自分が街中を歩いているとします。
自分が街の中を進んで行くと考える、
或は自分が移動している訳ではなく
自分が地面を後ろに足蹴にしていると考える。
両方可能ですよね?
飛行機が空を進んで行くのを
翼が空気にのって浮いていると考えるか
翼が吸い込まれて浮いていると考えるのか
どちらもあり得そうです。
5月も後半です。
もうすぐ梅雨ですねー!
日本では偏西風が吹いているので天気は西から変わるわけですが
「偏西風はコリオリの力によって生じる」と説明されても
筆者の頭の中では
「偏西風はコリオリの力によって生じる」という言葉が
独り歩きしてしまいます。
解釈の問題であるのなら
風は風神様の袋から吹いてくるものであり
また
芭蕉扇があおられて吹いてくるものだという事を否定できないでしょう?
目には見えない風神様の袋があり
目には見えない芭蕉扇があるのです。
それをロマンと言うのかもしれません。
子供が柿実の種を土に蒔いて
「はやく、めをだせ、かきのたね、ださねば、はさみでちょんぎるぞ」と
ハサミをチョキチョキさせて唄うのと同じかもしれません。
夢は各個人の個人的なものであり
神話は人々に共通する夢であると
考えることもできるそうです。
合理的な認識を超える現象が起こった時
それをどの様に受け止めるのか?
科学は再現可能なものには有効です。
しかし、現実は極めて個別的なものであったりしますよね。
人々に共通するものとして
科学と神話は同じではありませんか?
科学は人々に共通の認識として機能します。
しかし、科学による説明は永遠に有効とは限らないですよね!?
筆者は科学者ではありませんが
科学は進歩していると思っていますので
昨日まで有効だった説明が今日覆されることもあり得ると
思うからです。
科学で説明されたとしても
神話で説明されたとしても
夢なのですよ、きっと。
今夜のバリタイでは夢幻を見て下さい!!!