筆者が聴いてみたいもの

 

クリフォード・ブラウンが演奏している

「I remember Clifford」

 

若き日の李香蘭本人による

蘇州夜曲のライブ演奏

 

 

 

「詩学」という本があります。

アリストテレスが書いた本ということになっています。

平たく言うと芝居の脚本を書くためのマニュアルですね。

 

ストーリーとキャラクターのどちらが大事かという選択では

ストーリーの方が大事だと述べています。

そして、ストーリーは悲劇が最上のものとも言っています。

 

喜劇は普通の人よりも劣っている人を描くべきであり

悲劇は普通の人より優れている人を描くべきものなのだそうです。

 

優れている人が

悲しい目に遭う、困難に見舞われる。

それらに立ち向かうストーリーが良い物語なのだと。

この本は喜劇=笑いにはあまり肯定的ではありません。

 

しかし、この本には第二部があり

喜劇について書かれていたという噂が本当にあるのかどうか

筆者は確認していませんが

「詩学」に第二部があり

喜劇についてかかれていたという事を

モチーフにした小説がありました。

映画化もされています。

 

それは

ウンベルト・エーコ原作

「薔薇の名前」です。

 

英語版はペーパーバックスで挑戦したことがありますが

ラテン語やギリシア語が出て来た時点で

ギブアップ!

 

日本語訳版の上下二冊も入手しましたが

本棚の肥やしとなっております。

少しは読んでみたのですが

衒学的なきらいはありますが

原作者は碩学ですよね。

20世紀を代表する知性ですからね。

 

映画のほうはショーン・コネリーが主演で

フランシスコ会のウィリアム修道士を演じています。

ヴァチカンとフランシスコ会の話し合いのために

北イタリアにあるべネディクト会の某修道院に

両者の代表が来るのですが

その直前にその修道院で奇怪な事件が連続して起こります。

 

教皇庁とフランシスコ会の話し合いの調停役である

ショーン・コネリーが演じるウィリアム修道士が

奇怪な事件の真相に迫っていきます。

 

(我々が読むことができる)「詩学」は

人生では恐るべき事が起こり

それに立ち向かわなければならないと

我々に語り掛けます。

 

そうして立ち向かう時に助けになるのが

キリスト教の神であり信仰なのだというのが

「薔薇の名前」の奇怪な連続事件の真犯人の考えです。

もし、人生が笑い飛ばしてしまえるものだったら

キリスト教の教会制度自体が危うくなるという考えでした。

 

(筆者が聞いた話では)

アリストテレスの哲学と

キリスト教は親和性が高いそうなので

アリストテレスによって

人生=現実を肯定するかの様に笑いを肯定される事は

危険なのだという事になります。

 

「薔薇の名前」の劇中では

舞台となったべネディクト会の修道院の図書館に

「詩学」の第二部の唯一残された写本が保管されていたのでした。

 

禁書扱いなので

読んだ者を殺害する目的で毒も塗られていました。

(中国の「金瓶梅」もあるターゲットとなる人物を殺害する目的で

毒が塗られていたという話を思い出します。)

 

「詩学」の第二部が存在していたとしたら

喜劇をどう定義していたのでしょうか?

アリストテレスは人生=現実を

笑いを使ってどう解釈するのでしょうか?

 

 

「詩学」の第二部が

存在していたとしたら

読んでみたいですねぇ!

毒は盛られたくはありませんけどね。

 

 

 

 

今夜はバリタイでぜひ笑い倒れて下さい!