黒船に、乗り込む当日の昼、2人は、蓮台寺村の温泉に入ったり、散歩したりしながら夜になるのを待った。
2人は、下田にも蓮台寺村にも宿をとっていたので、怪しまれないように、下田の旅館のほうには、出る時、今日は蓮台寺村の旅館に泊まると言って、2人は散歩しながら蓮台寺村に行き温泉に入っていて、吉田松陰は皮膚病にかかった手をさすりながら、
「いよいよ、今日だな金子君」、
「はい、そうです先生」、
2人は、お互いを確かめ合うように、言葉を交わしている、やがて夕刻になり、温泉からあがり、旅館を出る時、蓮台寺村の旅館のほうにも、今日は下田の旅館に泊まると言って出ると、2人は柿崎の海岸に向かって歩き、やがて柿崎に通じている武山海岸に出ると、日は沈み、すっかりと暗くなっていた。
遠く沖のほうに、黒船の灯が見えていた。
柿崎の海岸に出ると、2人は、20時頃まで浜辺で睡眠を取ることにし、それから、アメリカ士官が、ボートで迎えに来るのを待つことにした。
20時になると、黒船は点鐘を鳴らすことになっている、
夜空を見ながら、
「どうだ、金子君、迎えに来ると思うか?」、
「来てほしいですが、もし来なかったら、こちらから漕いで行きましょう」、
「うん、そうだな、弁天社の浜辺に小舟が2艘あったから、それを借りて行こう」、
借りると言うより、盗むのと同じことだった。

それを、翳り(かげり)は、少し離れたところで潜んで見ていた。
「あの2人、どうしても、今日、行くつもりみたいだな」、
自分が、忍術を使うのに利用するための海鳥を捕まえ、手製の鳥篭に入れ、餌を与えながら、海鳥に話しかけていた。
「ごめんね、もう少し、もう少し篭の中で我慢しててね」と、
海鳥に言葉は通じないのに、そう呟きながら2人の会話を聞いている、
翳りは、離れたところでも、耳をすまし、集中すれば会話を聞くことができるのだ。

やがて、20時になり、黒船は点鐘を鳴らし、その音は、夜の海、海辺に鳴り響いた。
「金子君、五つ時になったな、弁天社の下に行って待とうと思うんだが、どうする」、
「そうしましょう」、
2人は、弁天社の下まで行き、ひさしの下で海を見ながら待つことにした。
小舟が二艘、浜辺に繋がれている、潮が満ちていないから砂浜に上がっている、迎えが来なかった時には、この2艘のうち、どちらかの小舟で行くつもりだ。

翳りも、後を尾いて来て、人目につかない場所を探し、見つけると結界を張る準備を始めた、この忍術を使う時、自分の体は、仮死状態になってしまい、自分の分身も消えてしまうそのため、自分の体を隠すための結界を張らないといけない、
その忍術の名は、“意思躰中の術”、自分の意思を人間や動物の体に入り込ませ、相手の体を乗っ取る忍術であるが、相手の精神力が強ければ、入り込むことは難しく失敗の可能性が高く、また、自分の体は、仮死状態になるので、闘っている相手には滅多に使うことのできない忍術だ、この忍術は、主に、偵察などの目的で動物や鳥の体に入り込んで使うことが多い。
翳りが、この忍術を使おうとするのは、もう、約300年ぶりぐらいになる。

つづく。