3人は、交代交代で抜き出したが、深く打ち込まれているので、なかなか上手く進まない、やがて、日が暮れ暗くなり、
「か~、これでは暗くて解らん、俊斎どん、灯りを借りて来てくれもはんか」、
「そうでごわすな、借りて来るでごわす」、
有村俊斎は、夜道を小走りで行き、しばらくして、火をつけたロウソクを持って来たが、その後ろに神主がいる、神主は夜に何をしているのか気になって付いて来た。
「あなた達は、いったい何をしていなさるのじゃ」、
「あっ、神主どんでごわすか、呪い釘のようでごわす」、
3人は、正直に話すと、薩摩藩の恥になると思い、偶然、見つけたことにした。
「おいどん達は参拝しもして、帰る途中、見つけたでごわすよ、あまりにも恐ろしいので、釘を抜こうとしていたでごわすよ」、
神主は、その様子を見て、
「おお、これは何と恐ろしい、誰がこんなことを」、
「解らんでごわす、偶然、通りかかっただけでごわすから」、
「そうですか、おや、釘の根本に字が書かれているみたいじゃが」、
「それは、呪いの相手の名前で、ごわしょう」、
「そうか、では早く釘を抜いてやってくだされ、そして、その名前も削り取ってやって下され」、
「はい、では」、
3人は、急いで釘を抜き、名前を削り取った、急いでも、釘は多数なのでじかんはかかった。
それを見て神主は、お祓いを始めた。
それを聞いている3人は、虎寿丸の病気が、すぐに回復して元気になるような気がしていたが、その後、
いちじは回復して、少し元気になったという知らせが薩摩より届き、3人は喜んだが、
また症状が悪くなり、7月23日に亡くなってしまう、まだ、6歳だったみたいです。
西郷隆盛は、高輪稲荷の呪いの釘の事を島津斉彬に伝え、虎寿丸が死んだのは、由羅一派の呪いの儀式によるものだと伝えたが、
島津斉彬は、呪詛などで人が死ぬ訳無い、虎寿丸は疫痢で死んだのだと言い、全く受け付けなかった。
8月、イギリスの、ジェームス・スターリンがイギリス艦4隻を率いて長崎に来航し、開国を要求して、
イギリスとの条約が結ばれた。(日英和親条約)
水戸斉昭が、「アメリカと条約を結べば、ヨーロッパの国どもが、わが国とも条約を結べと日本へ来るぞ」と、いうような事を言った通りに、
7月15日に、イギリス艦4隻が長崎に入港して来て、条約を迫り、
8月23日に、日英和親条約が成立した。
そして、9月に入り、
9月18日、吉田松陰と金子重之助は、伝馬牢を出され、囚人籠に乗せられ、長州萩へ護送される事に、
佐久間象山は、9月29日、信州松代に護送される事に、家族も同じ江戸を出発する。
つづく。
「か~、これでは暗くて解らん、俊斎どん、灯りを借りて来てくれもはんか」、
「そうでごわすな、借りて来るでごわす」、
有村俊斎は、夜道を小走りで行き、しばらくして、火をつけたロウソクを持って来たが、その後ろに神主がいる、神主は夜に何をしているのか気になって付いて来た。
「あなた達は、いったい何をしていなさるのじゃ」、
「あっ、神主どんでごわすか、呪い釘のようでごわす」、
3人は、正直に話すと、薩摩藩の恥になると思い、偶然、見つけたことにした。
「おいどん達は参拝しもして、帰る途中、見つけたでごわすよ、あまりにも恐ろしいので、釘を抜こうとしていたでごわすよ」、
神主は、その様子を見て、
「おお、これは何と恐ろしい、誰がこんなことを」、
「解らんでごわす、偶然、通りかかっただけでごわすから」、
「そうですか、おや、釘の根本に字が書かれているみたいじゃが」、
「それは、呪いの相手の名前で、ごわしょう」、
「そうか、では早く釘を抜いてやってくだされ、そして、その名前も削り取ってやって下され」、
「はい、では」、
3人は、急いで釘を抜き、名前を削り取った、急いでも、釘は多数なのでじかんはかかった。
それを見て神主は、お祓いを始めた。
それを聞いている3人は、虎寿丸の病気が、すぐに回復して元気になるような気がしていたが、その後、
いちじは回復して、少し元気になったという知らせが薩摩より届き、3人は喜んだが、
また症状が悪くなり、7月23日に亡くなってしまう、まだ、6歳だったみたいです。
西郷隆盛は、高輪稲荷の呪いの釘の事を島津斉彬に伝え、虎寿丸が死んだのは、由羅一派の呪いの儀式によるものだと伝えたが、
島津斉彬は、呪詛などで人が死ぬ訳無い、虎寿丸は疫痢で死んだのだと言い、全く受け付けなかった。
8月、イギリスの、ジェームス・スターリンがイギリス艦4隻を率いて長崎に来航し、開国を要求して、
イギリスとの条約が結ばれた。(日英和親条約)
水戸斉昭が、「アメリカと条約を結べば、ヨーロッパの国どもが、わが国とも条約を結べと日本へ来るぞ」と、いうような事を言った通りに、
7月15日に、イギリス艦4隻が長崎に入港して来て、条約を迫り、
8月23日に、日英和親条約が成立した。
そして、9月に入り、
9月18日、吉田松陰と金子重之助は、伝馬牢を出され、囚人籠に乗せられ、長州萩へ護送される事に、
佐久間象山は、9月29日、信州松代に護送される事に、家族も同じ江戸を出発する。
つづく。