吉田松陰と金子重之助は、小舟を海に押し出して乗り込み、金子重之助が漕ごうとすると、櫓杭(ろぐい)が無かった。
「先生、櫓杭が無いから、櫓(ろ)をはめ込めません」、
「何!櫓杭が無い、それでは、褌(ふんどし)で縛って漕いだらどうだろうか」、
「はい、そうしましょう」、
金子重之助は、返事をすると、早速、褌を外し、櫓を舟に縛り漕ぎ始めると、櫓は、もう一本、別の舟から持ってきているので、吉田松陰も褌を外して、両側に縛り、2人で漕ぎ出した。
でも、フラフラと波に揺らされ、なかなか上手く漕げない、そうこうしているうちに、褌が破れてしまった。
「先生、ダメです、破れました」、金子重之助が悲しげに言うと、
「金子君、帯で、巻きつけて、漕いでみよう」、
2人は帯を解き、帯で縛り付け、櫓を漕ぎなんとか進んで行った。
この時の様子を吉田松陰は、
【〜八つ時、社を出て船のところに征く。潮すすみ、舟浮かべり。よって押し出さんとて、舟にのぼる。しかるに櫓ぐい無し。よって櫂を褌にて縛り、舟の両側に縛り付け、金子と力を極めて押し出す、褌たゆ。帯を解き、櫂を縛りまた押してゆく。岸を離れること一町ばかり、ミシシッピー船へ押しつく】と、書き記しています。

意思躰中の術で海鳥の体を乗っ取っている翳り(かげり)は、2人の様子を見ようと舟の上に降りて来た。
【意思躰中の術とは、114話、115話を、お読みください】
翳り(海鳥)は2人の様子を見て、
『そうか、櫓杭が無いのか、漁師達は、舟を泊めて置く時は、櫓杭を抜き取るからな、2人とも漕ぐのに苦労してるな、ま、私なら、なんなく漕げるけど、体を元に戻して、ここまで泳いできて、漕いでやってもいいが、する訳には、いかんわな』と、思っている、
翳りにとっては、浜辺から、ここまで泳いできて、この舟を漕ぐぐらいなんでもないことだった。

船の先端に、降り留まっている翳り(海鳥)に気づいた、吉田松陰は、
「見てみろ金子君、この海鳥、まるで、わしらのことを心配して見ているみたいだぞ、ハハハ」、
笑いながら、言うと、金子重之助も、
「本当ですね先生、まるで僕達の舟の漕ぐのを心配して見ているみたいですね」、
そう冗談ぽく言った。
翳り(海鳥)は、『別に心配しているわけじゃないが、まあ、このぶんじゃ、なんとか黒船に着くだろうな、私は先に黒船のところに行って、マストの上から見ていようかな』、
翳り(海鳥)は、そう考え、ミシシッピー号に向かって、羽ばたいて行った。

「あの海鳥、なんだか黒船に向かって飛んで行ったみたいだな」、
「ええ、そうですね」、
「よし、わしらも頑張って、黒船まで漕ごう」、
2人の漕ぐ小舟は、苦闘しながらもミシシッピー号まで着いたが、
この後、漕いで行くことになる、ミシシッピー号からポーハタン号までは、この何倍も苦労して行くことになります。

つづく。