ペリー艦隊は、下田へ向かう前に、江戸の街を近くで見ておきたいと、江戸へ向かい行こうとした。
すると幕府側の小舟が急いで、旗艦ポーハタン号に行き、乗り上がり、アメリカ側のオランダ語で通訳している通訳士に「やめてくれるように」頼んだが、
【アメリカ側は、オランダ語なら日本人は解るということで、オランダ語の話せる人間を通訳として連れてきていた】
通訳の者が、ペリーに伝えに行くと、ペリーは、
「我々は、アメリカ国大統領の命令なら従うが、日本国の役人の命令など聞く必要無い」と言い、
江戸へ向かって、ポーハタン号、ミシシッピー号と続いて発進し、それに続いて全艦、発進した。
それを見ていた、黒船見学の群衆は、それにつられて走った。
吉田松陰と金子重之助も、黒船を追いかけて、丘の上を走った。
やがて、霧が濃くなって来て、池上の本門寺の塔がうっすらと見えたところで、干潮のため水深が浅くなってきたので、これ以上、進むのは諦めた。
アメリカ艦隊の記録では、もし、この時、霧が無ければ、江戸の街が、ハッキリと見えただろうと言うようなことが書いてあるみたいです。
諦めた、ペリーは、全艦隊を下田に向かって進んで行った。
それに合わせて、吉田松陰と金子重之助も後を追って進んで行ったが、丘の上を、走ったり歩いたりして追いかけるより、当然、海の上を船で進むほうが圧倒的に早い、すぐに見えなくなる、吉田松陰は、あちこちで黒船がどこに向かった聞きまくり、金沢沖から下田へ行ったらしいと聞き、急ぎ足で下田へ向かった。
そして、その後を、吉田松陰に興味を持って、後を追って尾けている、翳り(かげり)がいた。
【翳りは、久々に登場させますが、翳りのことを知らない方は、幕末篇以前の時空の彼方へをお読み下さい、翳りは、ある忍術を使ったために、死なない体になってしまった、元女忍者です、もちろん私の創った、架空の人間です】
九州から吉田松陰の後を尾けている、翳りは、吉田松陰が、ペリーを暗殺する気でいることも知っている、翳りは、本当に斬ってしまうなら、歴史に残るような瞬間を見たいという気持ちで、ワクワクさせながら後を尾いている、
『あの、吉田寅次郎という男、本当に、ペルリを斬り殺すだろうか?、もし斬り殺したら、この先、歴史に残ることになるだろうな、見届けないと』、
遠い未来に送ってしまった、自分の息子に、いつか会えた時に、自分が見てきた、後世に残る歴史的瞬間の場面を語ることが目的の一つである翳りにとって、吉田松陰のペリー暗殺は、この目で見ておきたい場面だった。
吉田松陰と金子重之助は、保土ヶ谷を発って、1日目は鎌倉に泊まった、雨が降っている、次の日も雨で、鎌倉から藤沢へ、藤沢から酒匂川を渡り、酒匂川を渡る途中、深間に落ちたらしいです、小田原へ入ってから、濡れた服を乾かし、小田原から根府川を越えて、熱海に入り、1泊し、温泉に入り湯治した。

つづく。