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神功皇后にまつわる場所を追って、宗像と福岡市東部の場所と由来を並べ、一旦その人物像を追ってみようと思っていましたが、少し考えなおしました。

当初の予定では、狭い地域で語られている人物像をまとめて、徐々に地域を広げながらエピソードを追加していき、より深く掘り下げることで、面白い考察になるのではと思っていました。
下書きを少し書いたところで、やはり情報量が少なすぎることや、チラホラと小さな疑問点が膨らんでいってしまったことにより、まったく先が書けなくなってしまったのです。

やはりここは、書ききれるところまで縁のある場所と、知り得る範囲でのエピソードを追加し、最後にまとめたほうがいいと思い、今回の記事に方向性を変えてみました。

ということで、今回は福岡市中央・南部とその周辺にある、神功皇后にまつわる場所をあげていきます。
前回の続きのような記事になってしまいましたが、どうも申し訳ないです。

1 住吉神社(福岡市)
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住吉神社は全国にありますが、こちらは博多にある住吉神社。
住吉神社と呼ばれる神社は、神功皇后に関連のある住吉神を祭った神社と、のちの時代に住吉神を勧請した神社にわかれています。
大阪の住吉大社、神戸の本住吉神社、下関の住吉神社、壱岐の住吉神社などが有名です。
この博多の住吉神社も含めて、
住吉の名は、大阪の住之江(墨ノ江もしくは澄ノ江)の地名が元になっていると思います。
つまり、大阪の住吉の名が、全国にある海神の神社に広まっていったのではと思っています。

2 警固神社

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今年の初詣に出かけた、福岡天神にある神社です。
神功皇后が三韓征伐に際して、警固大神が現れて船団を守ったことから、この神社を祀ったと言われています。

ここでどうもこんがらがってきます。神功皇后は三韓征伐に際して、いろんな神様に祈り守られているわけですが、どうも役割が被っている神様がいるように思います。
この警固大神と、住吉大神・綿津見(海神)ですね。事実、住吉と綿津見はイザナギの神産み時に同時に生まれてきたとされていて、実は同じ神様だという人もいます。
警固大神についても、順番は別にしてイザナギの神産みで生まれているので、役割は違う神様ではありますが、同じ伝承から生まれたのではと考えてしまいます。

3 現人橋(あらひとばし)現人神社
写真はありません。
福岡市の南の更に南、那珂川町という場所にある現人橋。この橋は那珂川の上流にかかる橋ですが、その場所に住吉大神が姿を表して、船団を導いたことから、現人橋と呼ばれるそうです。
位置関係で行けば、かなり内陸にある場所ですので、那珂川を下って博多湾へ出る場所であった可能性はありますが、そんな場所に海の神様である住吉大神が現れたとあれば、かなり異質な伝説のように感じました。

4 鎮懐石八幡宮
こちらも写真なしです。
神功皇后は出産を遅らせるために、お腹に石を抱いてお腹を冷やしたと言われていますが、その石を納めた神社のうちの一つと言われています。(壱岐の月讀神社・京都の月読神社で全部で3つ?)
鎮懐石八幡宮は福岡市から更に西、糸島市にあります。地図などを見て確認すると、いったい神功皇后はどんなルートで帰ってきたんだろうと疑問に思います。

今回の位置関係は以下のとおりです。


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鎮懐石八幡宮だけがやけに離れているのが気になります。
実は福岡市周辺だけでも、まだまだたくさんあるのですが、キリが無くなったので、まあこのあたりで。
人によってはもっと重要な場所があるだろうという指摘もあるかもしれませんが。


神功皇后にまつわる場所を探して、その人物像にせまってみようという試みの、2回目です。

前回の宗像地域の位置関係は、こんな感じでした。


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福岡市からみて北側に、海沿いに神社が並んでいるのがわかるでしょうか。
宗像大社と織幡神社は、本社と摂社の関係でもあるので、とても近い関係を持っています。
また、宗像大社に関しては、位置を示しているのが辺津宮のみで、筑前大島の中津宮や沖ノ島の沖津宮を含みません。

1 和白・三苫
えーと、ここの写真はありません。僕は都合3年ほど、その場所に住んでいました。
和白(わじろ)は、神功皇后が合議を開いた場所と言われていて、日本最初の会議があった場所と地元では言っていたりしました。
三苫(みとま)は和白のとなり町で、神功皇后が荒れた海が収まるよう、海神に祈りを捧げ海に投げた苫(むしろ)が漂着した場所に海神の神社を作ると誓い、その苫が三枚漂着した場所に綿津見神社を作ったことから、その地が三苫となったそうです。
(引用元:和白郷土史研究会・三苫の歴史)
和白に関する具体的な場所はわからないのですが、三苫の綿津見神社は今も残っています。ここは九州ではあまり見られない神仏習合の神社でして、今度帰省したときには行ってみたいと思います。

2 志賀海神社

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和白・三苫から半島を西に、その先にある陸繋島の志賀島。ここには古代からある綿津見神社の総本社志賀海神社があります。志賀島といえば金印が発掘された所で有名です。
僕の神社好きが、それこそ頂点に達したと言っていい、とてもすごい場所です。
宗像大社が宗像氏の氏神だとすれば、志賀海神社は安曇氏の氏神です。いまでも神社の神官は阿曇氏が務めています。

安曇野の安曇は、志賀島を本拠地にしていた海人阿曇族が移住した場所と言われていて、穂高神社には綿津見の子で宇都志日金析命を主祭神にしています。奥穂高岳の頂上に現れた穂高見神(宇都志日金析命)を祀るため、嶺宮が設置してあるらしいのです。僕はぜひその場所を確かめるため、数年以内に奥穂高岳に登りたいと思っています。このへんについては、別記事で詳しく書いてみたいと思います。

志賀海神社と神功皇后ですが、三韓征伐に際して立ち寄ったと言われています。当時博多から外海に出る際には、必ず志賀島で一泊したそうで、その際に外海での安全を祈願するため、海神を祀る神社が作られたと考えられます。
写真に写っているのは、神功皇后が志賀島に立ち寄った際、阿曇氏の祖神である阿曇磯良が亀に乗ってきた伝説を表す、亀石が奉納されているところです。亀石といっても、飛鳥の亀石のようにはっきりと亀が象られているわけではありません。ただの平べったい石に見えました。後年奉納されたものらしいです。

3 香椎宮

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香椎宮は、仲哀天皇と神功皇后が作った橿日宮(かしひのみや)があった場所と言われ、朝廷を始め歴代の為政者の厚い保護を受けた神社です。正確な場所がどのへんだったかは不明ですが、ここで仲哀天皇が急逝したと言われています。
神社の建築様式では唯一の存在である、香椎造の本殿があります。この写真は昨年の夏で平日でしたが、若い巫女さんが働いていました。
宗像大社もそうでしたが、若い巫女さんが常にいて、華やいだ柔らかい雰囲気がありました。

4 筥崎宮
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いままでの場所は、神功皇后が滞在もしくは立ち寄った場所ばかりでしたが、ここはそうではありません。
もともと筑豊地方にあった大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)から遷座の託宣により、この地に作られたそうです。
その元宮である大分八幡宮は、三韓征伐後滞在した場所と言われています。

福岡市東部のその他の縁故地としては

・応神天皇を産んだ場所と言われる、宇美(うみ)八幡宮
・応神天皇のおしめを替えた場所と言われる、志免町(しめまち)
などがあります。
このうち、実際に立ち寄ったり滞在した場所がどのくらいあるのかわかりませんが、それにしても多すぎてキリがありません。

今回分の位置関係です。


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こうなります。今回は海のそばというだけでなく、内陸にも滞在場所が及んでいます。
これら以外にも福岡市内には幾つか縁のある場所があります。

とりあえず次回は、これらの場所から想像される人物像を追ってみたいと思います。

※追記 神功皇后の人物像を追う予定でしたが、まだ情報が不足気味だったので、このまま縁のある場所を広げていきたいと思います。人物像の掘り下げはそのあとで。

先日警固神社へ初詣に行った際、その場所が神功皇后にまつわる神社であることを書いたのですが、その神功皇后が北部九州と近畿にたくさん縁故地がある女帝であることは良く知られています。

じゃあどのくらいの場所があるのだろうと僕なりに疑問をもってしまったので、今回はその北部九州編ということで少しまとめて見ました。行ったことがある場所は写真も載せながら、伝説に彩られた神功皇后について考えてみたいと思います。

記紀などによれば、神功皇后は長い期間政治を行なっていたことや、中国などの文書を根拠に、女性天皇であったという人もいます。さまざまな伝承などには超人的な部分もあって、実在説と非実在説によって論争にもなる、謎多き人物としても知られています。
別名をオキナガタラシヒメ(息長足姫)といい、仲哀天皇の皇后であり応神天皇の実母ということで、八幡神社などでは八幡三神の一柱として、信仰の対象にもなっています。

北部九州の縁故地は、主に三韓征伐に際して九州に遠征した際の場所であり、それぞれに由来が神社などに残されています。

1.宗像大社
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北部九州で屈指の秘境ともいえる沖ノ島を含む、航海の神を祀る神社です。(福岡県宗像市)
おそらくですが、神功皇后以前からある古い神社であるようですが、この地で神功皇后が航海の安全祈願を行ったという伝承が伝わっています。

2.織幡神社

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宗像大社からほど近い場所にある織幡神社は、武内宿禰(これまた神話的人物ですが)が「御手長」と言われる旗を織った場所なので織幡神社と名付けられています。
「御手長」の旗は、神功皇后が三韓征伐に際して掲げたと言われています。
御手長は、九州地方に伝わる「足長手長」伝説に関わりがあるのではと思っています。

3.宮地嶽神社


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ここは主祭神が神功皇后という、そのものの神社ですね。福岡でも正月の参拝客が多い(100万人)、かなり有名な神社の一つです。日本一の太鼓と鈴と注連縄で有名です。
神功皇后はこの神社がある宮地岳という山に祭壇を設けて、船出前の祈願をした場所だそうです。

宗像地域は、宗像氏というこの地域の豪族の支配地域で、海運によって力を得ていたと言われています。
この宗像氏が航海の安全を祈願するために作られた宗像大社は、後にあちこちに勧請されて宗像神社・厳島神社として信仰されています。

また、飛鳥時代に起きた壬申の乱で活躍した高市皇子は、天武天皇と胸形尼子娘の子ですが、胸形尼子娘は胸形君徳善の娘です。胸形君徳善はもちろん宗像氏の豪族であることは言うまでもありません。
なお宗像の漢字表記は、時代によって宗方・胸形・胸肩と変遷しています。

宗像地方は、中央の政府ともつながりがあり、特に航海の面において重要であることから、このような縁故地が多数残されていたのではと思います。

神功皇后にまつわる場所は、このあと機会があれば、福岡市東部編と福岡市博多・中央部編など、北部九州の部分を経て、神戸・大阪・奈良へとつなげてみたいと思います。