吉田松陰と金子重之助の乗った小舟が、ポーハタン号に着くと激しい波で、ポーハタン号に打ち付けられた。
2人は、上手く小舟を操ることが出来ないので、ポーハタン号の艦腹とタラップの隙間に入り込んでしまい、波のうねりのままに打ち付けられる状態になってしまい、ガチン、ガチンと大きな音を出し続けるようになってしまった。
船員達は音に気づき、何がぶつかっているのか心配になり下を見る、すると日本人2人が乗った小舟が挟まっているので驚き、顔を見合わせて、タラップを降りて行き、
「あっちへ行け」というようなことを言いながら、棒で小舟を突き押しだした。
小舟は、離れては戻るというような感じを繰り返し、たまりかけた吉田松陰と金子重之助は、思い切って、タラップへ飛び移った。
飛び移った後、小舟は、旋回しながら流されて行ってしまい、吉田松陰は、これはかえって好都合かも知れないと思った。
『小舟が流されてしまって、帰れなくなれば、このまま、アメリカへ連れて行ってくれるかも知れん』と、この時は思ってしまったが、
後で、小舟の中には、2人の日記から、大小の刀、佐久間象山や友人達のことまでわかる証拠が乗っていることを思い出して、真っ青になってしまうことに・・・、
小舟が流されて行ってしまったので、アメリカ人達は仕方なさそうに、人差し指を上に向け、腕を、クイクイっと挙げ、上がって来いというような仕草をしてタラップを登りだし、吉田松陰と金子重之助も、その後をついて登って行き船上へ着いた。
この時の様子を吉田松陰は、

【➖➖夷人は、驚き怒り、木棒を携え、梯子段を降り、我が舟を突き出す、この時余は帯を解き、立ちかけ(仕事用の袴)を着いたり。舟を突き放されてはたまらずと、夷艦の梯子段へ飛び渡り、渋生(金子)にともづなを取れという。渋生ともづなを取り、まだ余に渡さぬうち、夷人また木棒にてわが舟をつき退けんとす。渋生たまりかね、ともづなを棄てて飛び渡る。すでにして、夷人わが船を突き退ぞく、時に、刀及び雑物はみな舟にあり。夷人われら二人の手を執りて、梯子段をのぼる・・・】と、書き記しています。

吉田松陰は、すかさず、
「僕達は、是非、貴殿達に貴国へと連れて行ってもらいと思い、ここまで来ました・・・・」と、言っても言葉が通じないので、
アメリカ人の1人が、『ちょっと待て、通訳を連れて来るから』というような仕草をして、船内へ入って行った。
しばらく待っていると、通訳士の、ウイリアムスを連れて出て来た。
ウイリアムスは、2人を見て、
「私は、通訳をしている、ウイリアムスだ、君達は、こんな夜中に、いったい何をしに来たんだ?」、
「僕達は、あっちの船へ行ったら、こちらのほうに通訳の方がいると言われ来ました、僕達は貴国に連れて行ってもらいたい、貴国のことを知りたい、学びたいのです」、
「それは、立派な心掛けで、連れていってやりたいが、今は駄目だ」、
「どうしてですか?僕達は真剣に学びたいのです」、
吉田松陰が大きな声で言うと、ウイリアムスは、しばらくの間、2人を見つめて、
「もしかして、今日の昼間、うちの船員が街を歩いている時に手紙を渡してきたのは君達かね」、
「はい、そうです、それは僕達です」、
吉田松陰は、手紙が無事に渡っていると知って嬉しい気持ちになった。

つづく。