有村俊斎と樺山三円の2人と別れてから数日経ち、西郷隆盛は2人から書いてもらった紹介状を持って、小石川の水戸藩邸に藤田東湖を訪ねて行ったが、
藤田東湖は急の用事ができて水戸へ帰っていると聞かされた。
西郷隆盛は、これが藤田東湖を訪ねての2回目だったので、
「また、会えないでごわす、水戸へ帰りもしたら、次は、いつ戻るかわかりもはんし」、
と呟いて、しばらく考え、
「よし、水戸へ行くでごわす、斉彬様も水戸の者達と連絡網を作っておけというようなことを言ってごわしたし」と、
西郷隆盛は、このまま水戸へ行くことにした。
水戸へ向かい、水戸に着くと、「ふ〜っ」とした思いで、よく晴れた春の空を眺めた。
周りを見ると川があって、その両側に田畑が広がっている、
「薩摩と、少し似てるでごわすな」と呟き、
畑の土を手で取って見る、郡方書役助けの役職をしていたから、その習慣だった。
「ここの土も、あまり良くないでごわすな、こんじゃと、薩摩の百姓と水戸の百姓の暮らしは、そんなに変わらんでごわすな」とか、
呟きながら、近くの草むらに座り休んでると疲れから眠くなってきて、そのまま大きな体を寝転ばせ、寝てしまった。
では、ここで、下田の吉田松陰の様子に場面を変えます。
畳1畳ぐらいの急ぎで作られた、小さな牢の中へ閉じ込められている、吉田松陰と金子重之助、
その様子を、アメリカの兵士達は見て、夜中に船に乗り込んで来た、2人だと気づいて、その事を、通訳のウイリアムズとペリーに伝えていた。
ウイリアムズは、2人を帰した後、どうなったか心配していたので、ペリーと話しあい、ウイリアムズは、2人を見に行くのと、下田奉行所に2人に寛大な処置で許してくれるよう頼みに行くため、浜へ降りた。
その足で、2人の牢の前まで行くと、2人は、狭いので膝を合わすような格好で向かい合って座っていた。
ウイリアムズは、笑みを浮かべて話しかけた。
「やあ、酷い目にあっているね、心配していたんだけど、こんなところに閉じ込められているとは」、
「僕達は、国法を犯したんだから仕方ないです、わざわざ、見に来てくれて、ありがとうございます」、
それから、しばらく話した後、ウイリアムズは、
「これから私は、奉行所へ行って、君達が、なるべく軽い処罰で済むように頼みに行って来るよ」、
「それは、ありがとうございます、でも、僕達は、あえて罪を受ける覚悟ですので、あまりお構いなく」、
それを聞いて、ウイリアムズは、ますます2人を助けてやりたくなり、下田奉行所へ向かって歩いて行った。
つづく。