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みなさん、こんにちは。

B.B.CLOVERSの萩島です。


コラム【甲子園の教訓】シリーズ No.6を配信致します。

いよいよ、甲子園開幕戦も佳境を迎えます。

引き続きお楽しみください!


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B.B.CLOVERS コラム【甲子園の教訓】

No.6 ~甲子園開幕戦②~




コラム第5回では、甲子園開幕戦の7回終了時までをお伝えしました。

6回の今回は、いよいよ激動の終盤戦のエピソードをご紹介していきます。




【写真:激戦を物語る開幕戦のスコアボード】



いよいよ、試合は終盤戦を迎え、8回に入ります。


1点を勝ち越した桐蔭は、この回からリリーフエース・高橋由伸をマウンドに送ります。


この時の由伸、すでに満身創痍の状態で、特にこの試合の4回の本塁上でのクロスプレー時に足を負傷していたのです。



しかし、この時は終盤に由伸を送り込むのが桐蔭の必勝パターン。

県大会もこれで勝ち上がってきました。

絶対的な信頼は揺るぎません。




しかし、沖縄尚学も必死に追いすがってきます。

この回、2死満塁と攻められ、同点のタイムリーを許して33の同点に追いつかれます。




直後の9回表、桐蔭も22塁とチャンスを作り、バッターにはここまでノーヒットの主砲・副島孔太。

孔太の放った打球は12塁間を抜けて、2塁ランナーの横川義生がホームイン!

すぐさま突き放します。




この時の僕の心境ですが、「これでようやく・・・」と思ったことを強く印象に持っています。


しつこいようですが、最後の最後まで分からない11球の勝負に対し、このような気持ちを抱くことがやはりリスペクトに欠けていたのでしょうね。




そして迎えた9回裏、由伸はランナーを出しながらも何とかツーアウトまで漕ぎ着けて、最後の一人と思われたバッターは相手の4番・大城選手。

ここで大城選手に甘く入ったストレートを右中間に弾き返され、またも同点に追いつかれます。


試合はそのまま延長戦に入ります・・・。



ここで、ベンチの土屋監督が大声で僕を呼びます。




土屋監督「先頭で代打、萩島!!」


僕「はいっ!!」




いよいよ、子供の頃から夢にまで見た甲子園のグランドに立つ時が来ました。

しかも、開幕戦、観衆は45千、そして延長戦の先頭バッターです。


小さな頃からこの時を夢見ていたとはいえ、こんなすごい局面で自分が出ていくことまではさすがに想像していませんでした・・・(苦笑)




そして迎えた甲子園初打席、初球はカーブ。

甘いボールでしたが、これを見送ってしまいます。


そして、2球目はストレート。

これを思い切ってスイングします!




「は、速い・・・」



外寄りのストレートを空振りした僕は、そこで甲子園の雰囲気と相手ピッチャーの気迫に飲まれてしまいます。


ここまで、相手の東山投手は150球以上の球数を要し、10回まで一人で投げ抜いています。

そんな自分の想像を上回るストレートに、完全に気後れしてしまったのです。


そして、最後は追い込まれた上に、変化球を打たされてのショートゴロ・・・。

ベンチの期待に応えることができませんでした。




その回の攻撃を無得点で終え、僕はそのままライトの守備に入りました。

この時のライトから見えた光景や、相手のアルプススタンドの音はよく覚えています。


まず見える景色ですが、「とにかく眩しい」のです。

憧れの甲子園だから、僕にとっては光り輝いて見える!のではありません()

物理的に「眩しい」のです。




何故か?

もちろん、この日の日差しが強かったことは言うまでもありませんが、例えば、みなさんは夏の暑い日に好んで黒や紺といった濃色のTシャツを着ますか?

ほとんどの皆さんは白など、薄い色をチョイスしますよね。


加えて夏の野球観戦時には、白い帽子をかぶることが多いですよね?

そうです、観客のみなさんが白づくめで、スタンドがすごく白いのです。


さらに、みなさん内輪を持って扇ぎながら観戦しますよね?

この内輪も白。


これが白球と重なって、本当にボールが見づらいのです。


フライは一定の高さまで上がれば問題ないのですが、特にライナー系の打球は遠近感が掴めなかったことを思い出します。



そして、「音」。

沖縄独特のあの指笛がいたるところから鳴り響いています。

この音、間近で聞くと本当に気になるのです。


特にアルプスからブラスバンドの大音量と共におりてくる指笛は、すごく守っていて押されている気がしました。


そして、甲子園が終わったあともしばらくこの指笛に苛まれることになるとは、この時は想像もしていませんでした。




さて、話を試合に戻しましょう。

10回裏沖縄尚学の攻撃、3つの四死球で2死満塁と攻められサヨナラのピンチを迎えます。


この時の僕の心境ですが、「俺のところに飛んでこい!」と思えるほど強いメンタルの持ち主だったらもっと良い選手になれたかなあと思い返すことがよくあります()


とにかく、自分の心臓の音が他の人にも聞こえるんじゃないかというくらいドキドキしていました。



結果は、キャッチャーフライ!


何とかサヨナラのピンチを脱します。

そしてこの時の僕。


キャッチャーフライが一瞬見えなくて、打球を見失ったのです・・・。


この時の慌てふためきぶりはTVにも当然映らず、打球もキャッチャーの上ですから、スタンドの人も僕は見ていないはずですので、僕の心だけに閉まっておくこととします。




試合は延長11回に入っていきます。

この回は好プレーもあり、それぞれ相手に得点を与えません。

スコアは未だ44、両者本当に譲りません。




そして、いよいよ、激動の開幕戦は運命の延長12回へと突入します・・・。



(続)




さて、コラム第7回は~無情!サヨナラエラー!~をお送りします。

お楽しみに!

みなさん、こんにちは。

B.B.CLOVERSの萩島です。


コラム【甲子園の教訓】シリーズ No.5を配信致します。

前回から少々時間が空いてしまいましたが、引き続きお楽しみください!


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B.B.CLOVERS コラム【甲子園の教訓】

No.5 ~甲子園開幕戦①~




コラム第4回では、開会式前日までのエピソードをご紹介しました。
5回の今回は、いよいよ甲子園開幕戦のエピソードをご紹介していきます。



【写真:開会式での桐蔭学園の入場行進】




いよいよ、開会式=甲子園初戦の朝を迎えました。

天気は快晴、甲子園開幕にはこれ以上ないというほどの天候となりました。

しかし、この快晴が後々桐蔭ナインを苦しめることになるとは、この時は考えもしませんでした。




今思えば、開幕戦というのは本当にコンディションを整えることがとても難しい状況にありますよね。

朝の起床時間も「試合」ではなく、「開会式」に合わせて調整しなければなりませんし、何よりも試合直前の調整が大変難しかったことを覚えています。




さて、いよいよ待ちに待った開会式が始まります。
ファンファーレが鳴り響き、入場行進が始まりました。


この年は西からの行進で、桐蔭学園の対戦相手である沖縄尚学からの入場になります。

そして、石川・星稜高校が入っていきます。

代表旗を持つ松井秀喜主将の高校生離れした体格にスタンドがどよめきます。




さあ、桐蔭ナインの出番です。

開幕戦に合わせて、3塁側アルプスに既に陣取った桐蔭応援団から大きな歓声が上がります。


そんな中、私はといえば歓声や大きく跳ね返るブラスバンドの音から行進曲を探し出し、一生懸命掛け声を掛けていました。


その成果が、今回載せた行進時の写真です。
いかがでしょうか?()



グランドに入って整列が完了した時、桐蔭ナインはセンバツ覇者の帝京高校と隣同士となりました。

ちょうど僕の隣には、帝京のエース・三澤投手がいます。


三澤くんは親しげに話しかけてくれ、大会前に行ったオープン戦の話などをしていました。

そのオープン戦で、僕は三澤くんに対してスクイズのサインが監督から出され、彼の見事なまでのフィールディングによりホームでタッチアウトにされていたのです。


この時のことを話すと、三澤くん曰く「少しバントの構えが早かった」のだそうです。

それを見た彼は、咄嗟に投げるコースをバントのしづらいインハイに変えて、強いバントをさせるように仕向けたそうです。


完敗です・・・。


決められなかったのは僕の責任ですが、その時点で僕とは考えのレベルが違いました。

さすがですね。


最後には、「このあと試合でしょ?辛いな・・・(苦笑)頑張れよ!」と声を掛けてくれました。


今から5年ほど前でしょうか、三澤くんと再会した時に当時の話をしたら「あ~、あの時の!」と覚えていてくれました()

あ、開会式中に私語は厳禁ですよ、ホントは()




三澤くんのおかげ(?)であっという間に開会式が終わり、いよいよ試合開始が近づいてきました。


この時点で気温はおそらくグラウンドレベルでは35℃くらいあったでしょうか。

そんな中、試合に向けた準備が始まります。




21組で逆立ちをして下半身に溜まった血液を循環させてから、ストレッチを数秒、ダッシュを12本したところで連盟の方から「キャッチボール始めて!」と指示が入ります。


「早いな・・・」


急いでキャッチボールを始めて、1球、2球・・・。

「沖縄尚学のノックが始まるから、ファールグラウンドでキャッチボールして!」と再度連盟の方からの指示が・・・。


「むむむ、早すぎるな・・・」


これでは、体も肩も出来上がりません。

しかし、これが開幕戦を行うチームの宿命なのです。


当然、桐蔭ナインは初めての経験に戸惑います。

そうこうしている内に、桐蔭学園のノックが始まりました。




ノックを終え、ベストコンディションとは言えない桐蔭ナインが円陣を組みます。
そこには、テーピングをグルグル巻きにする痛々しい姿のメンバーもいます。

そうです、前回のコラムの最後でお伝えしましたが、このメンバーの内の数名は、前日の開会式のリハーサルを終えてから極秘裏に緊急帰京し、痛み止めの注射及び痛み止めの坐薬を処方してもらっていたのです・・・。


これはマスコミ関係各社も全く気付いておらず、それほど極秘の行動だったと言えるのです。

しかし、それは怪我を抱えるメンバーの状態がそれだけ良くないことを表しているものでもありました。


さらに、甲子園独特の暑さが彼らの痛む体に追い討ちをかけます。

でも、試合は待ってくれません。


始球式を終えて、44千人の観衆が見守る中、いよいよプレーボールです!




先攻は桐蔭学園。

早速、桐蔭の強力打線が火を吹きます。

ランナー12塁から、高橋由伸がライトオーバーの先制タイムリーを放ち、早くも1点を先取します。


この時、僕だけかもしれませんが、「もしかしたらワンサイドゲームになるのかな・・・?」と感じてしまったことを覚えています。


これも、前回のコラムでお伝えした「リスペクト」が完全に欠けていますよね。

そして、県大会を強打で勝ち進むにつれて、自分たちの打線に対して過大評価をしてしまっていたのかもしれません。




相手への「リスペクト」を欠いてしまったゲームは、まさに一進一退。
1点を先制するも、その裏にすぐに同点に追いつかれ、3回には一旦逆転を許します。

しかし、桐蔭も4回表にすぐさま追いつき、7回には1点を勝ち越します。


7回終了時までに、桐蔭のヒットは9本、沖縄尚学も9本とまさに互角のゲームです。




しかし、ここで「互角」ではない部分が見え隠れし始めました。

それは・・・。


「暑さへの対応力」です。




このコラムの冒頭でもお伝えしましたが、この日は酷暑とも言える一日。
イニングを追う毎に、桐蔭ナインから徐々に体力を奪っていきます。


一方、沖縄尚学ナインからは、それほど大きく疲労の色を感じないのです。

プレースタイルもあるのでしょうが、いつでも笑顔がグラウンドやベンチに広がり、余裕を持って、そして楽しんでプレーしているように感じました。


これが、間違いなく桐蔭ナインへの「プレッシャー」となりました。



また、これは後で調べて分かったことですが、この試合当日は810日でした。

そして、沖縄県の決勝戦は719日に行われています。


719日・・・。


そうです、その日は桐蔭ナインが神奈川県大会の初戦(2回戦)を戦った日なのです。



この後、桐蔭ナインは12日間に及ぶ激闘を行う中、甲子園出場を早々と決めた沖縄尚学は810日の甲子園開幕に向けてじっくりと調整期間に入るわけです。


沖縄尚学のエース・東山投手も肘の不安があると戦前は聞いていましたが、この長い調整期間中で癒えたのでしょう。

まさに「尻上り」といえるピッチングを見せていました。




この調整期間の長さを決して言い訳にはしたくありませんが、多くのケガ人を抱えた桐蔭ナインにとっては非常に大きな意味があったと言えるのではないでしょうか・・・。



そして、試合はいよいよ激動の終盤戦に入っていきました・・・。

(続)




さて、コラム第6回は~甲子園開幕戦②~をお送りします。

お楽しみに!

みなさん、こんにちは。

B.B.CLOVERSの萩島です。


コラム【甲子園の教訓】シリーズ No.4を配信致します。

内容も段々と密になり、ボリュームも増えてまいりますが、引き続きお楽しみください!


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B.B.CLOVERS コラム【甲子園の教訓】

No.4 ~開会式=試合当日に向けて~

コラム第3回では甲子園入り後から運命の抽選会までのエピソードをご紹介しました。

4回は「開会式=試合当日に向けて」のエピソードをご紹介していきます。

【写真:大会前の散歩の際に、お参りで立ち寄った地元神社での一コマ】

前回のコラムでお伝えしたとおり、桐蔭学園の初戦はなんと甲子園開幕戦と決定し、相手は沖縄県代表・沖縄尚学高校となりました。


この沖縄尚学、昨年のドラフトでソフトバンクに1位指名された東浜投手(亜細亜大)などを輩出し、センバツでの2度の全国制覇など、現在では強豪の仲間入りを果たしていますが、この時の夏の甲子園出場は実に「30年ぶり2度目」の快挙だったのです。

余談ですが、実はこの開幕日に行われた3カードの全てに、「30年ぶり出場」の3校(沖縄・沖縄尚学、愛媛・西条、山口・山口鴻城)が登場するという珍事も起きていました。


この辺りからも、この第74回大会が波乱の大会となることの予兆を感じられたのかもしれませんね。


また、この1992年はバルセロナオリンピックが開催された年でもあり、オリンピックに合わせて例年より2日ほど遅れての開幕となったことを覚えています。

さて、開会式直後に開幕戦を行うこととなった桐蔭ナインですが、ケガ人が完治せず状態は厳しいものの、初戦に向けた準備に入っていきました。


まずは、沖縄尚学の研究からスタートです。


当然、沖縄県大会のビデオを入手することが必要となりますが、これが困難を極めたことを覚えています・・・。

届いたのは試合の23日ほど前だったのではないでしょうか。


そこには名護高校との決勝戦の模様が映っておりましたが、正直あまり特別な印象は抱かなかったことを覚えています。

それは、他のメンバー達からも感じ取ることができました。


この時に、なんとなくメンバー間に「多分、大丈夫かな・・・」といった少し油断した気持ちが芽生えたことは間違いないかと思います。

「相手は関係ありません、自分たちのゲームをするだけです。」


スポーツの試合前によく選手から聞かれるコメントですよね。

この時の桐蔭ナインの心境もこれに近かったような気がします。


実はこのコメント、サッカー日本代表元監督のオシム氏が大変嫌う言葉だということを最近知りました。


一見、周りに波風を立てない、当たり障りのないコメントに映りますよね?


オシム氏曰く、「自分たちのゲームをするだけというコメントには、相手へのリスペクトが含まれていない。この時点で相手を見下していることになる。」とあります。


このオシム氏の話を聞いた後、私も勘違いしていたことに気づかされました。

とても深い言葉だと思います。

ちなみに、この「リスペクト」という言葉、オシム氏は通常日本人が使用する「尊敬する・尊重する」といった意味では用いず、「すべてを客観的に見通す・客観的な価値を見極める」という意味で用いるそうです。


すなわち、どんなチームが対戦相手であれ、「リスペクト」しないチームに勝者の資格はないということです。


なるほど、これまた深いですよね。


この時の桐蔭ナインに沖縄尚学への「リスペクト」がもっとあれば、試合結果はもしかすると少し違った形になったのかもしれません。

さて、いよいよ開会式=甲子園初戦が翌日に迫りました。


開会式前日は開会式のリハーサルが行われます。

メインは入場行進の練習です。


ブラスバンドの演奏に合わせ、49校が実際に入場行進を行います。


この入場行進、桐蔭学園はその形や隊列の素晴らしさで全国から一目置いて頂いていることをご存知でしょうか?


そのため、あまり知られてはいませんが、「行進練習」を通常練習後に長時間行うことも決して珍しくはありません。


その分、桐蔭ナインには「行進」に対してそれなりのプレッシャーがのしかかります。


その中で、私はちょうど隊列の中心に位置したこと(さらに声もデカイ!笑)もあり、行進の際の「声出し係」に任命されました。


最初は安易に考えていたのですが、これが実際に甲子園球場内に入ってみるとその困難さに顔をしかめたことを覚えています。


まず、ブラスバンドの音が甲子園のアルプススタンドや銀傘など色々な部分にはね返るため、幾重にもなって聞こえてくるのです。


ここからメインの音を探して、それに合わせて歩調を合わせるための声出しをするわけですが、この声もなかなかメンバー全員に届きません・・・。

しかし、そこは「そのための練習」をして、数々の修羅場を乗り越えてきているメンバー達です。

最後はそれぞれの今までの感覚などをフル活用して、まずはリハーサルを突破しました。


49校全てが行進練習を終えて、それを見ていた大会役員の方がそれに対する感想を述べます。


「みなさん、神奈川の桐蔭学園のような行進を目指してください!」


これは嬉しかった。


翌日の本番にも自信が持てたことを覚えています。

しかし、私たちは「行進」に来たわけではなく、「甲子園で勝つため」にやってきたはずです。


すぐに気持ちを切り替えました。


いや、切り替えたつもりでした。


この後に知ることとなる、メンバー数名の緊急帰京を知るまでは・・・。


コラム第5回は、~甲子園開幕戦~をお送りします。


お楽しみに!


みなさん、こんにちは。

B.B.CLOVERSの萩島です。


昨日、Facebookではこちらのコラムのシリーズ最終回を迎えましたが、こちらではNo.3を配信致します。

引き続きお楽しみください。


今日からセンバツ甲子園も始まりましたね。

甲子園の裏側をこのコラムでちょっとずつ覗きながら、実際の球児たちの試合を観るのも楽しいかもしれませんね!


また、コラムの感想などもご遠慮なくお寄せください。

よろしくお願い致します。


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B.B.CLOVERS コラム【甲子園の教訓】

No.3 ~甲子園練習から運命の抽選へ~

2回では、甲子園入りまでのエピソードをご紹介しました。

3回は、甲子園入り後から運命の抽選会までの様子をご紹介いたします。

【写真:当時、神奈川新聞スポーツ欄に掲載されたバッティング風景&インタビュー記事】


一路、新大阪に到着した桐蔭ナインは、芦屋市にある神奈川県代表の専用宿舎であるホテルに入りました。


ご存知の方も多いかと思いますが、甲子園では基本的に各県代表校の専用宿舎が割り当てられています。


社会人野球時代に、一度四国のとある県代表の宿舎に泊まったことがありましたが、「神奈川は恵まれていたなあ」と感じたことを覚えております()

さて、いよいよ甲子園練習当日です。


子供の頃から夢にまで見ていた甲子園へと足を踏み入れる瞬間が来ました。


キャプテンの掛け声とともにグランドへと飛び出し、外野まで全力で走り一塁側アルプススタンドをセンター付近から見上げた瞬間、ふいに涙がこみ上げてきました。


まさか練習で泣くとは思っていなくて自分でもびっくりしましたが、他のメンバーに気づかれないようにそっとユニフォームの袖でその涙を拭いました。


その時の自分でも言い表すことのできない感動は、今でも鮮明に覚えています。

その大きな感動が涙という形になって表れたのでしょうね。

とても幸せな涙です。

そして、その後尼崎や伊丹にあるグランドでの練習を日々重ねていく内に、桐蔭ナインに対するマスコミの数が段々と増えてきました。


写真はその練習時の様子が神奈川新聞に掲載された時の一コマです。


この時の私はと言えば、バッティングが突然覚醒したかの様に絶好調で、その好調さゆえ、記者の方が取り上げてくださったのです。

一方で、私個人のコンディションは良かったものの、チーム全体のコンディションはなかなか上がってきませんでした。


その理由は・・・「ケガ」です。


レギュラー選手の内の半数以上が何かしらの故障を抱えてしまっている状態で、中でもキャプテンは県大会の準決勝の試合中に利き手である右手首を骨折しながら、決勝戦も痛み止めの注射と坐薬を打って戦い抜きました。

前コラムでお伝えしたとおり、12日間で7試合の激戦を戦い抜いた代償が、チームにあまりにも大きくのしかかってきてしまったのです・・・。

そのチーム状態に反するように、桐蔭学園に対する大会前の評価は日に日にうなぎ登り状態です・・・。


それもそうです。

このチームは激戦の神奈川大会をチーム打率4割近い強力打線で勝ち上がり、センバツ準優勝の東海大相模や、関東大会優勝の横浜がいる中で頂点に立ったわけですから。


しかも、大会直前には、その年のセンバツ優勝校である帝京(東東京)にも練習試合ではありますが、4番・高橋由伸(読売ジャイアンツ)が試合終盤に三澤興一投手(元読売ジャイアンツなど)から逆転の一発を放って見事な逆転勝利を収めたのです。


こういった細かな情報がマスコミに届けば届くほど、評価が上がったというわけです。

本来であれば、帝京の春夏連覇なるかが騒がれてもおかしくないところ、ある日の新聞では「東の横綱は桐蔭学園(神奈川)、西の横綱は松井秀喜率いる星稜(石川)」との見出しが踊りました。


そうです、この年は先日引退を表明された松井秀喜氏の、かの有名な「5連続敬遠」で物議を醸した年だったのです。

そして、運命の抽選会当日。


壇上には我々のキャプテンの緊張した姿が見えます。

自身の状態を考えても、出来る限り試合の日程を遅らせたいことは言うまでもありません。


そして、桐蔭学園の運命の抽選順が回ってきました。


キャプテンがクジを手に取ります。


星稜か・・・、池田か・・・、もしくは近大付か・・・。


そのクジは・・・。


キャプテンが物凄い形相で観覧席の私たちを見ます!


・・・!?

「桐蔭学園は大会第一日目第一試合、対戦相手は沖縄県代表・沖縄尚学高校に決まりました!」とのアナウンスが会場に響き渡る。

やってしまった・・・。


開幕戦です・・・。


その瞬間から、桐蔭ナインの運命の歯車が少しずつ狂い始めました・・・。

コラム第4回は、~開会式から開幕戦へ~をお送りします。

お楽しみに!


みなさん、こんにちは。

先日、こちらのブログでも公開を始めました、B.B.CLOVERSコラムNo.2を配信致します。

どうぞお楽しみください!


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No.2 ~甲子園入り~


1回のコラムでは、甲子園までの道のりをご紹介しました。

2回では、甲子園入りするまでのエピソードをご紹介します。


【写真:閉会式にて優勝旗を先頭に整列する桐蔭ナイン】


桐蔭学園は因縁の相手・横浜高校を下して2年連続4度目の出場を決めたわけですが、僕自身にとっては、小学2年生の時に甲子園に行きたくて野球を始め、甲子園に行くために桐蔭学園への進学を決意し、その夢が叶った瞬間でもありました。


優勝を決めたあとホームベース上に整列し、上っていく「桐」を描いた校旗を見上げながら唄う校歌、私の選択を後押ししてくれた両親の顔が自然と思い出され、感謝の思いから涙が溢れだし止まらなかったことを今でも鮮明に覚えています。


夢が叶った一方で、私は一抹の不安を拭いきれずにいました。


というのも、県予選ではベンチ入り20名で戦いますが、甲子園に行くと15名(当時の部員数約60名)に絞り込まれるからです。


県予選からさらに5名が外れるわけですが、2ケタの背番号「14」でベンチ入りしていた私は当落線上にいる一人だったでしょう。


そして、運命の甲子園メンバー発表の日、私は背番号「10」を頂いてベンチ入りすることになり、本当の意味で夢が叶った瞬間を迎えることが出来ました。


と同時に、外れてしまったメンバーを考えると、心の中で涙している自分もいて、複雑な心境だったことを今でも甲子園球児たちを見るたびに思い出します。


今ではベンチ入りメンバーの数が18名に拡大されていますが、これは夢を目指す球児たちにとっては大変良いことですね。


甲子園メンバーが決まった後、市庁・県庁への表敬訪問、学校での壮行会などの慌ただしい日程をこなし、いよいよ甲子園へと向かう日がやって来ました。


バスで学校を出発し新横浜駅へと向かっている途中、横浜駅近辺を通過するのですが、横浜そごうに私たちの甲子園出場を祝し、健闘を祈る巨大な垂れ幕が掛かっていました。


その時に、「すごいことをやってのけた、そしてすごい場所に行くんだ!」と18歳の胸を躍らせたこと思い出します。


そして新横浜駅に到着、そこには朝日新聞の旗を振る300400名の見送りに来てくださった市民の方々の人の波が…。


多少想像はしていたものの、ここまでの人が来てくださるのかと困惑した自分もいました。


今思えば、それが「神奈川県を代表して甲子園に行く」ということの世間の注目度を表していたのでしょう。


そして、私は「その後に起こる様々な出来事」など想像する由もなく、一路夢の甲子園球場へと向かったのです。


次回のコラムは、「甲子園入り後~開会式当日まで」をお送りします。

お楽しみに!


こんにちは。

B.B.CLOVERSの萩島です。


現在、Facebook上で限定公開させていただいているB.B.CLOVERSコラム【甲子園の教訓】ですが、みなさまから予想外の反響をいただいております。


ご好評にお応えして、こちらのブログでも再配信させていただきます。

まだ読んでいない方は是非、もう読んだ方ももう一度お読みください(笑)

よろしくお願い致します!


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No.1 ~甲子園へ~

今から遡ること約20年前、桐蔭学園は1992年第74回全国高等学校野球選手権大会に神奈川県代表として出場しました。

記念すべき第1回のコラムは、その甲子園までの道のりをご紹介します。


当時の神奈川は200を超える予選参加校に加え、センバツ準優勝の東海大相模、春季関東大会優勝の横浜など、実力が均衡する大激戦区。


その中でも桐蔭学園は前年覇者とはいえ、秋・春ともに横浜に屈し、目立った戦績は納めることが出来ずにいました。


そして第1シードを確保して迎えた夏の県予選、決勝までは12日間で7試合をこなすハードスケジュールです。


そして1試合ずつ勝ち上がって迎えた運命の決勝戦、相手はそれまで連敗している因縁の相手・横浜高校。


僕たちメンバーは、「3度目の正直で横浜を上回って甲子園に行こう!」と朝から気持ちを盛り上げていたことを思い出します。


しかし、相手もその後プロ入りする選手を5名以上擁する超名門、そう簡単には勝たせてくれません。


試合は予想通りの大激戦、桐蔭が初回に副島孔太(元ヤクルト)の3ランで先制するも、2回には横浜が逆転、その後桐蔭も再逆転し一時は4点差をつけるものの、6回に一気に4点を返され同点で8-8、両校全く譲りません。


そして迎えた8回表、桐蔭は無死一、三塁のチャンスをつかみ、バッターボックスには4番・高橋由伸(読売ジャイアンツ)。


この時ベンチにいた私は、初めて心臓が口から飛び出すのではというほどドキドキしていたことを、今でも鮮明に覚えています。


そして、由伸が期待通りレフト線に2塁打を放ち、これが決勝点になりました。

やっぱり、スーパースターはこの時から「持ってる」のですね。

納得です。


この決勝点を由伸自らがマウンドで守りきり、2年連続4回目の甲子園出場を果たしました。


実はこの夏の神奈川大会2連覇は、1990年以降、9192年の桐蔭学園、0001年の横浜高校のみが持つ記録なのです。


この1992年の決勝で戦った2校だけが持つこの記録、やっぱり「何かある」のでしょうね。


次回のコラムは、No.2 ~甲子園入り~をお送りします。

お楽しみに!




2013年1月25日に正式に事業開始の届出を終えた翌日の1月26日、B.B.CLOVERS設立記念パーティーを西麻布鉄腕にて行いました!


B.B.CLOVERS OFFICIAL BLOG-司会を務めてくれた、日本テレビ・蛯原アナ
当日の司会を務めてくれた日本テレビ・蛯原アナとのツーショット☆

彼とは大学野球部の同期で、今でも本当にいい仲間です。


しかし、彼の開会の挨拶が上手すぎて、その後の僕の皆さんへのご挨拶・・・。

厳しかったぁ~(>_<)


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以前から親交のある、茨城G・Gの片岡安祐美監督も激励に駆けつけてくれました!(^O^)


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おかげさまで、パーティーは大盛況でした♪


ここでご紹介できない皆さんもたくさんお越しいただき、感謝の気持ちでいっぱいでございます。


そんなみなさんに支えられ、“B.B.CLOVERS”出発いたしました!


PS. 西麻布にお越しの際には、「鉄腕」をどうぞよろしくお願いします(^O^)

http://nishiazabu-tetsuwan.jp/