こんばんは。

 

記念すべき?50個目の発見はだいぶ間が空いてしまいましたが、

猫祭りに行ってきた体験記を数回に分けてお届けしようと思います。

 

ついでにいかに猫が愛らしくて、良き生き物かが読者の方にも

伝われば嬉しいです。伝わるまで書きます。

 

 

さて、まず猫祭り、オランダ語でKattenstoetとはどういうお祭りかといいますと、

3年に1度、ベルギーとフランスの国境、リールの近くのイーペルという町で行われる

猫をモチーフにしたお祭りです。

 

地球の歩き方のコラム的な所に載っていたのをたまたま見つけて、

猫好きの僕としては非常に心惹かれる祭りであったのと、3年に1回の祭りのタイミングに

ちょうどベルギーにいるのは、もう行けと言われているということだろう!

ということで、非常に興味を持ちました。

 

そこで、前回のお祭りはどんなのだったんだろうと

色々と行く前に情報を仕入れようとしたのですが、

3年前とは随分前の話で、insta映えだったりが流行りだす前の時代です。

掘ってもなかなか欲しい情報が集まりません。

 

ちなみにinstagramでは、「みんなで猫祭り参加しようぜ!」

的なものを見かけたのですが、参加料が日本の口座に振り込む必要があり、

海外からの送金で4,000円近くかかるので、んなアホな、ということで断念しました。

 

わからないなら行ってみよう。行けばわかるさ!ありがとう!

ということで、参戦することにしました。

妻に話を振ってみたところ、猫に興味はないからお前一人で行って来い

と言われたので、ベルギーに来て以来初めてのソロ旅行となりました。

 

 

 

さて、2月頃に参戦を決定した時点で、宿を押さえようと検索。

 

僕「OK, Google、イーペル ホテル」

 

検索結果:空きは0件です。

 

 

マジです。全部埋まってました。

 

そんな馬鹿な…。ここで僕の命運、猫への愛は途切れてしまうのか…

 

30分ほどネットで探し回っていると、空いているところを発見!

 

 

やった!と思ってみると、お値段が250€(朝食別)

 

なんというボッタクリ…

 

 

資本主義の冷徹さを感じました。

 

 

結局、街の中心から2キロほど外れたところにあるホテルを

なんとか予約できたので、事なきを得ました。

 

 

 

 

この町、猫祭りの日だからって足元を見やがってちくせう…

 

と悔やみつつ、じゃぁこの町はどんな町なんだろうか。

気になったので、色々調べたり、ベルギー人のMr.みかん(久々の登場)に

話を聞いたりしました。

 

 

 

そもそもイーペルというのは、人口約35,000という非常に小さな町です。

日本で言うと兵庫県の播磨町とほぼ同レベルの人口のようです。伝われ。

 

どんな町かといいますと、中世では繊維産業で非常に栄えた街であること、

そしてそれを越えて有名なのが、「第一次世界大戦時に要所となった町であること」です。

 

20世紀初頭、欧州諸国が帝国主義政策をすすめる中、早々に欧州内で

中立を宣言していたベルギーですが、第一次世界大戦勃発後、シュリーフェンプランに

基づいてフランスに向けて進軍をしたドイツが、ベルギー国内の通過を要求します。

 

これを拒否したベルギーに対して、ドイツはそのまま進軍を開始します。

ベルギーとの条約で中立を保証していたイギリスはこれに対して軍を差し向け、

ベルギーは、イギリス、フランスと共にドイツを迎え撃つことになりました。

ドイツに一時占領されるものの、すんでのところでとどまり、この町を奪取し返しました。

これが第一次イーペル戦争です。

 

その後三度に亘ってこの町は大きな戦争の舞台になります。

 

その後再度ドイツ軍が攻撃を仕掛けてきた第二次イーペル戦争において、

世界で初めて大規模毒ガス兵器が使用されました(塩素ガスやマスタードガスなど)。

この攻撃で、連合国は撤退を余儀なくされます。

 

更に第三次イーペル戦争で連合国側は(その際にはカナダも参戦していました)

イーペルを取り戻すわけですが、その時にあまりに戦火が激しく、

町は一切何も残らないほど完璧に破壊しつくされたそうです。

第三次の戦争だけで、両軍合わせて50万人を超える犠牲者が出たと言われています。

 

そのような町ですから、今でも「毎日」午後8時になると、町のメインの門にある

記念碑に献花が行われ、当時の戦没者のために祈りが捧げられます。

 

 

 

 

 

この門の中の全面に戦没者の名前がびっしり刻まれていることから

如何に激しい戦いだったかが少しでも想像できると思います。

 

僕がお祭りの前日の土曜日にイーペルの町に来たとき、

この門で献花の儀式が始まる20分前くらいに待っていると、

ちょうど隣に立っていたお互い初対面同士の二人の男性が

話をはじめました。

 

「あなたはどちらの?」

「私は祖父が英軍におりまして、ええ。」

「その際にお亡くなりに?」

「そうですね、あそこに名前が残っています」

・・・・・・・

「あれは本当に悲惨だった」

「あんなことを二度と繰り返すべきじゃないと、ここに来ると強く思うんだ」

 

というような話をしていました。

僕はもういたたまれなくなり、その場を立ち去りました。結局献花も見ていません。

 

 

 

軽い気持ちで思い立ってきてみたものの、あまりにも自分の認識がかけ離れていて、

自分はここにいるべきではないと感じました。

 

 

「世界平和だ」

「ラブアンドピースだ」

「戦争反対だ」

 

という言葉は耳馴染みがよく、簡単に口を付く言葉です。

それ自体は全て大切なものです。もちろん僕も平和を愛したいです。

 

 

ですがあの時、その平和を願う、みんなが愛する平和を続けるための

儀式が行われるその場所では、優しい言葉では表せないもっと重たく

暗いものが存在していました。それが僕の中に入ってきました。

 

たまたまそういう会話をしている人が近くにいただけかもしれませんが、

献花を見るために、本当に多くの人がこの町に集まってくるようでした。

もちろん猫祭りの前日ということもあったかと思いますが、

それ以外の日でもこの町には多くの人が集うのでしょう。

 

 

第一次世界大戦というと、日本人からは正直縁遠い世界の話でしたが、

一気にその熱量が届いたような気がします。

そして戦争を知らない子供たちではないですが、

あんなに強く平和を意識したタイミングはこれまの人生でも

なかなかなかったのではないか、と思います。

そういうカルチャーショックを受けました。

 

 

全く別の話になってしまいましたが、今日はここまでにします。

この話を書くだけで、約1時間みっちり使ってしまいましたので…

明日も仕事ですし、明日は語学学校もあるので、

また翌日か翌々日くらいからもっと明るい

旅行編をスタートさせようと思います。お楽しみに!

ちなみに、イーペルは広島市と姉妹都市になっています。

こういうところにも日本と縁があるんですね。

猫祭り以外でも機会があれば訪れてみてください。

 

つづく