奈良在住ということで、環境や樹木と関係のない話題ですが、あるニュースについて触れない訳には行かないと思い、ちょっと取り上げてみます。
“悲運のプリンセス”の墓に1500人超の行列 奈良・明日香村
以下記事引用飛鳥時代の女帝、斉明天皇の孫・大田皇女(おおたのひめみこ)の墓とみられる「越塚御門(こしつかごもん)古墳」(7 世紀後半、奈良県明日香村)で11日、現地見学会が開かれた。日本書紀の記述を裏付ける第一級の発見に、午前中だけで1500人を超える考古学ファンが詰 めかけた。
斉明天皇の墓の前にある越塚御門古墳の現地見学会場には早朝から長い行列ができ、石室を眺めた人たちは感嘆の声を上げながら、“悲運のプリンセス”とされる大田皇女の人生に思いをはせた。
同県天理市の岡田忠弘さん(65)は「文献の出来事を実際に目にすることができて感動した。近しい人と一緒にいたいという思いが伝わります」と興奮ぎみに話した。
見学会は12日も午前10時から午後4時まで開かれる。近鉄吉野線飛鳥駅から徒歩約15分。駐車場はない。
ということで、ちょうと3日ほど前に新聞ででていた、越塚御門古墳の発掘調査結果の現地見学会が、12/11と12/12の土日に開催されたようです。まあまるで平城遷都1300年に合わせるかのように、いいタイミングで発掘されました。見に行きたかったんですが、仕事だったので行けませんでした。
ちょっと気になったので調べたところ、この越塚御門古墳は今回初めて発見された古墳らしいですね。じゃあいったい名付け親は誰なんだろうとか、越塚御門古墳というのは見つかった場所の地名なんだろうかとか、さらにいろいろと気になりました。
あと大田皇女という人物も初めて知りましたけど、この記事のタイトルにある「悲劇」とはなんぞやというのも気になりました。記事ではいっさい触れず。ちょっとぐらい調べて書いてくれよーと思いましたけど。
ウィキペディアによると、どうやら天武天皇の后で、大津皇子(こちらは知ってました)の母親らしく、天武天皇即位を見ずに若くしてなくなったとのこと。大津皇子は悲劇の皇子として有名でしたから、悲劇の連鎖みたいな感じだったんでしょうか。
歴史物は好きなので、ちょっとだけ調べてみましたがなかなか勉強になりました。