短編小説『汚泥の底』 | 田中創の薫製サラダのブログ

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1.歩く


 俺の住む県、というか俺の住む近所にはさほど大きくは無いが、底なし沼がある。
 その沼は汚く、淀んでいてまさに汚泥。あらゆる県内の研究者がその沼の底を調べたが、結局は底が知れず、結局研究は打ち切られ誰も見向きもしなくなった。
 その汚泥にまつわる話。この話は今から二、三年前の事なんだが、今は誰も覚えていないような小さな事件が起きたことがある。その汚泥がある市内で行方不明者がでた。何の変哲もないどこにでもいるような普通の行方不明者だ。しかし、汚泥の近所でそいつを見たと言う奴が沢山いた。
 そして噂が立つ。そいつは底無し沼で自殺したという噂が。そんな根も葉もない噂が。
 それからその沼にはフェンスが張られた。子供が遊んで入ったりしないようにと張られたのだが、近隣住民は死体が見つかったなどという訳も分からない推理をしている。
 まぁ、どうしてここまで俺が沼について詳しいかと言うと、俺はその沼に近親感が湧いているからだ。暗く、雑草にまみれて汚く淀んでいる底のない沼。そんな印象を自分自身に抱いている。学生を謳歌している時からその印象を自分自身に抱いている。
 もちろん、社会で生きていくために普通の人を演じているが、自分は自分が最も知っている。俺は汚泥だ。
 中学生頃、俺は苛められていた。原因は無く、ただそこにいたからという極々普通の理由だ。だが別に俺は苛められていても苦にはならなかった。暴力には暴力を。毎日人を殴れて逆に楽しんでいた。しかし、俺を助ける馬鹿な野郎がいた。そいつは正義感が強く、喧嘩も強かった。
 ある時、日課となっていた俺への暴力を暴力で返していた。そして、そいつは颯爽と現れ、俺の喧嘩相手8人を相手にし、全員を地面に寝かせるという偉業を成し遂げた。しかし助けてもらった俺はそいつを殴りつけ押し倒し、殴り続けた。気絶しかけた頃に学校の屋上に行き、そいつの半身を外に乗り出させた。
 「おい、お前は俺のために死ねるか?」
 俺は多分そう言ったと思う。
 そいつは小便を漏らしながら首を横に振り、目の前にいる俺に恐怖を感じ、泣いていた。
 今思うと何をしたかったのかよく分からないし、分かりたくもないが、そのときの感情は覚えている。
 俺はあの時激怒していた。もちろん喧嘩相手を奪われた事もだが、それより俺自身が弱いと思われたのが堪らなく嫌だった。
 その後そいつを自由にしてやったが、半身を乗り出させた時は本気で殺す気だったはずだ。
 そして、その時に俺は自分が汚泥と悟った。
 恐らくよく分からないだろう。俺にも分からないが、とりあえず俺は汚泥だと自覚したんだ。

 俺は今外にいる。夜道が明るい満月に照らされてよく見える。
 数分前、会社からの帰宅途中、知らない男に絡まれ、金を出せとナイフで脅された。
 そこから俺は奴の腹を蹴り、跪かせてから顔面を全力で蹴り、寝そべった奴を延々と蹴った。馬乗りになり拳で殴ってもよかったが、それだと手の皮が剥ける。もし死んだら俺に疑いがかけられるのはマズい。そうなると面倒だ。だから足を使った。
 しばらくすると奴は動かなくなった。しかし息はあるようでゼェーゼェーと荒い息を吐いている。
 「お前はなんだよ。いきなり出てきやがっをてよ」
 「はぁ…はぁ…」
 「なんか喋れよ!」俺のつま先が奴の鳩尾を抉る。「ぐぇ!」
 髪を掴み、より聞こえやすいようにゆっくりと話しかける。
 「どうして俺を襲ったんだ。理由はあんのか。どうなんだよ」
 「う…うぇ……あんたがたまたま通った、ぐぇ!」もう一度鳩尾を抉る。
 「理由はねぇのか。ならいいや。てめぇはそこで死んでろ」ゴンッと音を立てながら俺は足で奴の顔面を遠慮なく踏みつけ、その足で自宅に向かった。
 俺は25独。家はアパート。極々普通の会社員だ。