こんばんは。台風は21時の時点で茨城まで抜けて来たようですね。愛知や静岡など、台風による大きな被害が出ていましたが、みなさん大丈夫でしょうか。これからしばらくは、吹き返しや前線の影響などで、まだ油断できない天候が続くようですので、充分注意して過ごしましょう。
昨日、甘樫坐神社でのお参りを終え、先ほどとは逆のコースで散歩しながら寄り道してきました。その続きです。
甘樫坐神社の境内からは、豊浦寺のお堂が見えています。もう本当にすぐ裏手にあるんです。神社とお寺の密接さがわかるのではないでしょうか。
ということで、甘樫坐神社を後にしました。ちょっと下がったところから写真を撮ってみましたが、やはり見回しても鳥居が見当たりません。なにか謂れがあるのかもしれませんね。
豊浦寺へ回り込んできました。ちなみにこの寺の住職さんは、蘇我原さんとおっしゃるそうです。蘇我家と関連がありそうなお名前なんですね。
豊浦寺から数メートル先にある石碑です。この石碑は昨年立てられた新しい物ですが、とある韓国の学者が、古代百済から伝わった伎楽伝来の地がここであるとの学説を立て、その記念碑とのことです。
いままでは、同じ奈良の桜井市に伝来した説が有力でしたので、新しい学説との論争になりそうな気がします。
ちなみに伎楽とは、中国の呉で起こった舞踏演劇のことのようです。
あともう一つ論争になるネタですが、その伎楽の石碑の向こうに、とても小さな池があり、中にはほこらが立てられています。
この池を通称「難波池」と呼ばれ、昨日の記事でも述べた豊浦寺に伝来した仏像を捨てた場所と、地元では言われている池です。
廃仏派の物部尾興は、蘇我稲目邸宅に安置された、百済伝来の仏像を取り上げ、難波の堀江に捨てたと言われています。今までは難波は大阪の難波、堀江は難波に流れる水路のことと言われていました。
推古天皇の時代、信濃の本田善光がその仏像を拾い、長野に持ち帰り善光寺が創建されたという縁起が伝えられています。その日本で最初に伝わったとされる仏像は、今は善光寺の絶対秘仏として安置されています。
はたして、難波の堀江とはここの小さな池なのでしょうか、それとも大阪の難波にある川のことなんでしょうか。今のところは大阪説が有力みたいですけど。
ただ、豊浦寺の近くに捨てられていたとすれば、本田善光も見つけるのは容易いし、これが豊浦寺と関連があるものとも想像しやすいのかなあとは思いますけど。
ちょっと話がそれてしまいました。このあと甘樫丘へと戻って行きました。
意外に天気が持ちましたので、すこしゆっくりと散歩できそうです。
雨に濡れて、ツリガネニンジンらしき植物が倒れていました。
なかなかピントを合わせるのって難しいですね。本当は花に付いた雫の様子なども、もっと大きく撮りたかったのですが、これで目一杯です。
ということで、ピントの練習代わりにツユクサを。僕としては上出来です。花びらに付いた雨の雫がもうちょいきれいに撮れるといいのですが。
結構雨の中、歩いている人が多かったですね。この写真を撮っている最中に、東京から遊びに来たらしいご夫婦に道案内をしました。丘の反対側に降りてしまったらかなり遠回りしてしまいますので。
ちょっとわからない植物でしたので、写真に撮って調べてみました。ツルボというユリ科の植物のようです。甘樫丘に結構咲いていました。
こんな感じで、ところどころ固まって咲いています。アップで撮っても、あまりユリ科らしくない感じがしました。
とても可愛らしい花ではありますが。
さて、最後に撮った植物は、このちょっとグロテスクな実をつけた、ツチアケビです。ビニールテープでマーキングしていますので、結構貴重なのかなと思いましたが、どうやらかなり希少な植物みたいです。
しかもこの植物、ランの仲間だそうで、寄生するつる植物だとのことです。
アケビと名がついていますが、この赤く色づいた実はまずいらしいです。
ツチアケビも寄って撮ってみました。もう何十枚と失敗しましたが、なんとなくコツらしき物をつかめたような気がします。それにしても、何とも形容しがたい姿をしています。
甘樫丘は、来るたびにいろんな姿を見せてくれるので、なかなか歩きがいがあります。今度は天気が良い日を選んで歩きたいところですが、そろそろ棚田のほうもきれいになって来たらしいので、今度はそちらかなと思っています。