、海で父と
遊んだりしたことが今でも鮮明に覚えています。

そんな環境で育ったおかげでしょうか。

私はみんなで和気あいあいとすることに喜びを感じます。
父の薦めもありチームスポーツの道を歩み始めました。

小学校、中学校、高校、大学と野球やラグビーで
明け暮れる学生生活を送りました。

そんな私も人並みに思春期を迎えたころ父に対して
の反発や反抗し続けたこともあります。

思い返すと恥ずかしい次第です。

今では心から最も尊敬するひとは?と聞かれれば、
間違いなく父の名を一番にあげます。