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気になるニュース

全国で寒波の襲来とともに、明日香村にも雪が降りました。
予報では曇だったはずですが、朝ゴミ出しの時に雪が降っていることに気が付きました。

今日は休みでしたので、午前中に用事を済ませ、早速午後に写真を撮りにぶらぶらっとしてきました。

まず向かったのが、橘寺方面。


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明日香小学校の裏あたりにある田んぼ。まあ薄っすらという感じですが、外の気温が1度くらいなので、すぐには溶けないみたいですね。


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少し遠くの空には、雲の切れ間が見えていました。そのうち晴れるかと思いましたが、すぐに雲が覆ってしまいました。少しひんやりした空気が心地良いです。


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亀石です。アスファルトやコンクリート、石の上などには雪が積もっておらず、亀石も残念ながら雪は被っていませんでした。でも周りの風景が雪なので、記念にパチリ。



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明日香村唯一の小学校、明日香小学校です。流れてくる校内放送によると、駅伝の練習をしてるみたいでした。ちょっと寒くて大変でしょうね。風邪を引かないように、頑張ってください。



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橘寺の入り口です。何度この門を通ったかわかりませんが、雪のある景色は初めてです。



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雪化粧の橘寺です。遠くに見える山も雪に覆われていて、やはりいつもと雰囲気が違います。



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橘寺の向こう側には、岡寺がある山(山号だと東光山とありますが、山の名前は不明です)が見えています。
三重塔がチラッと見えています。


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トリミングして見ました。ズームレンズは持って行っていましたが、なぜか交換せずに撮ってしまい、今になって後悔しています。でもぼやけた感じが、墨絵のように見えませんか?



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12月3日の談山神社の記事に載せた、橘寺手前の銀杏です。すっかり冬らしい感じになっています。


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ちょっと方向が違いますが、こちらが12月3日の様子。ついこの間のような気がしますが、早いものです。


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表通りに回りこんで、こちらが橘寺の向かいにある川原寺跡です。飛鳥随一の大寺院も、小さな寺域を残して広い遺跡が広がっています。


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橘寺のシンボルのような、大きめのお地蔵さんです。肩に雪が積もって、少々寒そうです。傘でも掛けてあげたいところですが、あいにく持ち合わせがありませんでした。


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雪の橘寺です。明日は果たして雪が残っているでしょうか。


ということで、このあと定林寺跡へと向かいました。続きはまた明日にでも。
神功皇后に関する続きですが、今回は更に範囲を広げて、北部九州全般に由来が残された場所を、ざっくりと上げてみたいと思います。

1 壱岐
佐賀県の松浦半島の先およそ20キロほどの海上にある、玄界灘に浮かぶ島の中でも対馬の次に大きな島です。
神功皇后にまつわる場所もたくさんあるのですが、その中でも代表的な場所として
・住吉神社(神功皇后が帰途に立ち寄り住吉神を祀った場所)
・聖母宮(三韓征伐前に宮を造った場所)
・興神社(伝・天手長男神社。宗像の織幡神社での御手長の旗と関連があると伝えられる神社)
・月讀神社(月延石を祀る神社)
・壱岐湯ノ本温泉(応神天皇の産湯を使ったとの伝承あり。じゃあ宇美八幡宮はどうなるの?)
あたりでしょうか。

壱岐には以前2回ほど行ったことがありましたが、写真は今のところ残っていませんでした。これも時期を見て再訪したい場所の一つです。

壱岐は、北部九州の古代史にかかるミステリーの中心地のような場所です。僕的には謎だらけで、どう調べていいのかも検討もつきません。

2 大分八幡宮
ここは実は行ったことがありません。
有名な宇佐神宮や筥崎宮の元宮とも言われるところですが、筥崎宮への遷宮を経て、いまでは小さな社が残る少し寂れた場所のようです。
地図上では宇美八幡宮からさらに峠を越えた内陸部にありますが、三韓征伐からの帰りに一時滞在した場所と伝えられています。

3 宇佐神宮
全国の八幡神社の総本宮として知られています。良弁僧正(東大寺創建で有名な僧侶)や和気清麻呂など、奈良時代に朝廷との結びつきに関するエピソードも多く、時代時代で厚い保護を受けていたとされています。
八幡神社なので、当然神功皇后も祀られていますが、ここの地で神功皇后が何かをしたとの伝承が見られず、よくわからないのです。
元々は比売神が祀られていた古い神社であったところに、後で八幡神を祀ったようなので、直接的な関わりが無かったのかもしれません。
なお、比売神は宗像三女神であったとの伝承から、宗像氏との関連もあるのかもしれません。
また秦氏が宇佐神宮創建に関わったとされていることから、秦氏と宗像氏の関係も気になります。


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今回の位置関係です。大分八幡宮から内陸を抜けて宇佐に行くことも出来ますが、結構遠いですね。
実際神功皇后が両方に行ったかどうかもわからないので、関連付けられるかどうかは難しいです。

今回はあまり中身の無い記事になってしまいましたが、後々役に立つかもしれません。
次は下関から東方面に向かって、神功皇后との関連が伝えれられる場所を調べてみたいと思います。
神功皇后に縁のある土地を、地域ごとに調べながら、最終的にはその人物像を探るということを、ここ数日やってきました。いろいろ調べていて、これまで以上に疑問点が湧いてきて、思っていた以上にのめり込みつつあります。
仕事も忙しいというのに、、、。

そこで今回は、これまでの場所について幾つか補足して、次回以降更に地域を広げてみたいと思います。
記事の方針がぶれまくってしまっていますが、ほとんど思いつきですのでご容赦ください。

福岡市周辺に関して、ここまで神功皇后が関わったとされるのは
住吉神(住吉神社・現人神社)
八幡神(筥崎宮・宇美八幡宮・鎮懐石八幡宮)
綿津見(三苫・志賀海神社)
宗像三女神(宗像大社)
武内宿禰(織幡神社)
警固神(警固神社)
などです。もちろんまだまだたくさんあるのですが。

この中で役割や性格が近いものをグループに分けると
海神(住吉・綿津見・宗像)
イザナギの禊による神産み(住吉・綿津見・警固)
女性の神様(八幡・宗像) ※八幡の女性の神様は、比売神(ひめがみ)と神功皇后
となり、武内宿禰以外はいずれかのグループに属します。

また、住吉神と綿津見は、海神とイザナギの禊による神産みの両グループで共通する神で、もともと同一神であったという話もあるくらいです。

それと、八幡神の比売神は、宗像三女神のことであるという伝承もあります。

そうして考えると、警固大神が少し異質な感じがします。
イザナギの神産みによって生まれてはいますが、警固大神(神直毘神・大直毘神・八十禍津日神)はそれぞれ、お祓いや災厄の神様と言われています。
またこの「警固大神」という名前も他に見当たりません。直毘神や禍津神などを祭神にしている神社はありますが、その神々を警固大神と呼び習わしている神社が見当たらなかったのです。

少し気になって、警固で調べてみると、なんと出てきました。
もうびっくりです。僕が小学生時代に住んでいた近所にそれはありました。

福岡市南区警弥郷
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ここにもう一つの警固神社がありました。
現在は警弥郷という地名がついていますが、その昔ここは上警固村という名前だったそうです。

今も残る警固神社には、由緒書きが石碑に刻まれていて、それによると、元々この地に警固神社が祀られていたのを、神功皇后によって外敵防御のため、福崎(現在の福岡城跡)に移され、江戸時代になって福岡城を建設するため、黒田藩によって現在の天神に移ったということです。

警弥郷がある位置を、もう少し大きな地図で確認してみます。


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この地図を眺めていて、ひとつ気がついたことがあります。それは、警固神社の南側にある現人神社、北側にある住吉神社は、那珂川と呼ばれる川沿いにあるということです。
つまり上流にある現人神社から旧警固神社・住吉神社まで、船で移動できる位置に存在しているということになります。

なるほどなるほど。これならば、警固神社は住吉神社と相当関連性が深そうです。いや、関連があるに間違い無いと思います。

では、現人橋より上流には、もしかしたら何かあるのかもしれません。それは、、、、、、。

こっから先はまだ確信が持てません。まだまだいろんなことを調べる必要がありそうです。

それにしても、まさかこれほどまでにのめり込むとは思ってもいませんでした。というか楽しすぎます。

次回は、九州北部の関連地について書いてみたいと思います。