横やりのような感じで別の牢室から声を掛けてきた河野数馬は、
「富永氏は、学問のせいでここへ入れられたようなもんだ」、
それを聞いた吉田松陰は、意味が解らず、
「ほ~う、それは、どういう意味でしょうか?」と聞いた、
河野数馬は笑いながら、
「富永氏は、聖人君子学問をしたら、この世の中の汚れたところばかりが目に付いて、腹が立ってきて、腹が立っただけ、辺り周りに当たり散らすから、ここの牢屋入りだ、なまじ学問をしたばっかりにな、もう20年近くもここに入ってるんだ、だから、富永氏には、学問の話をするんじゃないぞ、気の毒だからの」、
それを聞いて吉田松陰は、
「ほう、それは、お気の毒に」、
と、言うと、富永弥兵衛は、
「別に気の毒じゃねえ、世間から離れて、せいせいしてるよ」、
それを聞いて、河野数馬は、
「富永氏は、そんな負け惜しみ、みたいなこと言ってるがの、富永氏の書く文字は、ものすごく綺麗だぞ、君の書く文字よりも、はるかに綺麗だぞ」、
それを聞いて、吉田松陰は、
「それは良いことを聞いた、では早速、富永氏から書道を教えてもらいたいと思うが、河野氏は、何かやられるのか」と、
聞くと、河野数馬は、
「わしは何もしない、ここでは寝ころんでばかりだ、ここでは寝て過ごすのが、いちばんじゃ」、
すると、吉村善作という男が、
「いや、違うぞ吉田君、その河野氏はなぁ、そんなこと言っておるが、俳諧の名人じゃ、和歌も詠む、謙遜しているだけじゃ」、
吉田松陰は、ここの囚人数人の心を少し掴んだような気持ちになって、吉村善作にも聞いてみた。
「そうですか、それは、素晴らしい、それで、あなたも何か得意なものがあるのですか?」、
「あ~、わしか、わしは無い、河野氏から俳諧を習ってみたが、獄卒どもに、いちいち紙をくれと言って貰わねばならん、それが面倒くさいから、やめたわい」、
吉田松陰は、これはと思い、
「皆さん、凄いじゃないですか、どうです皆さん、お互い、得意なものを教え合ってみるというのは、僕は良いと思うのですが」と、
吉田松陰が言うと、囚人の中の誰かが言った。
「お前さんは、おせっかいと言うか、案外、図々しい男だな、そんな事は、もう何回もやったさ、でも駄目なんだよ、やってるうちに、しょうもなくなってくるんだよ、人間の考えって皆んな、それぞれ違うから、喧嘩になる、でも牢屋から出られないから、掴み合いもできねえ、だから、皆んな、やりきれない気持ちになって、やめちまうのさ、解ったかい新人さん」、
「そうですか」、吉田松陰は残念そうに言った。
こうして、吉田松陰が入獄した、次の日の、1日目は終わった。

つづく。