吉田松陰と金子重之助は、32キロの距離を急いで夜中中歩き、夜明け前に保土ヶ谷に着いた。
吉田松陰の持っている荷物は、小折本の孝経本文、和蘭(オランダ)文典、訳鍵、そして、鳥山新三郎から貰った唐詩選掌故と長鳥三平から貰った地図、抄録用の日記帳1冊だった。
それと腰には、宮部鼎蔵と交換した、宮部鼎蔵の太刀が差さっていた。
2人は保土ヶ谷を歩き、宿を取り、そのまま現代時間で、午前8時頃まで寝ていた。
起きると、投夷書を書いておこうと考えた、吉田松陰は、ペリーを斬り殺す気でいたので、投夷書を書く必要があるかどうか考えたが、この時には、ペリー暗殺は中止しようか考えだしていて、もし、暗殺を中止して、アメリカへ連れて行ってくれるように頼むなら、投夷書は書いたほうがいいし、暗殺するにしても、ペリーを油断させるのには効果があると思い、投夷書を書くことにした。
「金子君、今から投夷書を書いておくぞ」、
「えっ、しかし、ペリーを斬るのに投夷書ですか」、
「あっ、うん、わしは今、ペリーを斬るのはやめようか考えとるんじゃ、斬るにしても、投夷書を渡したほうが相手は油断するだろう、まあ、斬るのを中止にしても、しなくても投夷書は書いておいたほうが良いと思ってのう」、
「たしかに、そうですね」、
「だから、その前に、名前を変える必要があるんじゃ、わしらの名前考えようか」、
もしもの時には、藩主・毛利敬親に迷惑がかかるので2人とも、道中、歩きながら変名を考えていて、金子重之助が、
「私は、もう考えていまして、市木公太とします、江戸では、渋木松太郎って名前を使ってましたが、同じ名前では、もしものとき、長州藩の人間だと判ってしまうかと思い、市木公太(いちぎこうた)にしました」。
つづいて、吉田松陰が、
「市木公太か、うんいいな、僕は、瓜中万二(くわのうちまんじ)だ、それで、金子君は、どうして、市木公太にしたんだ?」、
「それは・・・」と、金子重之助は言い、紙に書き出した。
「渋木は、渋き、渋き柿に例え、柿の字を半分に分け、市木とします、公太は、松太郎の松をまた半分に分け、右半分の公と下の太を合わせて、公太としました」、
吉田松陰は、ニコリと笑って、
「なるほど、上手いな、僕のは、吉田家の家紋さ、クワは瓜、瓜の中の卍で、瓜中万二にした」、
2人は、冗談っぽくつけた名前に微笑みながら、
「この、瓜中万二と市木公太の名前が、もしかしたら、世界中に響きわたることになるかも知れんぞ、金子君」、
「はい、そうですね、先生」、
2人は、明るく笑いあいながら、吉田松陰は、投夷書を書き始めた。
【日本国江戸府の書生、瓜中万二、市木公太、書を貴大臣、各将校に呈す・・・・・】、
吉田松陰が書いていくのを、金子重之助は横で感心しながら、のぞき込んでいた。

つづく。