秋雨前線の活動もかなり活発になり、台風もなんと950hPaにまで強さを増しています。
いままでならこの程度の台風はそんなに心配しなかったのですが、あまりにも台風の動きが遅く、降水量の累計値も跳ね上がっていますので、いつも異常に警戒が必要になっています。
今日は休みでしたので、遠出しようかとも思いましたが、台風の状況が読みにくく無理はしないことにしました。
午前中に雨がやみましたので、まだ明日香で言っていない神社がありましたので、そこへ台風の被害が少なくなるようお参りにでも行こうと思い、散歩がてら出かけてきました。
目的地は甘樫坐神社。いつも散歩する甘樫丘の向こう側ですので、途中寄り道しながら歩いて向かいました。
甘樫丘登り口近くにある田んぼです。所々田んぼの周りには彼岸花が咲いています。今週末は、奥飛鳥と呼ばれる地区(稲渕)で彼岸花まつりというイベントがありますが、どうやら花期はぴったりのようですね。
甘樫丘頂上から見た、畝傍山(大和三山)です。山の上空や向こう側にも、重たい雲が広がっていますが、この時は雨も上がって一休みです。
曇りがちで湿度が高いため、気温は25度くらいですがいつもにも増して汗が吹き出ます。というか汗が乾かないんですね。こういう日は意外にも熱中症への注意が必要です。
丘の頂上から北側に広がる田んぼの様子です。こちらの畦にも彼岸花が咲き始めているみたいです。
田んぼを映そうとしたら、手前の杉にピントがあってしまいました。
稲もかなり色づいて来ているみたいです。もうすぐ稲刈りなんでしょうね。
5分ほど歩いたところにある、豊浦寺(向原寺)です。
6世紀中頃、百済から渡来した仏像を、欽明天皇より預けられた蘇我稲目が、向原(むくはら)にある邸宅に安置しました。
その後、物部氏との仏教をめぐる争いの中、仏像は捨てられて邸宅に火が放たれました。
そこから数十年が経ち、推古天皇の即位に伴いこの地に豊浦宮が作られた後、およそ10年で新しい宮へ移る際に、蘇我馬子へ宮が譲られたため、この地に豊浦寺という尼寺が作られました。
現在豊浦寺として残っているこの敷地内で、豊浦宮の遺跡が発掘されていまして、希望者はお寺に申し出れば、遺跡の見学をすることが出来るとのことです。
豊浦寺の脇道をさらに奥へと進むと、今日目的地である甘樫坐神社(あまかしにますじんじゃ)に到着しました。
とても小さな敷地にある拝殿も、とてもかわいらしいのですが、見ての通り鳥居がありません。
主祭神は推古天皇ですが、創建時は大禍津日神(おおまがつひのかみ)と大直日神(おおなおひのかみ)で、いずれも災厄を祓う神様を祀っていたということです。
拝殿の向こう側には、本殿らしき小さな社が見えていました。
前述のとおり、現在は主祭神の推古天皇が本殿に祀られていると思いますが、相殿に八幡宮・春日大明神・天照皇大神・八咫烏神・住吉大明神・熊野権現が祀られているそうです。
敷地内には大変大きな石碑が、拝殿の隣に立てられていました。とても意味ありげです。
この地でかつて行われていた神事、盟神探湯(くがたち:一発で変換してくれませんね)について解説されています。盟神探湯とは、古代に行われた呪術的な裁判で、煮えた湯の中に手を入れて、火傷をしない人物が正しく、火傷を負った人物は在任であるという神事です。
まあ実際のところは、罪の疑いが濃い人物に対して、煮え湯を用意したところ、火傷を恐れて自白したということのようですが。
現在でも、先ほどの石碑の前で、盟神探湯神事を再現する儀式が行われていますが、当然湯に手は入れず、笹の葉を入れて色が変わるかどうかで吉凶を占うというお祭りに変わっています。
果たして災厄を払うことが出来たのでしょうか。
ということで、帰り道の散歩も、いくつか写真を撮りましたので、この後アップしたいと思います。

