延暦寺会館からしばらく歩いて、すぐに東塔境内へと繋がる長い階段があります。登山道を歩く人はほとんどいませんでしたが、この辺りからとても賑やかになってきました。
階段を上がりきった場所にあるのが、文珠楼という比叡山の総門。東大寺や高野山の大きな山門を見て来たので、こじんまりとしているように見えてしまいました。本当はそこそこ大きいんですけどね。
名前にあるとおり、文殊菩薩を安置した高い建物ですが、総門としての役割も兼ねているというところですね。
実際にこの文珠楼の2階に上がることができるのですが、そこには文書菩薩像がちゃんとありました。
文珠楼のわきには、十三重塔の石塔がありました。イチ、ニ、サン、シ、数えてみるとちゃんと13ありましたね。
以前明日香村の檜隈寺跡を見たとき、十三重塔があったのですが、数えてみると11段。古い石塔の場合破損などで上部が失われていることがあるため、数える習慣がついてしまいました。
その向こう側には下りの階段があり、根本中堂が見えてきます。
根本中堂、そういえば高野山の壇上伽藍の中心は、根本大塔という巨大な多宝塔でした。あちらは開祖弘法大師の思想を表したものでしたが、こちらはどうなんでしょう。
林の間から見えてきました。むむ、思っていたよりでかい。写真で見た印象よりも、全然でかいぞ。根本=巨大でなければならないのかな。
おお、このでかさ、もしかして長谷寺の本堂より大きいのか(これは合ってました)、まさか善光寺よりも大きいとか(これは間違い)。やっぱり実際に目で見てみないと、わからないものですね。写真やテキストの情報だけでは、実物の情感とかも全くわからないし。こうして写真を貼付けても、大きさはなかなか伝わってこない感じがします。
根本中堂の大きさは、間口が約37m奥行きが約24mで、高さも約24mとあり、歴史的な木造建築としては相当大きなものでしょう。京の町に近いとはいえ、標高700mの山地深くにこのような大きな建築物をつくるというのは、相当な労力と財力と、土木建築の技術力がなければ出来ない訳で、現代でも修繕などがあれば困難な作業になることは間違いないと思います。
良く見かけるのが、この角度から撮った写真。回廊部分とのセットが、この根本中堂らしさみたいな感じもします。
周辺の木々は、ちょうどいい感じで色づいています。京都や大津の街中に比べると、さすがに紅葉は早いみたいですね。
根本中堂では、90すぎのおばさまへのお土産などを買って、お参りをすませました。
平日で曇り空でしたが、この人出。高野山よりもずいぶんと賑やかで、さすがに京都に近い分お客さんもおおいのでしょう。
少し離れた場所に、東塔境内の大講堂がありました。もともとはこの場所に旧大講堂があったのですが、戦後に火災で焼失したために、山麓にあった比叡山東照宮のお堂を移築したものだそうです。大講堂というには、根本中堂に比べると小さく見えます。旧大講堂がどの程度の規模だったのかも気になります。
大講堂脇にある鐘楼。鐘をつく順番の列が出来ています。
戒壇院と名付けられた古いお堂。戒壇院ということは、延暦寺で学んでいた僧侶達が、この場所で戒律を受けていたということなんでしょうね。といっても、戒律の概念がいまいち理解できていないので、どのようなものなのかピンと来ません。
東塔境内にある法華寺総持院東塔と阿弥陀堂。
そういえば言い忘れていましたが、延暦寺は三つのエリアに分かれていて、現在は東塔エリア、その他西塔えりあと横川エリアに分かれています。東塔があるから東塔境内なのかどうかはよくわかりません。
法華寺総持院東塔は多宝塔の様式ながら、上層の中央の部分が丸ではなく四角くなっているのが特徴です。かといって二重塔でもなく多宝塔。
参考に、高野山の根本大塔の写真。上層の部分が丸くなっています。
もう一つ参考に、こちらが山の辺の道平等寺で撮った、二重塔の写真。上層の部分は四角ですが、どうでしょう違いがわかるでしょうか。上層と下層のが細い方が二重塔で、太く広いのが多宝塔と言えるんでしょうか。
ちなみに初層と上層が両方とも四角い多宝塔で、古い建築のものは非常に貴重で少ないそうです。比叡山の東塔は1980年の再建だそうです。
東塔エリアを見た後は、比叡山の最高地点[大比叡]へ登りに行きました。
最近アメブロでお付き合いしてくださる方の影響で、山が近くにあるのなら登ってみようかなと思うようになりました。以前ならこんなことはなかったのですが。
ということで、大比叡の記事は次の記事で。




























