吉田松陰と金子重之助は、熱海で泊まっていて、吉田松陰は、温泉に入っている、
温泉に入りながら考えていることがあった。
ペリーを暗殺することだった。
『ペリーを斬るのは、やはり、やめたほうがいいだろうか、やめて、アメリカへ連れて行ってくれるよう頼んで、アメリカという国を見に行くのがいいか、もし、ペルリを斬り殺せば、わし1人だけの問題じゃなくなるけん、国同士の問題になって、戦争になるかも知れん、はっきり言って、今の日本じゃ、アメリカに勝つのは難しいじゃろう、やはり、アメリカへ行って、アメリカの中を見て、対抗策を練ったほうが・・・・・』、
吉田松陰は、温泉に入りながら、ペリー暗殺を中止にするか?決行するか?、どちらにするか、真剣に考えだしていた。

翳り(かげり)も、その隣の女性専用の露店温泉に入っていた、月明かりに、大きな胸元、綺麗な裸体が照らされていた。
その綺麗な裸体は、戦国時代に、時送りの術を使ってしまい、死ね無く歳も取らない体になってしまい、戦国時代から江戸末期までの、約300年以上、その体は、約300年以上、生き続け、経っているとは、思えないほど、綺麗な裸体だった。
温泉に入りながら、翳りは、考えていた。
『あの術を使って、息子を、400年以上先の未来へ送ってから、300年は経ったか?、もう、どれだけの年月が経ったか?、忘れてしまって、年数を数えるのも、面倒くさくなったわ、300年経っても、私の体は、あの時のまま、28歳の体で止まっている、お婆さんにもならず、喜んで、いいのかどうか、ハハハ、300年、生き続けて、300年前と同じ体か、こうやって考えてみると私、なんだか妖怪みたいだな、ワハハハ』、
翳りは、月を見上げて、
『後、100年以上経ったら、息子に会えるかな?、すれ違いになってしまうかな、目印は、腕につけている、この紋章だけ、探すの大変だろうな、フ〜』、
翳りは、遠い未来に、自分の息子を、腕の紋章だけを頼りに探すのは、大変だろうなと、深い、ため息をついた。
【翳りの、忍者一族は、腕に、紋章の証しを付けていた】

翌日、吉田松陰と金子重之助は、下田へ向かって出発し、3月18日に、伊豆半島の先端の港町下田についた。
宿を取るため、旅館清水屋へ行ったけど、何かの理由で駄目で、隣の旅館下田屋に入り、2階に部屋を取ることができた。
次の日、黒船が来てるか、浜辺に見に行くと、2隻浮かんでいた。
船からは、まだ神奈川条約を結んだばかりだけど、米兵は下田の街を自由に歩けるようになったので、船から降りて自由に散歩している米兵が何人もいる、
吉田松陰は、その米兵の誰かに、投夷書を渡そうか考えたが、米兵達には、日本語は通じず、停泊している2隻の船は、ペリーの乗っている船ではなくて、
それに吉田松陰は、ペリー暗殺を決行するか中止にするか悩んでいたので、投夷書を渡すのは、やめることにした。
それと旅の間にかかってしまった皮膚病のこともあった。
疥癬(かいせん)、または、ひぜんとも言う皮膚病で、このまま、米兵の近くに行くのも気が引けて、その前に治療をしてからにしようと思い、
蓮台寺に、皮膚病に良くきく温泉があると聞いたので、湯治に行くことにした。

つづく。