B.B.CLOVERSホームページを更新致しました!
どうぞご覧ください。
みなさん、こんにちは!
B.B.CLOVERSの萩島です。
またまた、アップまでにお時間が空いてしまいました。
申し訳ございませんm(_ _)m
ご好評を頂いております、B.B.CLOVERS コラム【甲子園の教訓】シリーズ 最終回を配信致します。
今回は、私が「甲子園から学んだこと」など、シリーズのまとめをお伝えしていきます。
引き続きお楽しみください!
B.B.CLOVERS コラム【甲子園の教訓】
No.10:最終回 ~甲子園の教訓~
コラム第9回では、帰京後のさらなるエピソードをお届けしていきました。
第10回の今回は、いよいよ今コラムのシリーズ最終回。
「甲子園」という経験を通して、僕自身が得ることが出来た教訓をお伝えしていきます。
【写真:僕が実際に甲子園で着けた背番号「10」】
帰京後に僕を待ち受けていた様々な出来事、それは18歳の傷ついた心に塩を塗られる様な苦痛を伴うものでした。
僕は夏休みが終わる頃、大好きだったはずの野球に一切触れたくない自分に気づき、「野球を辞めよう」と決断したのです。
夢にまで見た甲子園で、僕が経験したのは「恐怖」。
なぜ、大好きな野球で、憧れの甲子園で「恐怖」を感じなくてはいけないのか、僕は心の整理をつけることが全く出来ずにいました。
そんな僕は野球に裏切られてしまった気がして、大学へ進学したら別のスポーツを新たに挑戦しようと思い始めていました。
そして、季節は流れて秋。
野球はポストシーズンを迎え、プロアマ問わず、さらに熱い戦いを繰り広げていきます。
そんな時に、僕の心を揺さぶる出来事がありました。
それは「六大学野球・早慶戦」でした。
当時は早慶それぞれに桐蔭の先輩が所属し、とても活躍されていました。
僕はまだ野球を観たくない自分と、先輩方が活躍する大学野球に触れてみたい自分とを天秤にかけ、後者を選択し、神宮球場へと足を運んだのです。
そこには、僕の想像をはるかに上回る観客数、そして母校への応援を凄まじい迫力で繰り広げる学生たちの姿がありました。
そして、ダイアモンドで躍動する先輩たち。
僕はその空間にすぐに引き込まれました。
と同時に、僕の中に潜んでいた野球に対する情熱が、また少しずつ沸き立つのを感じて、試合の一挙手一投足を食い入るように見つめていました。
「俺、やっぱり野球が好きだな・・・」
白熱の早慶戦が終わり、素晴らしい活躍をした先輩方への挨拶を終えて神宮球場を後にする頃には、僕の心にはそんな気持ちが芽生え始めていました。
それからの僕は、約17年間、大学野球を経て、社会人野球までプレーを続けました。
そして、今年からはまた新たなチームでユニフォームに袖を通しています。
そんな僕の野球人生ですが、やはりその中心にはこの甲子園での経験を通して得た教訓がありました。
甲子園が教えてくれたことその①
「リスペクト」
今コラムでもご紹介した、横浜高との壮絶な県大会決勝戦、そして沖縄尚学高との甲子園開幕戦での激闘。
この熱い戦いの命運を分けたのは、コラムNo.4でご紹介した「リスペクト」の差ではないでしょうか。
どんな相手にでも忘れてはいけないのが「リスペクト」。
これを甲子園に教えてもらった気がします。
甲子園が教えてくれたことその②
「甲子園の魔物」
想像していないような出来事が突然起こることから、「甲子園には魔物が潜む」とよく言われるのをご存知の方も多いかと思います。
でも、僕は自身の甲子園での経験を通して、魔物が潜む場所は「選手の心」だと感じています。
前述の①とも共通しますが、試合への準備などを通して、いかに気持ちをフラットに整えることが出来るか。
大舞台であるからこその難しさを教えてもらった気がします。
甲子園が教えてくれたことその③
「何度でも」
僕はこのコラムでご紹介したように、18歳の少年としては少々厳しすぎる経験をしたのかもしれません。
でも、もう一度立ち上がって、野球というスポーツと向き合って自分の人生をリセットしました。
その野球を通して、今日まで僕にとってかけがえのない、たくさんの方々と出会うことが出来ました。
このコラムの冒頭にも書きましたが、僕がもし野球に背を向けて他のスポーツに行っていたら・・・。
僕にはきっと今のような人生は訪れなかったでしょう。
その時は苦しすぎる経験でも、それを次のステップへのチャンスと捉えることが出来れば、何度でも自分の人生を違った形で切り開いていける。
そんなことを教えてもらった気がします。
もっともっと教えてもらったことがありますが、この3点に集約されているのではないかと感じています。
また、この3点はよく世間一般で言われる類のことではありますが、改めて「自身の経験を通して得た教訓」だからこその何にも変えられない価値があると思っているのです。
さて、今回写真を掲載した、僕が甲子園で着けていた背番号「10」。
実は、「あの日」から洗濯しないまま保存してあるのです。
番号の左上には、それを物語る甲子園の土の汚れがそのまま残っています。
僕は辛いことや、嫌なことがあると、この背番号を見ることにしています。
そして、その時の経験を通して得た教訓を思い返して、気持ちをリセットしています。
きっと、皆さんにも僕と同じように「心に寄り添うもの」が必ずあると思います。
それを是非大事にしてください。
そして、気持ちをリセットして、フラットな状態で次に向かってください。
皆さんのこれから先にあるのは「未来」だけです。
もちろん、時として「過去」を振り返ることも大事でしょう。
でも、「未来」をどう生きるかが最も大事なのではないでしょうか。
このコラムを読んで、ご自分の次の夢や目標に向かっていく気持ちが少しでも明るくなった、そんな気持ちになって頂けているなら僕はそれ以上に嬉しいことはありません。
最初は2~3回で終了しようと思っていた、このコラム【甲子園の教訓】シリーズ。
書き始めている内に、最後は僕の甲子園で着けた背番号「10」で終わりたいと思い、ここまで様々なことを書き綴ってきました。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
本当に色々な方々からの反響に驚いたと同時に、それを書く活力へと変えさせていただきました。
この場をお借りして深く御礼申し上げます。
さて、そんなB.B.CLOVERSコラム【甲子園の教訓】も今回で最終回を迎えますが、既に「次はいつか、何か!?」などの嬉しいコメントも頂戴しております。
そんな方々に朗報(?)です!(笑)
実は、既に次回のシリーズのテーマを決定いたしました!
そのテーマは近日中に発表いたしますので、是非楽しみにお待ち頂けましたら幸いです。
それでは、またお会いしましょう!
B.B.CLOVERS
萩島賢
~B.B.CLOVERSは、「+αプラスアルファ」を引き出し、確かなチカラを全てのアスリートに~
B.B.CLOVERSはあなたの夢や目標の達成を全力でサポートいたします。
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B.B.CLOVERSの萩島です。
少々お時間が空いてしまいました。
申し訳ございません!
ご好評を頂いております、B.B.CLOVERS コラム【甲子園の教訓】シリーズ No.9を配信致します。
今回は、さらに敗戦後のエピソードなどをお伝えしていきます。
引き続きお楽しみください!
B.B.CLOVERS コラム【甲子園の教訓】
No.9 ~「甲子園」って一体・・・?~
コラム第8回では、開幕戦敗戦直後からのエピソードをお届けしました。
第9回の今回は、さらにその後のエピソードなどをお届けしていきます。
【写真:当時の報知高校野球の本文記事】
さて、傷心の桐蔭ナインを乗せた新幹線が新横浜に到着します。
コラムNo.2でも紹介させていただきましたが、甲子園への出発時には300~400名の県民の方々が朝日新聞の小旗を振りながら、大声援で僕たちを送り出してくれました。
前日の開幕戦敗戦からまだ約24時間です。
僕たちの降り立った新横浜のホームには、それが当たり前かのように誰の出迎えもありません。
出発時の興奮がまるで夢の出来事だったかのように、むしろ静まり返っているといった感じでした。
その光景が僕の胸をまたも締め付けます。
そして、ホームから階段を降り改札口へと向かいます。
僕はまるで犯罪者になったかのような心持ちで、顔を伏せて下だけを見て歩いていきます。
そして、改札を出ると、そんな僕に声をかけてくる人が・・・。
その声に反応した僕は、声のした方向に恐る恐る顔を向けます。
そこには見覚えのある顔が・・・。
声の正体は、渡辺憲一くんでした。
憲一は中学校時代の野球部同期で、オフの時はよく一緒に遊んだ記憶があり、野球部のメンバーの中でも特に気が合う一人でした。
そんな憲一が、僕のことを心配してわざわざ新横浜まで出迎えに来てくれたのです。
「ハギ、お疲れ様!よくやったぞ!」
僕はその言葉に無言で頷きました。
いや、それしかできませんでした。
今思えば、そうやって誰の出迎えもないと思っていた中、「僕のためだけ」に来てくれた友人がいたことは本当に感謝しても足りないくらいに嬉しい出来事です。
しかも、憲一も中学校卒業後は県立高校に進み、同じ高校球児として甲子園を目指した一人なのです。
憲一にだって夏の悔しさがまだ残っているはずです。
そんな中、「僕のためだけ」に新横浜まで来てくれたのです。
それでも、僕は彼のそんな優しさあふれる行動に対し、頷くことしかできなかった・・・。
裏を返せば、僕の精神状態はそれだけ不安定だったと言えるのでしょう。
でも、20年越しにはなってしまいましたが、この場をお借りしてそんな優しい憲一にお礼を言わせてください。
「憲一、本当にありがとう。一生忘れないから。」
僕は憲一の見送りを背に、学校へと向かうバスへと乗り込みます。
バスは甲子園出発時に通った道と同じ道を反対方向へと走り、学校へ向かいます。
そして、僕の目には横浜そごうが見えてきました。
そうです、出発時の横浜そごうには、僕たち桐蔭ナインの甲子園での健闘を祈る大横断幕が掲げられていたのです。
その横断幕は・・・。
既に撤去されていました。
昨日まではあったはずの大横断幕。
「それを外したのは・・・俺だ・・・」
そんな気持ちが僕の心全体を支配します。
既に切羽詰った精神状態の僕には、神奈川県全体を敵に回してしまっているのではないかという恐怖心が襲ってきていたのです。
そして、横浜そごうを通過したあと、僕の記憶はまた途切れます・・・。
次に記憶を取り戻すのは、チーム解散後に実家へと戻った直後からです。
ここで、さっきバスの中で感じた恐怖が現実のものになるとは全く想像していませんでした・・・。
前日の甲子園には、両親、それから叔父と従兄も大変なスケジュールを縫って、僕の応援へと駆けつけてくれていました。
神奈川の決勝戦後に流した、両親への感謝に対する涙。
その涙から数日。
僕はその両親への感謝を甲子園で表現することができなかった。
どんな顔をして両親の前に出ていこうか・・・。
そんなことを考えながら、玄関のドアを開け、リビングへと入っていきます。
「おかえり」
いつも通りの言葉で迎えてくれます。
僕は、「ありがとう」と言うべきなのか、「ごめんね」と言うべきなのか分からない自分が苦しくて、結局何の言葉も口にしなかった記憶があります。
しばらくして、普段は穏やかな父の表情がいつもと違うことに気づきます。
僕はそんな父に言葉をかけます。
「どうしたの?」
父は「いや・・・」と言ったあと、「賢だから言うけど・・・」と重々しい口調で切り出しました。
事情を聞くと、萩島家にある見知らぬ人から1本の電話が入ったとのこと。
その内容はいわゆる苦情の電話だったようで。
そして、その人が残した言葉は・・・。
「神奈川県の恥さらしがっ!!!」
みなさんが僕だったらどう感じますか・・・?
僕はそんな言葉を浴びせられることになった親に対し、申し訳ないという気持ちを優に通り越してしまった複雑な感情と、初めて「俺、殺されるのかな・・・?」と真剣に考えたことを覚えています。
そして、それ以降、僕は家から一歩も出ない真夏の日々を数日過ごすことになるのです。
写真の記事にもありますが、プレーの内容はどうであれ、悪返球・悪送球・サヨナラエラーをしたのは「桐蔭の萩島」なのです。
それだけをクローズアップした記事を見た方は、当然、100%僕が悪いという印象を持つことは致し方ありません。
でも、僕はそれで良いと思っていました。
みんなは頑張ったんだから、僕だけが責められれば良いと。
しかし、同時に、憧れだった「甲子園」が、18歳の僕にそこまでの試練を与える場所だとは、これっぽっちも想像していませんでした。
「甲子園って一体・・・?」
「怖い・・・」
確かに、土屋監督も怖かった!(笑)
でも、憧れの甲子園に出場した後に感じたのは「恐怖」。
僕の人生で恐怖を抱いたのは、後にも先にもこの甲子園後だけです。
「甲子園って一体・・・何?」
そして、僕の記憶はまた途切れました。
2週間後に途切れた記憶が戻ったとき、僕は体重が12kg減っていました。
この記憶が途絶えている間、何を食べたのかももちろん覚えていません。
食べていたのだとしても、ストレスによって減少したのでしょうね。
これも怖いですよね。
そして、高校生最後の夏休みが終わる頃、僕は「野球を辞めよう」と決意しました。
(続)
コラム第10回はいよいよ最終回!
~甲子園の教訓~をお送りします。
お楽しみに!
~①から続く~
帰り支度を終え、甲子園の出口へと向かう桐蔭ナイン。
急ぎ足でバスへと乗り込み、宿舎へと向かいます。
カーテンを閉め切ったバスの中は無言で、誰一人として口を開きません。
そんな空気の中、土屋監督が話し始めます。
「3年生、今日まで付いて来てくれてありがとう、ご苦労さん」
仲間たちの嗚咽が再び聞こえ始めました。
僕もどれだけ流したか分からない涙が再び溢れ出してきます。
と同時に、また自責の念です。
この繰り返しが果てしなく続くのです。
そして、宿舎に到着した桐蔭ナインを宿舎の関係者の方々が温かく出迎えてくれます。
健闘を称える拍手の中、一人、また一人とバスを降りていきますが、足を負傷している由伸は一人でバスを降りることさえできません。
「下級生がこれだけカラダを張って戦ってくれた試合を落としてしまった・・・」
またしてもそんな気持ちが僕の胸を支配します。
そして、部屋へと戻り、何気なくスイッチをいれたTV。
そこには、こんなタイミングでという偶然さでニュースが流れています。
「今日から真夏の祭典、夏の高校野球がスタートしました!」
「その甲子園、開幕戦から大激戦となりました!」
そんなキャスターの声が流れてきます。
そして、最後のシーンが画面に映し出されます。
僕はそれに目を背けたくなりながらも、必死に固唾を飲んで見守ります。
宜保選手が放った打球がライト前へと抜けていきます。
甲子園に響き渡る大歓声。
僕は前進してバックホーム!
そして、キャッチャー・深田の手前でハーフバウンドしたボールがバックネットへと転がっていきます・・・。
「あ・・・」
思わずそんな声を出した覚えがあります。
その直後に、言葉にはしなかったものの、僕を支配した気持ちはこんなものでした。
「ちゃんと投げてる・・・」
それは、「本当は誰が悪い」とかから来る気持ちではないのです。
自分がしっかりとバックホームしていたことを確認できたことで、心の中に少しだけ安堵感が生まれたのです。
夕食を終え、徐々に敗戦のショックから切り替えることが出来始めた桐蔭ナインは、各部屋に集まり、高校野球生活を終えた感想や思い出話を始めます。
それは、僕にとっても楽しいひと時で、サヨナラエラーの苦しさから少しだけ解放してくれました。
その夜です。
ベッドに入った僕は、その日からしばらく寝ようとするとフラッシュバックされる「ある音」を聞きます。
それは、延長12回ウラの最後の場面で、僕が左耳で聞いた1塁側アルプススタンドからのつんざく様な歓声と、あの指笛です。
もちろん、これは僕の頭の中だけでしか聞こえない音です。
この日から、この音が聞こえない日がしばらくの間ありませんでした・・・。
そうです、ほとんど眠れない日々が続いたのです・・・。
翌朝です。
桐蔭ナインは短い神戸滞在を終え、この日横浜へと戻ることになります。
この時、同部屋のメンバーが帰りに履く靴下が見当たらないからと、一緒に近くのコンビニへと行くことになったのです。
コンビニの入口には、たくさんのスポーツ新聞などが並んでいます。
僕は恐る恐るその中の1紙を手に取り、新聞を開いてみます。
新聞の一面にはプロ野球の記事が掲載され、中のページを確認します。
そこには桐蔭の記事が見当たりません。
僕は不思議に思って新聞を一旦閉じます。
そうすると、僕の目に見慣れた文字が裏一面に大きな活字となって掲載されているではありませんか!
「桐蔭・萩島、延長12回痛恨のサヨナラ悪送球!」
少しだけ緩んでいた僕の胸を、また自責の念が強烈に締め付けます。
僕は各紙少しずつ目を通すことにしました。
その中には、僕が言ったコメントの最後の部分だけを切り取って掲載したものもありました。
延長12回痛恨のサヨナラエラーを犯した、桐蔭・萩島右翼手のコメント:
(甲子園に出場できて)「満足です」
・・・(*_*)
言うと思いますか?
サヨナラエラーした張本人が、そんなこと言いますか!?
また涙が落ちそうになりました。
なかなかコメントが取れない僕に嫌気が差した記者さんの記事なのでしょうが、この記事を見た僕は深すぎる心の傷を負いました。
宿舎に戻り、最後の記念撮影を終え、バスへと乗り込みます。
実は、この写真を後日頂いたのですが、僕はその写真に映る自分の表情に驚きました。
顔いっぱいに笑顔を浮かべるメンバー、少しはにかんだような表情のメンバーなどがいる中で、明らかに一人だけ複雑な表情を浮かべているのです・・・。
また、この写真を頂いたので撮影したことが分かりましたが、僕にはこの写真を撮った記憶がないのです。
実は、この日から、僕にはところどころ記憶がない日があります。
この日も、宿舎を出発した後、新幹線に乗り、新横浜駅に到着するまでの記憶がありません。
しかし、僕の記憶は、新横浜駅に到着した直後からしばらくの間は鮮明にインプットされています。
それは、僕にとって、やはり苦しすぎる光景でした・・・。
(続)
コラム第9回は~「甲子園」って一体・・・?~をお送りします。
お楽しみに!
B.B.CLOVERSの萩島です。
コラム【甲子園の教訓】シリーズ No.8を配信致します。
甲子園開幕戦の敗戦後のエピソードをお伝えしていきます。
文字数の関係で、今回も①と②に分けて配信いたします。
引き続きお楽しみください!
B.B.CLOVERS コラム【甲子園の教訓】
No.8 ~開幕戦敗戦、その後~
コラム第7回では、激動の甲子園開幕戦の結末をお届けいたしました。
第8回の今回は、開幕戦敗戦直後からのエピソードをお届けしていきます。
【写真:延長12回の最後の打席へと向かう直前の筆者】
1992年・第74回全国高等学校野球選手権大会の開幕戦、桐蔭学園-沖縄尚学は延長12回、3時間50分に及ぶ激闘の末、沖縄尚学に軍配が上がりました。
なお、この3時間50分という試合時間は、長い甲子園の歴史の中で、開幕戦最長試合としての記録が未だ破られておりません。
さて、自らのサヨナラエラーによりこの激闘に終止符を打つ形になってしまった茫然自失の僕は、試合が終わってもまだ何が起きたのか分からないくらい混乱しておりました。
ホーム上での整列を終え、3塁側ベンチ前で30年ぶりに夏の甲子園に流れる沖縄尚学の校歌を聞きます。
この時の僕の心境を一言で表すならば、「恐怖」でした。
自分が何を起こしてしまったのか分からない、未知の恐怖に駆られていたのです。
最後のプレーの直後は、しっかりとコントロールをされたボールを投げた自信がありました。
それが、時間が経つにつれて、それこそが実は幻想で、本当はバックネットまで届くような大暴投をしたのが現実では!?と考えていたのです。
今思い出しても、その時の「恐怖」は相当なものでした。
そして、桐蔭ナインは応援してくださった皆さんがいるアルプスへとゆっくり歩を進めます。
アルプスの前に整列した僕は、皆さんに対し顔を上げることさえできません。
そんな時に聞こえてきた声はこんな言葉でした。
「萩島、よくやったぞ!!」
僕はその声の主が誰かすぐに分かりました。
それは、当時僕と同じクラスで、桐蔭学園の応援団長でもあった齋藤 和紀くんでした。
「サヨナラエラーをした俺に、何で・・・」
一瞬にして目の前が真っ暗になり、僕はその場で泣き崩れました。
必死に堪えても、今までに流したこともない量の涙が溢れ出してきます。
「みんなに申し訳ない、俺のせいで・・・」
僕にはそんな自責の念しか湧いてきません。
そして、その場を動くことのできない僕の背中をそっと押してくれる人がいました。
土屋監督です。
監督が僕と目は合わせないものの、口を真一文字に結び、無念の表情をありありと浮かべていたことが忘れられません。
実は、この時の土屋監督、38歳。
まさしく、今の僕と同じ歳なのです。
20年の時を経て、今こうやってコラムを書いていることが何だか偶然ではない気がしてきます。
さて、何とか3塁ベンチへと戻った傷心の桐蔭ナインですが、そこには高野連の役員さんたちが数名。
開幕戦の試合開始から既に4時間以上が経過し、この日はさらにまだ2試合が残っているという状況で、彼らが考えることはただ一つ「スムーズな進行」。
とにかく、早く3塁側ベンチを空けるように必死の形相で僕たちを促します。
「甲子園の土はもうムリだよ!!」
「泣くなら裏で泣いて!!」
・・・(*_*)
ちょっと・・・と思いませんか・・・?(苦笑)
もしあの時代にブログが存在していたら、間違いなく「炎上」でしょうか・・・。(笑)
僕は言われた通り(?)、甲子園の土も取らず、裏で泣き続けました。
そして、桐蔭ナインは揃って甲子園ベンチ裏の通路へと引き上げていきます。
その時、たまたま列の先頭で引き揚げていってしまった僕を見つけた十数人の大人たちが突然取り囲みます。
「何事・・・?」
瞬く間に、僕は大きな荷物を抱えたまま身動きが取れなくなります。
「萩島くん、最後のプレーについて一言!」
「最後は一体何が起きたの!?」 → 僕が聞きたい・・・(*_*)
「今、どんな気持ち!?!?」
そんな、矢継ぎ早の質問が何度も繰り返され、未だに放心状態の僕はうまく答えることができません。
記者からそんな僕に対しての不満が漏れます。
「ラチあかんわ・・・怒」
・・・(*_*)
厳しいですよね・・・。
たった今、子供の頃から憧れ続けた甲子園で「サヨナラエラー」を犯してしまった18歳の少年を前にした一言にしては・・・(苦笑)
その直後、ちょっと離れたところから僕を呼ぶ声が。
「萩島くん、こっち来て、お立ち台に立って!!」
「・・・えっ?」
「お立ち台って、お立ち台・・・??」
僕はNHKの人に促され、「お立ち台」へと案内されます。
まったくこちらの意思など関係ありません。
立ちたいか?立ちたくないか?と聞かれたら、当然後者の心境でしょう。
しかし、そんなことはお構いなしです。
おそらく、囲み取材ではうまく答えられない僕を何としても喋らせようとしたのでしょう。
そして、僕は眩しいくらいに照明が当たる、最初で最後の「お立ち台」に立ちました。
その時です。
明らかにカラダに異変が起きました。
僕のカラダから流れ落ちる汗が急に増えたのです。
「ポタポタ」とか「ダラダラ」とかいうレベルではありません。
まさに「滝の様な」汗なのです。
見る見る内に、僕の立っている足元のお立ち台が汗で濡れていきます。
あれは一体何だったのでしょうか・・・?
おそらく精神的苦痛が伴ってのストレスによるものであることは間違いないかと思いますが、その時の汗の量は本当に尋常でなく、その日2回目の「恐怖」が僕を襲っていました。
「俺、大丈夫かな・・・?」
しばらく記者の方々の質問を受けたあと、僕はお立ち台を降りました。
そこにはまだ敗戦に呆然とする仲間たちがいます。
僕はその一人ひとりに涙を流しながら声をかけます。
「ごめん・・・」
それしか出てきません。
本当に言葉が見つからないのです。
でも、そんな僕に対し、仲間たちは、
「気にするな、お前のせいじゃない」
また涙が溢れてきます。
2年半という短い間でしたが、あまりにも濃い時間を共有してきた仲間たちと同じユニフォームを着て戦うのもこれが最後かと思うと、何とも言えない寂しさで胸が苦しくなりました。
と同時に、それに終止符を打ってしまったのはこの僕なんだという激しいまでの自責の念から、謝っても謝っても足りないくらいの違った苦しさが心を覆っていました。
~②へ~
B.B.CLOVERSの萩島です。
続いて、コラム【甲子園の教訓】シリーズ No.7 ②を配信致します。
引き続きお楽しみください!
【写真:当時の報知高校野球に掲載された記事】
野球に詳しい方ならすでにお気づきでしょうが、状況は2死1,2塁です。
そうです、ランナーは投球と同時にスタートを切るわけです。
この状況を受けて、外野手はできる限りの前進守備を敷きます。
ランナーのホーム突入を防ぐことができなければ、それは同時に敗戦を意味するからです。
もちろん、ライトを守る僕も前進します。
一歩、また一歩・・・。
そして、由伸が投じた8球目、宜保選手がやや詰まりながら弾き返した打球は1、2塁間へ!
2塁手の横川が滑り込みながら打球へとチャージします。
しかし、打球はグラブの先をすり抜けライト前へ!
ライト・萩島、猛然とダッシュして打球を掴み、全力でバックホーム!
この時、打球へとチャージする狭い視野の中で、2塁ランナーが3塁を回りかけていたことをかすかに覚えています。
そして、僕は中継プレーの準備でホームとの間に居る1塁手の副島を目標に送球します。
もちろん、ダイレクトでホームへとつながる強さで。
この時、桐蔭ナインが想像していない出来事が起こります。
なんと、この状況で3塁コーチャーが2塁ランナーのホーム突入にストップをかけたのです!
これは本当に想定外でした。
確かに僕は前進守備を敷いていましたし、強いボールを返球しました。
しかし、この場面で2塁ランナーの突入を制止する選択肢は考えられませんでした。
しかし、この状況をしっかりと確認していた選手が桐蔭ナインの中にたった1人だけいたのです。
キャッチャーの深田です。
深田は突入をやめた2塁ランナーの動きを瞬時に把握し、1塁手の副島に向かって声を出します。
「カット!!!!」
しかし、この時の深田の声は、無情にも甲子園の大歓声と悲鳴とでかき消されました。
そして、2塁ランナーが突入してきていると思っている1塁手の副島は、僕の送球をカットせずにダイレクトでホームへと繋ぎます。
ここで、カットの指示を出していた深田の動きが若干遅れます。
さらに悪いことに、ホーム手前でワンバウンドした僕の送球が若干イレギュラーしたのです。
何故でしょうか・・・?
この時、既にイニングは12回、ライトからホームへの送球は、バッターが打った後に1塁へと走る走路に重なるのです。
そうです、よりによってこの状況で甲子園の中で一番荒れている場所にバウンドしてしまったのです。
このイレギュラーも想定していなかった深田、何とかこのボールを体を張って止めに行きます。
が、送球はその意に反して深田の脇をすり抜けていきます。
そしてバックネット方向へ・・・。
しかし、そこには由伸が!!
・・・居なかったのです。
何故でしょうか・・・?
野球を経験されてピッチャーを経験した方ならお分かりいただけるのでしょうが、ピッチャーの経験が長ければ長いほど、1、2塁間のゴロに対して、ピッチャーは1塁のカバーリングへと走るクセが付けられているのです。
この時の由伸も、その習慣に従って一旦1塁方向へとスタートを切っていたのです。
しかし、通常であればゴロが外野へと抜けたことを確認したら、すぐにホームのバックアップへと方向転換すれば送球には間に合うはずです。
この時、さらなる不運が桐蔭を襲っていたのです。
そうです、由伸はこの試合の4回に足を負傷しているのです。
全力で走ることはままなりません。
しかも、僕は極端な前進守備を敷いて、強いボールを送球しています。
僕が全力で投げたバックホームは、無情にも由伸を追い越してしまったのです・・・。
ということは・・・。
そうです、バックネット前は無人です。
それを見た3塁ランナーが小躍りして、バンザイしながらホームへと帰ってきます!
由伸が必死にボールへと追いついた時、桐蔭学園の開幕戦サヨナラ負けが決まりました。
ホーム付近では、勝った沖縄尚学の選手たちが何重もの歓喜の輪を作ります。
呆然とする桐蔭ナイン、しばらく守備位置から動けません。
そして、この時の僕。
何が起きたのか状況を把握することができないくらい、頭の回路が破壊されていました。
とりあえず、スコアボードを見上げます。
12回ウラに「1x」と入っています。
「サヨナラ負けだ・・・」
「えっ!?サヨナラ負け!?!?」
「一体、一体、俺は何をしてしまったんだろう・・・!?!?!?」
そんな自問自答を続けながら、ホームの整列へと向かいます。
この時の甲子園の正式記録。
「ライト・萩島の悪送球(サヨナラエラー)間のホームインによりゲーム成立」
この瞬間から、若干18歳の僕にとってあまりにも辛い日々が始まったのです・・・。
(続)
コラム第8回は~開幕戦敗戦、その後~をお送りします。
お楽しみに!
B.B.CLOVERSの萩島です。
コラム【甲子園の教訓】シリーズ No.7を配信致します。
いよいよ、甲子園開幕戦の衝撃の結末をお伝えします。
文字数の関係で、①と②に分けて配信します。
引き続きお楽しみください!
B.B.CLOVERS コラム【甲子園の教訓】
①
コラム第6回では、甲子園開幕戦の11回終了時までをお伝えしました。
第7回の今回は、いよいよ激動の開幕戦の結末をお届けしていきます。
【写真:当時の報知高校野球に掲載された記事】
いよいよ、試合は運命の12回の攻防を迎えます。
12回表、桐蔭学園の攻撃は5番・副島孔太が先頭バッター。
孔太が放った打球はセンターへ一直線!
入ったか!?!?と思った打球はもうひと伸び足らず、ワンバウンドでフェンスに当たるツーベースヒット。
しかし、ようやく勝ち越しの大きなチャンスを迎えます。
ここまでのチャンスでは全て強攻策でチャンスを潰してきた桐蔭、ここは手堅く送りバントを選択します。
しかし、これが上手くいきません・・・。
結局、後続2人がランナーを進められないまま、2死2塁でバッターは8番・萩島・・・。
先ほどの打席も非常に緊迫感のある打席でしたが、この打席はそれを軽く上回る状況です。
打てばヒーロー、結果が出なければさらにチームの雰囲気は重くなります。
ある意味、この試合、萩島は「持って」いたのでしょう。
野球の神様がヒーローになるチャンスをくれていたのでしょうね。
しかし、結果は・・・。
相手投手の球威に押され、ボテボテのサードゴロ。
1塁は際どいタイミングだったものの、間一髪でアウト!
桐蔭は「惜しかった」という一言では片付けられない大きなチャンスを失います。
そして迎えた12回ウラの沖縄尚学の攻撃、先頭バッターは7番・島選手。
島選手が放った打球はライナーでライトへ伸びてきます。
ライト・萩島、猛ダッシュで前進してダイビング!
打球は地面スレスレで萩島のオレンジのグラブに収まりました。
超ファインプレーです!
ちなみに、この時の僕の心境・・・。
正直、何も覚えていません(笑)。
まさに「無我夢中」で飛び込んでいったのでしょう。
この打球を「仮に後ろに逸らしていたら!?」などとは全く考えていませんでした。
しかし、このファインプレーを見届けていた桐蔭ナイン、試合後の僕に一言・・・。
「あれ、ワンバウンドじゃね!?」
・・・(--;)
捕りました、絶対にノーバウンドで捕りました!
ビデオを何度観ても、確実にノーバウンドで捕っています。
さらにもう一言。
「うまくごまかしたよな!」
・・・(>_<)
だから捕った!って言ってるのに・・・(;_;)
さて、話を試合に戻しましょう。
萩島の疑惑(?)のファインプレーでピンチを脱したかに思えましたが、次のバッターに対してライト前へとポトリと落ちるヒットで出塁を許します。
しかし、よくもこれだけライトへと飛んでくるものです。
この時の僕ですが、先ほどのダイビングキャッチにより激しくみぞおちを強打して、実は息も絶え絶えの状態だったのです。
それでもライトへと飛んでくる打球を必死に追いかけたことを思い出します。
その後、送りバントと敬遠で2死1、2塁。
迎えたバッターは、ここまでノーヒットの2番・宜保選手。
野球の確率から言えば、そろそろヒットが出てもおかしくない6打席目。
しかし、それまで3安打している1番バッターとの勝負は避けざるを得ませんでした。
マウンドの由伸はすでに肩で息をしています。
自慢の球威も段々と衰えを見せ始めました。
宜保選手を追い込んでからファールで粘られて、カウントは3ボール2ストライクのフルカウントに・・・。
【②に続く】
No.7 ~無情!サヨナラエラー!!~